日記のようなメモ
・インド映画『ストリートダンサー』を劇場に観に行った、が、感想を書くタイミングを逃してしまった。期待以上に踊っていた。人との争いも全部ダンスでバトルので。面白かった。
自分も含めて5人か6人しかいないスカスカの回で観た。映画館の経営が厳しくなってほしくはないのだが、客の少ない中で観るのが快適すぎる。
地元の映画館、この先インド映画を多めにかけてくれるのが判明し嬉しい。できるだけ行きたい。
・ルピシアの試飲販売会グラン・マルシェに今年も行ってきた。例年、入場のおまけがもらえたのだが今年は無かった。インフレの影響か…悲しみ。
・置き場所からあふれていた毛糸のストック、見て見ぬふりをしていたがついに片付けようと思い、在庫確認をかねて整理した。そこそこヤバい量があった、狭い部屋なのに。編みたいものが次々出てきて、毛糸も次々買ってしまった結果……しばらく自重する。
余り毛糸も捨てずにとってあり(もったいなさすぎて)、これもなんとか消費せねば。自分は創造性があるタイプではなく、すでにある素敵デザインのものを自分でも同じように作ってみたいだけのタイプなので、残った毛糸も特に他の用途が思いつかずもてあまし気味。
マジで片付けようと思うが、毛糸はあればあるほど楽しいんだよな…うう…
#日記
『異人たち』観た
山田太一の原作小説だけ読んでいる状態で観た。
原作の切なさとはまた違った切なさを加えた、より切なさが広がっている大胆な翻案だと思うと同時に、しっかり原作のままでもある感じで、大変良かった。
詳しいことは避けるけれど(知らずに観る方が絶対いい作品!)、親とも恋人とも分かち合えない絶対的な孤独があって、それでもそれを抱きしめて欲しいし抱きしめる、ということを描いていて、切ないけれど強い優しさがある作品だなと感じて、後から後からじわりと心に沁みている。孤独は孤独としてそこにあり続ける状態を描いてくれるのが好きだし、やっぱりその点がとても信頼できる監督だなぁ。
主人公が、母親父親それぞれと会話する場面で際立つ絶対的な孤独にハッとするのだけど、その後にそれでも抱きしめ抱きしめられたいというあの想いに泣けるし、それがあってからの恋人に向かって言う、ここにいるじゃないか抱きしめるよという優しい切なさがたまらなかった。それぞれの世代の違いからも生まれる感覚の切なさ疎外感も描いているのも上手いし。
ひとつだけ同性愛、ゲイが社会的にどう扱われていたかは意識しておくと、より孤独感の深さを感じられてよさそうだと思いました。
『ゴッドランド GODLAND』観た
好きな映画だ。
19世紀、アイスランドの辺境の村にデンマーク人牧師が教会を立てに行く。神秘が表出したようなアイスランドの広大で荘厳な自然を前に、人間同士の溝が一向に埋まらず対立し続け、傲慢が行き着いた先にただ残る冷徹、この冷めた距離感がとても良かった。距離があるのにどんどん没入していく感じがあるのも面白い。
牧師のルーカスは傲慢で聖職者の信念を完全に見失っているし(言語という文化を学ぶ意識がないのがわかるのが鮮やか、もう上陸前から駄目)、案内人のラグナルには想像以上に深刻な悪意があるしで、こういう人間の小ささが露呈した先があれというのがね…。既に住人として生きているデンマーク人のとっても現実的なのも効いていてね…私はこういうブラックなものが好きなので、面白かった…
しかし後から思えば、ルーカスの支配的な距離感を表す描写が盛沢山だったなぁと。上辺を映すだけの写真趣味、聖職者として教えを広める気もなければ、教会が建たなければ仕事もしない、村への過酷な道程から何も受け取らず精神をを拗らせただけという…。聖職者なのに、心も身体も神の試練に全く立ち向かえていないのが、なんとももの悲しくブラックで面白い作品だった。
アイスランド、行ってみたいよね。
『プリシラ』観た
エルヴィスの隣にいた時間、少女から傷ついた大人へ。年上の男に惹かれた大切な記憶と、彼といることで変わっていく世界への不安と。彼女にとっては確かに大切な時間・記憶なのかもしれないけれど、そんなに孤独で、くつろいだ気持ちで側にいられないなら早くやめた方がいいんじゃないのかなー、早く気づきなよーと思い続けて観ていたよね。
好きになってしまったのだから仕方がないのかもしれない、そうならば人を好きになるってとても不自由なことだ。
憧れが抑圧に変わっていく過程、そして精神的自立へと向かうその心が繊細に描かれていたので面白かった。
