協和語を基にした話し方をする/糸目やギザ歯の/胡散臭い/怒りっぽいetc…中華系キャラという、植民地主義にどっぷり浸かった人種ステレオタイプ表象を「萌える」ただそれだけで擁護したりありがたがったりし続けているオタクたち、自分が典型的なレイシストである自覚を持つべきだと思う。今でも漫画やアニメに上記したような侵略戦争時代から続く人種ステレオタイプでしかない中華系キャラがわんさか登場して、それが広く愛好されている国、どう考えても終わってるからな。
同性結婚式をはじめ、両者の性別を限定しない結婚式のための祝詞を作成しました。
結婚式祝詞のご参考にどうぞ。
(画像そのものの無断転載や、自作発言はおやめください)
#全ての差別を許さない神社へ
#あらゆる差別に反対します
#同性結婚式 #プライド月間
#PrideMonth #pridemonth2024
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https://x.com/shinto_lgbtq/status/1806225619111362580?s=46&t=W6JFOp-IuiLQhD_im3POJQ
Instagram
https://www.instagram.com/p/C8s-LuZSbAe/?igsh=Y2Z4MXV4cGhzYXls
弊会は、現行の婚姻制度によって不利益を被る方全ての問題が解決されることを望み、活動してゆきます。
(連絡会投稿より)
戦争の影響による世代間トラウマの記事。我が家も完全にこれなんだけど、戦争は「終戦したら終わり」じゃないというのは、まさにこういう理由だよね。
「戦争トラウマや貧困によって第1世代が第2世代を十分にかわいがることができず、愛着障害が生じ、それが4世代にわたって (中略) 戦争の影響は世代を超え、精神的問題を発生させ続けています。」
沖縄戦の晩発性PTSD報告 精神科医が警鐘「戦争トラウマの世代間伝達はひ孫まで及んでいます」 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/341895
沖縄戦Q&A 悲惨な戦、始まりと終わり(琉球新報)
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1320643.html
沖縄戦 映像・証言アーカイブ(NHK)
https://www.nhk.or.jp/war-okinawa/archive/
慰霊の日特集2024(琉球新報)
https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3183042.html
国会議員の本村伸子さんと懇談してきました。ご対応くださり感謝します。
(添付の集合写真では私たち当事者の顔は隠してもらっています)
#永住許可の取消しに反対します
#日本社会はあらゆるルーツの人とともに
@ motomura_nobuko /Twitter(X)
「永住許可を取り消す法改悪に反対する声明文、要請書をまとめた若い永住者の方々と懇談。つないで下さった方にも感謝。
当事者の意見も聞かず、立法事実も欠如しているのに突然出され強行された改悪入管法。
差別的条文の削除、これからのことを話し合いました。
力を合わせれば、より良い社会にしているのでは、と思わせてくださる皆様でした。本当にありがとうございました。」
https://x.com/motomura_nobuko/status/1804151631224983709?s=46&t=4tsZUPpZzK2N5GtXRmqOOw
昨日の最高裁判決。法的性別がどうであれ、血縁状の父子関係があることは明らかと子の認知を認めた。
https://www.asahi.com/articles/ASS6P3PT0S6PUTIL00ZM.html
これを受けて...
・特例法3号「未成年の子なし」要件は、子の福祉に反するとの名目で戸籍変更が認められないが、本判決は子の福祉のために戸籍変更後に親子関係を認めた。整合性はいかに。
・本件で「法的には女、親子関係では父」が認められた。トランス男性の場合、(もともと2008年に「未成年の」子なし要件に緩和され、2023年に生殖不能要件が撤廃された時点で明白だったとはいえ)「法的には男、親子関係では母」と扱われる可能性が確実視される。
・そもそも同性婚が可能なら、裁判なしで親子関係も認められていたはず。本件では嫡出推定ではなく自分の子であることまで明白だったのに。
無関心層を責めるなという意味ではありません。
マイノリティがマジョリティに「沈黙は加担」だと声を上げたとき、マジョリティがアライとして同じように「沈黙は加担」だと言って沈黙を破ったところで、マジョリティとして差別構造に加担していることは変わりない。
マジョリティあるいは沈黙しなくて済む立場の者が「沈黙は加担」だと言うのであれば、「(声を上げた)自分は加担していない」とは間違っても思ってはいけないし、自分もまた沈黙を強いている側であることを自覚し、自分のマジョリティ性/特権から目を逸らしてはいけない。
自戒も込めて、最近本当によく思っていることです。
(大事な部分に誤字が含まれていたため、元の投稿ツリーを削除し、再投稿しています)
