「ドックからドジャースタジアムまで、ロサンゼルスの労働者は勇気づけられていると感じている。国内で最も労働に優しい州の1つであるカリフォルニア州の組合員は、賃金をめぐって雇用主に圧力をかけています。」
良い記事だ
特にコロナ関連ですかね。
各分野の専門家のツイートもいつもありがたく読ませてもらってたし、ニュースサイトも、海外のメディアから日本の地方紙から、何でも見れますし…。
それと同時に、私みたいな「名もない市民」みたいな人がそれぞれの居場所から発信してるのも(意見や物の見え方の私との異同関係なく…極端に言えばネトウヨなんかの存在も含めて)、私は広くいろいろ見渡して今の世界の様子を知るのにものすごく大事なことだと思っていたので、例えば課金した人だけの世界になったら、もうそれが台無しになっちゃうと思うんです。
…例えば「日本のサヨクと呼ばれる人たちでも、これだけいろんなこと言う人がいるのか?!ビックリ!!」みたいなことも、観察できるのが魅力だったんですよ、これまでのTwitter。
意見が違う人とかも、だから割とフォローしていた。お金払う人ただけになったら、随分、様相が変わっちゃいそうですよね、
アメリカも生まれたらまず番号が交付され、その後成長とともに免許証取得時や納税時に番号に紐付けされて行く。番号自体が基礎となるから同姓同名でも情報が入れ違うような事はない。
今の日本の大混乱は過渡期の一時的なものであって欲しいけど順番が違ったらいつまで経ってもミスは続くのではと私も思う。
根本的にスタート時点で合理的に出来ていない。
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イタリアの個人認証用の納税者コードは、まさにこういう同姓同名でもきちんと本人確認できるように作られた制度で、個人認証の基幹になるものだけれど、日本の制度は住民票などで個人認証した人に交付されるナンバーだから、設計一番最初のスタートで間違えてる。結果としてそのナンバーに後から紐付けされる保険証とか免許証とか全ての情報は必ず何かしらのミスを発生する必然なんですね。もちろん精度は上げられるけれど、設計のスタートが間違えているから今後も問題は永遠に続きます。
https://twitter.com/hiroshimilano/status/1671111385856503808?s=46&t=ohULUKF2vxPWOI6SEtklEQ
家族を持ち、何十年も日本に住んで生国の生活基盤を失っても、働けなくなったら追い出すような制度ということか。
https://mainichi.jp/articles/20230608/k00/00m/040/309000c
同僚が、ひとり夜勤中に倒れて、そのまま亡くなってしまったという経験から、本当にこれでいいのか、利用者の安全は守れるのか、という所からスタートしたプロジェクトです。
「ワンオペ」は、フロアに自分しかいないことから、すべてが自分にかかってくる強い緊張感や、交代要員がおらず適切な判断さえも怪しくなる長時間労働によるストレスはひじょうに過酷なものとなります。
一方で、施設としては、もう一人配置するだけの財政的なゆとりがないのが現状です。
利用者の安心安全はもちろん、職員自身がゆとりを持って介護に携わることができなければ、本当に安心・安全な暮らしなど実現できるわけがありません。
あまりにもつまんない人(かつ知性的じゃない)なんでビックリしちゃった…。なんで漫画の編集やろうと思ったんだろ。箕輪みたいになれると(なりたいと)思ったのかな。担当される作家は大変だなあ…(どこにもいるけどねこういう編集者)。
https://note.com/hiroyukiendo/n/nd078011e9e6b
https://okadaic.net/archives/15576
「さようならTwitter」と題された、岡田育さんのブログ記事。
私にとってTwitterは情報収集に便利なツールであり、感謝の気持ちくらいはあれどとりたてて想い入れはない。それでも
「『誰もがみな140字を1単位として短文を投稿する』という、我々が愛したあのSNSの、最も重要で最も美しいたった一つの詩的なコンセプト」
という箇所にはちょっと感動した。
日本に徒歩で入国できる人がいるのか?
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(125さんのツイート↓)
日本の難民認定率はなぜ低い?
自民党、宮崎政久氏
「飛行機で日本に逃れて来る人の多くは難民ではない、徒歩か船で入国する人が難民だ」
難民を支援づる弁護士 指宿氏
「私は全くそうは思わない、それは単なる難民のイメージ、飛行機で来る難民は沢山いる、根拠は?」⇒
https://twitter.com/siroiwannko1/status/1653380024429600768?s=46&t=7ijHXvOVYdXMvERcNmfP7w
ついでだから書いておくけど、新聞を購読していると折込チラシが入っているわけだけど、大阪だとそこに「大阪市会だより」という名目で事実上の維新の広報誌のようなものが市民の税金で印刷され、新聞社に広告料を支払って入れられているわけよね。政府広報なんかも同様だけど、私たちがお金を出さない代わりに誰がお金を出しているのかということ。
元を正せばそれは私たちの納めた税金かもしれないけど、それが誰によって誰のために利用され、誰に利益をもたらしているかいるのかということ。テレビで吉本の芸人が維新(やそこに所属する議員なんか)をヨイショする構造も同様で、大阪市や京都市と吉本興業が包括協定等を結んでいることは、みんなもよく知っているわけだよね。そこで私たちが一生懸命テレビ局なんかにFAXを送ってどうなるかってことなのよね。じゃあ何をすべきなのかってこと。
愛国心のある普通の日本人さまにとっては、生まれてこのかた差別をしたこともなければ、日本で差別がおこなわれているのを見たことも聞いたこともない世界線で暮らしておられるので、西田昌司が「『差別はあってはならない』とか、厳しい対立を生むような言葉遣いは、決して日本の国柄に合わない」などと言ったとき、当然それは「日本には差別が存在しないのに、あたかも差別があることが前提であるかのようなもの言いはけしからん」という意味に解するものだと思っていたけど、私の買い被りだったのかMastodonのみなさんはまだまだ擦り切れてなくて素直なんだなというのが意外だった。
そういえば、20年以上前になるけど、西田昌司がまだ京都府議会議員だった頃(だと記憶しているのだけど、記憶も曖昧)図書館でナンパした近所に住む同い年の熱心な自民党員がいて(ナンパといっても性的な含みは一切なく、同性で、今は遠くに住んでいるけど1、2年に1回ぐらいは会う機会がある)「とても演説のうまい人がいるから」と半ば強引に誘われて講演会に参加したことがあるのよね。
正直、差別むき出しで、天皇がどうとか紀元節がどうとかしょうもないことばかり言っていて、政策についてとうとう最後までなんにも聞くことができなかった。父親の話もしていたな。
それでも明確に印象に残っているのは、憲法記念日がなぜ5月3日かという話をしていたくだりで、やれ文化の日はいつか知っているかだの、それは明治節と言うのだけどお前らは日本人としてちゃんと知っているかだの、明治節は明治天皇の誕生日だの、その日に日本国憲法が公布されて半年後の5月3日が施行日だから憲法の日なんだのと、評判どおりのウヨなんだなと思ったこと。
その後、父親の後を継いで参議院議員になり、報道等で目にするたびに相変わらずだなと思ってきましたと。
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