エルヴィスの自分本位で支配的な部分と、優しく紳士的な部分がいい具合に描かれていて、ああこういう複雑さに惹かれると同時に抜け出せなくなるんだろうなーというのも大変わかりやすかった。
プリシラを演じたケイリー・スピーニーが非常にかわいかった。登場場面の孤独な少女の背中、表情がすばらしくて大好きだ。
所々で(『エルヴィス』で出演していた)トム・ハンクスの、大佐の顔がちらついて、いいんだか悪いんだかw
日記のようなメモ
・新しく始まった朝ドラ、今のところ大変面白い。この調子で最後までいってくれるか。
・新年度の通勤風景はいつもと違うメンバーの気配がしていた。普段から個人を特定できているわけではないのに、知らず知らず、みな特定の行動パターンをとっていて、そういう景色として読み取っているのだろうね。
・土曜日は朝から映画を観に行き、ちょうど昼に上映が終わった。新年度だが生活に何の変化もないのもな…などと思い、新しいカフェでも開拓するかという気持ちになる。少し調べて、個人で経営している洋服店が曜日限定でカフェもしているとの情報に行き当たり、そこへ。小さい雑居ビルの一室で、多少は緊張するのだが、決心すれば軽く飛び込めるようになってきた。
ハヤシライスを食べる。酸味があり美味しかった。量も満足できるもの。雰囲気も悪くない。また来ても良いなと思う。カフェは一名で回しており、それは画家のような、松本零士をこざっぱりさせたようなおじ様だった。洋服店はパリっぽい感じ、店員さんもそれに合わせてるのかもしれない。ちょっと意外で面白かった。ちなみに、洋服店は好みの感じだったが、お値段がやや厳しいものばかり取り揃えられており。ちょっとね、買えないです。
『RHEINGOLD ラインゴールド』観た
実在のクルド人ギャングスタ・ラッパーの成り上がり物語に着想を得て。いきなりイラン革命でのクルド難民の闘争から始まるのがもう壮絶。なのだが、その後は流れるようにジャンルを横断する感じが楽しい。なにせそこからめちゃ売れたラッパーになるので。
上流階級だったはずが、亡命、家族の軋轢、不良、ギャングへと凄いスピードで突き進んでいくのだが、主人公"カター"(危険なやつ)がどこか素直であっけらかんとして超絶行動力があるのと、ちょっと乾いたユーモアある描き方なのが面白い。ギャング生活は特にコミカル。でもこの流れるような楽しさの中で、難民の苦難や貧困、各国の社会情勢に生き方など読み取れるようになっていて。そういうのも面白さのひとつなんだよね。
音楽への熱は細々と持ち続けているよう(音楽を学びに行くのはマジで感心した)、いやでもちょっと流されすぎじゃね?いつラッパーになるのだ…と思いつつ、最後にはああこの人生だったからこの音楽なんだ!という地点にたどり着く、ちょっとした感動と高揚がある。CDを愛おしく持つカターの姿よ。
そんな下品なリリックを書く子に育ててない!ってイマジナリー母ちゃんに言われ書きなおすのが好きです。カター、本当に素直。
『アイアンクロー』観た
「家族」と「強くあること」と「成功」が父親の執念で固められた呪い。肉体は屈強でも心はボロボロ。「強さ」とは何なのだろうと考え込んでしまう。あまり連鎖的な不幸の数々に大変しんどくなるが、不穏で陰鬱な作品で好みだった。胃のあたりがぎゅっとなる痛々しさ…
冒頭、リングと父親の顔(ストンピング的なことをしている最中…)がオーバーラップする時点で、これは執念深くきつい内容になる…!とわかる仕様、良いですね。
父親の「プロレス=強くあること=成功」それで「家族が幸せでいられる」という図式をそのままに身に着けてしまった息子達。しかし、彼らは本心でその図式を望んだわけでなく苦しんでいるのだが、自分の感情をわかっていないというか、どう表現すべきかわからず困惑し次々と壊れていく様子を見つめるしかなく…という具合なので、なかなかえぐってくる作品。
主に男らしさの呪いなのだが、自分には母親の態度もかなりきびしいと感じた。信仰によって目の前の問題から逃げてしまっている。本当に仲の良い家族なのに中身がこんなにも脆い、アメリカの一面でもあるのだろうか…とも考えた。
恐らく一番優しいのだろう"長男"を演じたザック・エフロン、苦痛、嫉妬、混乱などの感情を繊細に演じていて素晴らしかった。
『死に方がわからない』読了
つづき
職業柄、死亡の前後の面倒くささは少しだけ垣間見れるので、書かれている内容もやっぱりそうかーと確認する感じのことがらが多かった。
