いくら場が「荒れる」ことだろうと、正しいことを言っているのだから好きなだけ主張するというのは、確かに個人でやるぶんには結構なことだけれど、それが集団のうねりになった結果として「荒らされてしまった」場所で、誰がもっとも傷つくことになるのかとか、そうやって場所が「荒らされた」ことで生まれる傷をケアするためのコストが誰にしわ寄せとして向かうことになるのかとか、まったく想像しもしないのは一体どういうつもりなのか。そんなことは考えるつもりも考える責任もないと言うのなら、もうマイノリティの状況になんて関心がないとはっきり言えばいい。社会運動における「ケア」の問題がこれだけ認識されているのに、どうしてそんな非難の濁流のようなことを続けられるんだ。
やったことないことや見通しが持てないことが苦手すぎるくせに、形骸化したものを壊したい欲求がものすごく強いから、壊しながら泣いてる