「人間性」とは何か。それは本当に「人間」に限定された性質なのか?「人間性」が無い/足りないことは悪なのか?「人間」的でない在り方は劣っているのか?正しくないのか?批判されなければならないのか?
人間中心社会において「『人間性』に問題がある」と言って「人間(と判断した者)」を「批判」するのは、例えば、男社会の中で「男らしくない」と言って「男性(と判断した者)」を「批判」するのと似ていないか。
「人間性」で我々を評価するのはやめて。ヒトに生まれた存在全てに「人間」であることを押し付けないで。
様々な種やアイデンティティ、実存が有る中で、「人間」としての在り方こそが至高だと、「人間」に「届かない」者は劣っていると、無意識に感じていないか。
現在、職場で1人から意図的な無視をされて、その1人ともう一人から大きな声で陰口を叩かれている。
辛いので地域の障害就労支援センターで相談をしたが「何処でもある嫌がらせなんだから上手く回避するなりストレス発散するなりして対処してね」と丸め込まれた。
どこにでもいじめやパワハラをする人が居るのは間違いないけど、
発達障害は特に攻撃の対象になるのだから、完全には防止は無理なものの合理的配慮の範疇で職場に対策をさせるなり、行政と手を組んで実態の把握や当事者の声を聞くなりしてほしい。定型発達の人にも恩恵があるだろうし、真面目に考えてほしい話だよ。就労支援センターも職場も。
攻撃をしてくる人から守ってくれる安全な会社を望むのはそんなに贅沢なことかね?
こういう仕事をしていると詩の好きな方も多くいらっしゃるんですが。人の言葉を「ポエム」と言って揶揄するのって詩への冒涜じゃないのだろうかという意見を目にする機会がSNSでは頻繁にあって。なるほどと思って以前よりそういう使い方はすべきじゃないなと思って気をつけてるのだけど、そういう方いまでもけっこう見かける(さっきも流れてきた)。「お花畑」もそうだけど、そういう言葉で揶揄することは、その言葉の元の意味まで蹂躙することなので注意したいものだなぁと思いました。
毎年5月15日は、「ナクバの日」。“1948年、イスラエルの建国に伴い約75万人のアラブ・パレスチナの人々が故郷を追われることになった出来事(ナクバ——アラビア語で「大災厄・大破局」を意味する)を嘆き、想起する日。”
禁じられた「ナクバの日」——公共の場から排除されるパレスチナ人の声
https://d4p.world/news/25902/
“デモというものは常に感情的なものです。それなのに、ドイツ人の感情の高ぶりは正当なものとされ、アラブ人のそうした感情は“暴力的なもの”だと見做されるのです”
>そこまで極端に嫌われるのは、第2次世界大戦中、日本軍がプドゥ刑務所を捕虜収容所として使い、連合軍や地元市民の多くが拷問を受け、斬首されたという歴史があるからだ。
日本人だけが「日本人は優しかった」とか「現地に歓迎された」などと言い合って満足してても向こうはそうではないということよね。被害を受けた側はずっと覚えている。歴史は正しく学ばないと、悪いことは悪いと反省しないと。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d2440e5e70fd7d2bfa471a56c8d4c2d628622be
[社説]復帰52年の沖縄振興 本来の目的に立ち返れ
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1359432
#okinawatimes
5月15日です。
日米の勝手な密約まみれで金も核も好き勝手に決められて、少しでもどうにかなりたいなどの、琉球、沖縄県の人々の様々な願いと希望と怒りを初手から裏切りまくった、日本とアメリカによる欺瞞まみれの「本土復帰」の日です。
これはクソ欺瞞の4月28日についての記事。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-910501.html
これは在沖米軍基地はヤマトからの移設により更に負担を押し付けられた記事。
https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-3024140.html