それでも、緩和ケア病棟でも死ぬまで入院するのが難しい仕組みになっている(国の方針として変わっている)ことは、改めて事前に知っておくべきだなと思った。あとは、現在は検体への提供が余っているのは知らなかったので、少し驚いた。葬儀費用がかからない上に、利用後の遺体は丁寧に扱ってもらえるということで人気らしい。なかなか世知辛いことだなぁ。
とにかく死んでしまえばどうでもいいという人以外は、自分の意思を形にして、的確に伝わるようにするべしということですね。おいおい取り組みたいね。
『死に方がわからない』読了
独身、子なし、きょうだいなし、ついでにフリーランスで組織に無所属、とてもインディペンデントに生きる著者が「腐敗するまえに見つけてもらい、人生の後始末をきれいにして逝く」ために具体的に色々調べて考えた実用エッセイ。ポジティブ。
自分もかなり著者に近い状況(になる予定)で、全く他人事じゃないので楽しく読んだ。でも今は誰かがいる人も、頼れる先がなくなる可能性大なので(そういう事も書いてある)人生をきれいにフィニッシュさせたい人には参考になると思う。
著者は腐るのは絶対嫌派なのだが、自分は腐るのは仕方ない・諸々の死後処分も行政の手になるだろうな派なので、考慮しなくても良さげな事もそこそこあり。まあでも、処理を担当した人がスムーズに作業できる程度にはしておきたい。自分に重要なのは死ぬまでの助走期間の生活の質低下をどれだけ防ぐかだなと思った。そこは真剣に考える価値ありすぎ。
積極的に死にたくはないが長生きしたいほど悔いもない、若い頃仏教に接した上での死生観なんかが自分と近く、ニヤニヤ共感しながら読んだ部分もあり。
人との繋がりが必要ということが揺るがぬ問題なのだが、今のところそれは無理、今後の課題!と留保する著者の姿勢にも共感。難しいものは難しいんだい。
『ブラッド・スローン』観た
アメリカで刑務所に入ったら終わり、ギャングに関わったら終わり映画。人生の転落とはこういうことだ!という感じでつらい。いや、面白かったけれどね…。
よくアメリカでは刑務所に入ると無事に過ごすことはできないというが、なるほどですね…な作品。
主人公はエリートだし、頭を使うべきこともわかっているので、その場その場では身を護るため最善の選択をしているのだが、結果はすべて泥沼への一直線。これはもう転落することが決まった構造・社会のルールになっているので、一度そのレールに乗ったら終了という感じ(もちろん法律や刑務所によるだろうけど)。この状態を改善するにもコストが見合わないのかな…恐ろしいなアメリカ。
ムショでは弱みを見せたら終わりという助言→初日から実感→いきなりのピンチで攻めるしかない→悪目立ち、という展開が鮮やかにわかりやすく提示されるので、あっ…これはアカン…と絶句する。不運とはこういうことだとわからせられてしまう。おおぅ…
行動や経緯もスリラーらしく手堅い見せ方で面白い。主人公がもともと一般人なので、最後まで行く目的や心情も理解しやすかった。若者に「巻き込まれたんだろ」というのが切なかったな。
そして、飲酒運転、ダメ。ゼッタイ。映画でしたね。
『ダ・フォース』続き
BLMの動きの中でのNY、警察を舞台にしたのが複雑で面白かったのだが、なによりも驚いたというか強烈だなと思ったのが、あの街のアメリカの人権意識の強烈さ。(フィクションだが、取材して書かれているはずなので相当実態を反映してるのだろうと思われる。)主人公がわが街の社会を紹介する時の人種や系統の羅列がすごいし、兄弟同然の仲や恋人であっても意識の溝がどうしてもある。また人種だけでなく様々なくくりで身内意識を持ち判断していて本当に強烈。様々な背景を持つ者たちが社会を形成し生きる上での知恵なのだろうが(構造的差別の影響もありそれも問題だと思うが)、ニューヨークまたはアメリカで生きるの本当に苦しそう…と思ってしまった。身内意識自体は理解できても、生活の中での程度の激しさは実態に触れてみないとわからないし何も言えないや日本の私は、とも思った。
あと、主人公の生きる中で全てをコントロールしようとする意識がまた強烈で、それによって自縄自縛になっている面もあり、いやぁ地獄だなぁと、楽しくないけれど見て読んでる分には興味深くて面白かった。それってアメリカ社会の意識でもあるのかな…など思ったりもする。
『ダ・フォース』読了
「いかにして人は一線を越えてしまうのか。一歩一歩越えるのだ。」
前に1/5ほど読んで挫折したが、今回は完走。タイミングというものも大きい。が、この作品自体が進むにつれ熱量が上がりカオスと悲哀が爆発する大変面白いノワール、警察小説であった。
