正直なところ「クルマがないと立ち行かないクソ田舎」という認識は多分あまり正しくない。「クルマがなくても生活が成立する極めて狭いエリア」が東京、京都、大阪など大都市近辺に点々と存在していて、その他の日本の国土の9割方以上はクルマがないと生活が難しいと思う
前に、熱心な管理者が高齢者施設の管理業務のIT化を提案するのを見たことがあるが、予想通り経営に蹴られてゼロに戻った。
だってそうでしょ、それによって入所者が増えるわけでも、現場の人員が減らせるわけでもなく、単に管理者が超激務から普通の激務になるだけなんだもん。経営側からしたらなんのメリットもない。日本はいまどこもそうだよ。成長の余地がないから投資の余地もないの。
> 写真や動画を扱えないという“縛り”に対して、ユーザーはある意味での新鮮さを感じているようだ
へ、へぇ〜。
あとプロフィールが細かく作り込めるという特徴があるみたいだけど、本当に流行っているとしてほんとにそれが理由なの〜?
実は若者に人気がある理由は別のところにあったりしない?
画像なしの新感覚SNS「noplace」、Z世代を魅了 将来はGoogle対抗?:日経クロストレンド
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00109/00191/
「『人権派弁護士』ってワードが揶揄になってると思ってる愚か者」みたいなモノで、「人権派」じゃない弁護士が居たら、そいつは、どう考えても自分がやってる仕事の職業倫理を踏み躙っている。
https://x.com/Toranomon512638/status/1824999838255132968
フィリピンにもたくさん慰安所があったようだ
日本軍はゲリラ討伐を理由に残虐な行為をしていた😢
「また、フィリピンでは、軍の占領地域で現地部隊が一般女性を強姦した上に、暴力的に拉致・連行して、駐屯地の建物に監禁し、一定期間連続的に強姦をつづけたことも多かったことが証言されています。この被害者達も慰安婦被害者と考えることができます。そのような女性の中には父や夫を目の前で殺された人も少なくありません。」
https://www.awf.or.jp/1/philippine-00.html
若い世代への戦争体験継承について、とにかくマイルドにして間口を広げる手法ってどれだけ意味があるんだろうと思う。
私は小学生のとき学校の体育館で『はだしのゲン』アニメの上映があり、半ば強制的に原爆を知った世代。言うまでもなく『はだしのゲン』は何一つマイルドじゃない。だからこそ強烈に印象に残った。その強烈さは、とても大切なことじゃないのかな。
「間口の広さ」というのは何も作品の性質だけに依存するものじゃなく、大人がそれを伝えようとするかどうかも大きい。なにせ私が小学生だった時代、『はだしのゲン』は間違いなく、読んだことのない人がいないくらい広く読まれている書籍だったから。
「継承の困難さ」を産み出しているのは、強烈なものを強烈なまま伝えることを阻む人たちであって、強烈な作品そのものではないように思う。
「終戦」79年にあたって
「仕事に命をかける」スタイルが存命な間は日本はまだ20世紀はじめからはじまった長い戦争、総力戦の中にいる。社会は「戦場」、その最前線=仕事場に「女がいたら足手まとい」が自明、女性を排除する自民党大本営は暗黙の支持をうける。老人は戦場にはいてほしくない困った存在だ。子どもはその総力戦の中で将来兵隊になるため「教育産業」なる軍需産業の餌食になり天然の野放図である子どもの時間を搾取される。「特攻隊は犬死」という主張に怒り狂う、あるいは眉をひそめるマジョリティ、これはこうしたあいかわらず続く軍事社会を再生産するど真ん中のコアであるからこそ彼らは自分たちを「右でも左でもない善男善女」と自称してはばからない。
あまりに長きにわたっているこの戦争の中で、軍事社会以外の生活を知らない世代が上から下までほぼ全員になってしまった。ただ、この軍事化に違和感をもち、軍事化されていない生活を送ろうとする少数者もいる。彼らは必然的に変わり者の世捨て人ということになり辺縁化されて軍事社会の保護から排除され、軍事社会の再生産は強化される。
アニメ、漫画、映画、KPOP、文学、読書、中国ドラマ、韓国ドラマその他雑多に日常も呟きます。政治や社会問題も。うつ状態治療中、手帳3級。アイコン、ヘッダーは公式からもらったもの、自分で撮った写真を使用。
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