これは沖タイと朝日による5月15日を軸とした特集ページ。
https://www.asahi.com/special/okinawa/kawaranunegai/
これは琉球朝日放送の去年の5.15平和行進の記事。
https://www.qab.co.jp/news/20230515174460.html
侵略支配と同化政策、「皇民化」教育、土地の強奪と破壊、「捨て石」とした上に差し出し、あらゆる被害や核ミサイル配備をヤマトは黙認してきた。その一方で「美しい癒しの島と豊かな文化、優しいのんびりした沖縄の人々」と消費と搾取をし続ける。
ヤマトのマジョリティの、私たちの罪です。是正しなければならない植民地支配です。
こんなことを続けていっていいわけがない。責任をとらないといけない。
選挙権っていうのはそのひと自身が行使する権利を有している必要がある。
誰か他のものが代理する前提で認めようとしている時点で無意味だ(認めていることにならない)し、代理する理由として、(年齢的に)自己決定権が認められない、みたいなことを出してくるのであれば、それはそのうち「高齢者」や「障害者」にも拡げられうるだろうと思う。
実際に「僕は子どもが3人だから、僕は4票の影響力がある」と平気で発言できてしまうこと自体が、他者の権利を我が物として扱うことに何の抵抗もない証拠でもある。
一方的に他者の権利を取り上げる側に立つことを当然と思えてしまうひとが思い付く制度なんて、導入していいわけないでしょ。
カフェ飯も担々麺もカレーもハンバーガーも食べ飽きたし、もともとそんなに好きじゃないし、ヴィーガンメニューは高い。
脱搾取ということであれば、生産者や労働者にきちんと利益を還元していればいいと思うのだけど、より多くの者に手が届くようになってほしいとも思う。より多くの者が脱搾取をしやすいようにするためには、反貧困的な活動も必要になってくるだろう。
とにかく、ラーメン&チャーハンセットや定食メニューなどをプラントベースで食べたい。
「ネットで呟いているだけじゃ何も変わらない」
は実際に活動していると確かにまあまあな実感としてはあるけど、だからってそれをネット以外で活動する余裕がない人たちに嫌味として言ったところでそれこそ何も変わらんやろ、せめてその人たちがもう少し余裕を持てる社会にするためにもまずはうちらができることを頑張るしかないんだべ、とやや呆れながら見ている面もある
わたしも組織で活動していたことがあるけれど、クィアであることや非定型発達であること、生活保護利用者であること、セックスワーク経験者であることなどで疎外感を覚えた(そのことを訴えたことで、結果的に排除を受けた)経験がある。
「もっと活動するひとが増えてほしい」と言うときに、自分たちの活動が誰かを排除していないかは立ち返って考えてほしいと思う。たとえば見た目で性別などの属性を決めつけないとか、異性のパートナーがいて結婚出産する前提で話をしないとか、具体的にはそういう話なんだけど。人手が少なくて大変なのもわかるけど、体力気力のある健常者前提で活動の予定組むのも見直したほうがいいし、情報保障もできるだけしたほうがいいし……
ちなみに生活保護受給中に使える就職支援の中には仕事用のスーツや靴や鞄の購入費用として就職支度金というものがありますが、
・就職が決まってからじゃないと支給されない
・社会保険に加入できる仕事じゃないと支給されない
・上限金額は32,000円
と中々しょっぱいものになっております。
…スーツと靴と鞄なんて就活の段階から必要なのに何考えてるんだろう。
あとパートやアルバイトでもスーツ着たほうが良い面接や職場いっぱいあるよね。
(社会保険については週10時間からでも加入できるように見直しが進んでいるとはいえ)
ないよりマシかもしれないですが、実質使いにくい補助だなあと思います…
https://seikathuhogomanabou.com/syuusyokusitakuhi/
20↑🏳️🌈🏳️⚧️トランスジェンダーでノンバイナリー。Aジェンダー。ゼノアイデンティティ。クィア。🟨⬜🟪⬛お絵描きが好き。うつ病持ち。
種差別反対。全ての差別、搾取、暴力に反対できるように。