主人公はNYPDで辣腕をふるう白人の汚職警官、その日常、秩序を維持する"王"の苛烈な自意識がずらずらと開陳される前半。その中で一つの行動があまりにさらりと描かれ、いやぁさすが汚職のレベルが違う…と辟易。
しかしこの軽く見える一件が、自業自得の転落の道を熾烈にする問題であり、かつなぜ主人公は「警官」であり続けようとするのか?を語るもの…というのが大変面白くて。堕落し腐った悪徳の姿にも一抹の憐れみ切なさを感じるのを止められない。
約束された破滅の中で主人公が必死に汚れた手札を切るたび流れる血、司法全体の腐敗、街の腐敗、人種の軋轢がうねり絡み爆発する終盤のカオスなドライブ感が読ませる。怒りと後悔と矜持、やるせなくて涙が浮かぶ。
社会の腐敗と正義の堕落を徹底的に描きながら、それでも最前線の「現場」に臨み続ける者への敬意がある作品だった。あの序盤にしては意外にも読後感が悪くないんだよね、熱量と苦しい解放に放心するけれど。
『真夏の夜の夢(1999)』観た
シェイクスピアの戯曲、名前と妖精のパックが出ててんやわんやするということだけしか知らなかった作品、複数のカップルが魔法ですったもんだする、なるほどこういう話なんだね。オベロンが自己中、さすが王!喜劇で微笑ましくて普通に楽しかった。
台詞は演劇的、セットや衣装のこじんまりとした感じがこの話のファンタジックさに合っていて良かったと思う。その中で自転車ってのも意外で面白い。安っぽい感じもなかったし。衣装が凝っていて楽しいよ。ミシェル・ファイファーの妖精女王タイターニアが艶々プリティでとても良い!
2組のカップル4人が泥まみれになる勢いがすごい。オベロンとパックが「人間とは愚かなものよ…」となるのが納得の醜態w
でも夜が明けた時のまるでニンフな姿態が神々しい絵画の様で良かった。
あんなグダグダな職人たちの演劇で、いきなりサム・ロックウェルが演技で泣かせにくるとは思わなかったので嬉しい驚き。おいしい役だー。
クリスチャン・ベールだけ魔法かけられたままなのも愉快でかわいい。スタンリー・トゥッチが最後までキュート。
『デューン 砂の惑星 PART2』観たのでメモ
1は、映像がきれいだけどもっさりしていてあまり面白くない映画という印象だったので、それよりは面白くなっていた、個人的には。1の方が好きな人もいるだろうな、という感じだ。
話の展開が動くのと、チャニへの視点が多かったことが面白いと感じた大きな理由かと。信仰と戦闘の中で救世主が誕生する事への疑問の視線、現代の鑑賞者の感覚担当。あとポールの人間性を描く補助。
ポールの情緒の動きがあまり描写されないんだよね…予知に抗っているけどなんだか一面的だし。それでも1よりは主体性があるのでやや面白い。
アクションは1よりかなり観やすくなっていた。とても良かった…とは言えないけれど。
カットの長さや切り替えも、もったいぶった感じが減っていて観やすいと感じた。
世界観を示すような絵面は1より減ったけれど、まあそれは…1で映像や画は綺麗なんだけど全然エモくないんだよな…と思っていたので。
編集や映像のゆったりして美麗なのが、情緒や壮大というよりも重鈍に感じられていたのが減った、個人的には改善された印象かな。
音楽、音響は良かった。重低音でデュルデュルドコドコするのが話を煽っているので、結果劇場で観て良かった。
『アメリカン・フィクション』続き
アメリカでの黒人の状況を扱うこの作品をこう観るのは良いことなのかはわからないけれど、自分の場合だと「女性」のステレオタイプに反発したい気持ちが近いところかな、と思ったり。恋愛してない、結婚してない、子供いない、女友達との付き合いは淡白、所謂女性らしいもの・ことは別に好きでないなどなど…の中で、女性らしさを求められたら、うぜーーーー!それは私のリアルではない!!ってなるし、自分の中に存在するミソジニーはそういう所から来ていると思う。拗らせてはいけないと思っている。
主人公が嫌なやつ、というか嫌な所のある人間が正確だね、なので好みの作品だった。
あと、兄弟の関係が割となんでも言える感じで良かったなと。それは中年になったからなのかもしれないが。
表現物をジョニーウォーカーで例えているところが、商業性と芸術性のせめぎ合い的な様子で面白かった。表現者自身も、売れることと、表現物が受け入れられることと、評価されること、がごっちゃになるんだな、とかね。そこにアイデンティティが関わってきたりして、大変だなぁ。