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もう昔ほどに「(デジタル)ゲーム」というものを手放しで喜べなくなってきた。広告化ももちろんそのひとつだが(これはおそらくあらゆるメディアコンテンツにおいて避けられない運命だ)、SNS以上のstickinessを持つ、そして若年層の熱心さやエネルギーを吸い取って巨大化し資本化し隷属させるためのメカニズムとして運用されることが目立ちはじめている。今起きているのはクリエイティブプラットフォームとクリエイターの熱意をいかに「搾取でない形で利用するか」にフォーカスする戦争だ

私の好みとして、新潮クレスト・ブックスは当たり外れがあるが、白水社のエクス・リブリスはほぼ外さない

正直言うとFediverseとThreadsとBlueskyを全部くっつけてBlueskyを本拠にしておきたいんだよな。

『屍者の帝国』はネクロパンク兼言語パンクSFとして超良くできてるんだなと思い知らされる

三流プログラマが異世界転生してゴーレム職人になるゴーレムパンクなろう風ファンタジーをやったら面白いのではないか、と思った。当然、ラストは人間をゴーレム化(="ゾンビ"化)させる禁じられた技術で生み出された巨大ゾンビと超巨大アイアンゴーレムがロケットパンチやガリアンソードで戦います

今回ひょっとしたら初めての4桁順位になるかも

多分期待値+3~5回くらい続いたらもう永遠なんだよな

なんだって中学生とか高校生の頃はこういう時間が永遠に続くと思うんだろう、と思う。たぶんあんまり移動しないから地元(というか場所)に際限ない繰り返しが生まれてそこに永遠についての錯覚が宿る、とまで書いて空間的な繰り返しのパターンは非-空間的な繰り返し(何それ?)よりも永遠性を強調する、だから人は17歳で死ぬし女子高生は永遠性の象徴にされる、ほとんどの場合みんな均等に腐っていくのにね。

文章を書く時の癖として「◯◯である、と言った」とか「hogehogeだ、とfugafugaした」と書きがち。「hogehogeだとfugafugaした」と書くことはあんまりない。(後者は報道の文章だと思っている。

なんというか、「小説とはInverse Kinematicsである」ということだと思っています。

水原由紀/Yuki Mizuhara さんがブースト

といったことは、できる人は自然にできるので言語化されないし、人それぞれに自然なかたちがあって、誰かの形を他の人が使えるわけでもないので非常に伝えにくいという性質がある。

水原由紀/Yuki Mizuhara さんがブースト

あるいは、DTMソフトウェアで初心者がドラムを打ち込んでみたときと、初心者の小説は似ていて、ドラムの強度/ベロシティが調節されていないから。

水原由紀/Yuki Mizuhara さんがブースト

たとえばアニメーションでボールが跳ねているときに、時間の進行順に描いていくことはなくて、最初と最後を決めて、中間があって、その中間が、という風に限られたフレームの中で割っていくし、それぞれの像が「正確」である必要はなく、全ての瞬間を等しい重みで描いては面白くない。

水原由紀/Yuki Mizuhara さんがブースト

小説の書き方に、小説の書き方本や脚本の書き方本が参考になったことは全然なくて、アニメーションの作画入門とか、音楽理論の入門とかの方が役に立っている実感はあり。『手を動かして学ぶ アニメーション入門』とか『憂鬱と官能を教えた学校』とか。
あ、でも、『意味の変容』とかまでいくとまた別……。

「その人がどのようにして死ねば納得するかを決めてあげる仕事がしたい」、ちゃんと文字にすると本当にヤバそうな気配がしてくるな。

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