そもそもマイノリティは、社会運動をしていると明かすことにマジョリティよりもはるかに大きなリスクを伴います。私たちが行っている「永住許可取消し法案反対」の運動も、まさにそうした大き過ぎるリスクと隣り合わせです。 入管が今なお根拠として使用する「マクリーン判決」は、永住者が反戦デモに参加した(政治活動をした)という理由で永住許可を取り消され帰国を命じられたものです。この判例/事例から明らかなように、永住者は日本でデモに参加するなどの一般的な政治活動をすることさえ、そしてそれを公表することさえ、生存権/居住権を奪われることに繋がるのです。 人権運動/社会運動をできない人、行っていると明かせない人、こうした非常に弱い立場の人々の存在を無視した言説に、私は倫理があるとは思いません。私は複数のマイノリティ属性を持つ者であり、ある面ではマイノリティ当事者でもありますが、運良く活動ができて、それを(ある程度)明かせる立場です。だからこそ、人権運動の中で「沈黙は加担」という言葉がひどく雑に使用され、「だれが怠け者なのか」を探して責めるような風向きがあることを憂いています。
私は現在、人権運動において一人のマイノリティ当事者を「アイコン」(あるいは「人柱」)にすることに批判的な立場を取っています。 矢面に立つ決断をされた方の覚悟は心から尊敬します。しかし、運動というものは上記のように一人でやれるものではないと思い知った今、矢面に立つ人がいるということは、その人を矢面に立たせる方向に進めた誰かあるいは周囲の人々がいることも知りました。 矢面に引っ張り出された当事者は、その後も差別構造が盤石なこの社会を生きていくのです。少し考えればわかるように、それは困難極まります。一個人のマイノリティ当事者を攻撃の矢面に立たせる(引っ張り出す)なんて状況は、本来起きてはいけないことです。 私たちの活動は誰も矢面に立たない方向性を選択しました。そのため、SNS/インターネットではほとんど何も公表していません。私がロビー活動をしていると明かすことも今後ないかもしれません。そのため、私含めメンバーはSNS/インターネット上では「なにもしていない」と見做れるのだろうなと思います。しかし、皆それぞれ、できることを可能な限りやっています。 冒頭に戻りますが、「沈黙は加担」という言葉を向ける先を誤らないでください。他者に向けるためのものではなく、権力と己に繰り返し問うためのものです。
SNS等で活動を公表していなくても、動いている人たちはいるし、自分にできることをやっている人たちは思ったよりたくさんいます。私も活動の全てを書いたり載せたりはしていません。 「沈黙は加担」という言葉は、弾圧あるいは排斥される当事者がそう声を上げることは当然でありつつも、支援者/アライ/非当事者までもがそれに乗っかるのは社会のエイブリズムを加速させる面もあります。また、マイノリティ当事者の声をマジョリティが自分事に引き寄せすぎることで「怒りの乗っ取り」が起こり、運動がマジョリティにとって都合のいいものとして利用されてしまう(マジョリティ側の他の狙いと抱き合わせにされてしまう)ことも、間近で見てきました。 皆それぞれの場で、できることをやるしかないです。できることを探そうにも、何かをやろうにも、それさえタイミングやチャンスという運の要素があるのも事実です。できない人を責める社会にしてはいけないですし、できる人を担ぎ上げる社会にしてもいけないです。
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20240619-OYT1T50194/
「子どもという商品の価値を高めて輩出するのが学校」県教育委員の発言を共産県議が批判、知事は議員の批判を「大変不適切」と逆批判 : 読売新聞オンライン(2024-06-20)
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「決して保護者のためではなく、国家繁栄のために教育があることを肝に銘じてほしい――。こうした富山県教育委員の牧田和樹氏の発言について、共産党県議と新田知事が19日、県議会で賛否を巡る応酬を繰り広げた」
「火爪弘子県議(共産)は県議会一般質問で、『子どもたちを商品と言い放ち、(人格の形成を趣旨とする)教育基本法を否定する考えの方は教育委員として不適格』と指摘し、任命者の新田知事の見解を問うた。これに対し、新田知事は『経済人として商品を磨き上げるのは当然』とし…、不適切ではないとの考えを示した」
って、県知事も子どもを「商品」呼ばわりしてるんだ? 富山県?😮
車椅子で生きる上で、なにか手伝いを頼まないと日常を送れないこと――たとえばコンビニのおにぎりも取れない――とそれによって日常の障害を減らす以外の仕事や友人関係でのお願いができなくなることを、私は「お願いゲージが減る」と呼んでいる。障害に社会の中で出くわしやすい人は、お願いゲージをすぐに消費しちゃうから、健常な人がやっているようなお願いができなくなる。
ただ、最近はわたしは、お願いゲージ自体が壊れた気がしている。私はこれまで、段差のあるところや階段なんかは、人に運んでもらうことで解決していた(わたしは多少動けるし、車椅子は軽いものにするよう気をつけている)けど、なんかもうそれ自体に耐えられなくなった。お願いしないと何もできないという事実に。
釜ヶ崎 センター開放通信
@OpenKamaCenter
強制執行が日時の指定なしにいきなりやってくる可能性があるので先週からテントを立てて警戒態勢を取っています。
https://x.com/OpenKamaCenter/status/1803124909885001842
千葉の朝鮮人虐殺に関する展示のクラウドファンディングです。
よろしくお願いします。
https://camp-fire.jp/projects/view/748075
20↑🏳️🌈🏳️⚧️トランスジェンダーでノンバイナリー。Aジェンダー。ゼノアイデンティティ。クィア。🟨⬜🟪⬛お絵描きが好き。うつ病持ち。
種差別反対。全ての差別、搾取、暴力に反対できるように。