では、泉前明石市長が稲村前尼崎市長を支持できるかと言えば、稲村氏は維新顔負けの政策を尼崎市長時代にずっとやってきた人で、子ども医療費の無料化拒否、公立学校の統廃合、市役所の窓口業務のパソナへの委託など住民向けの行政サービスを次々に削り公務員の非正規化を進めてきたような人で和泉市長が絶対にやらなかったと公言していることを数多くやってきた人なので、これは何があっても稲村氏を応援できるはずがない。
いろんなことが重なっての今回の選挙結果だったのかなというのが私の分析。次こそは稲村氏ではない住民ことを考えて仕事をしてくれるような人が誰か立候補して当選することを期待して、まずは文書問題についての百条委員会、第三者委員会での調査をしっかりおこなってもらい、選挙中の刑事犯罪についてはしっかり捜査してもらい、斎藤元彦新兵庫県知事にはできるだけ早く二度目の不信任が出されることを期待している。
例えば1980〜90年代ぐらいまでは、漫画本やロックのレコードを自主制作&自主流通するようなことも、大資本に占有されたインフラ状況へのカウンターパンチになり得た。しかしプラットフォーム資本主義以降は、インディレベルで既存インフラに対するカウンターを仕掛けることが、とても難しい。
どんなアクションも、大資本が用意するプラットフォーム上のいち商品としてしか成立し得ない。インフラレベルでカウンターを仕掛けること・既存状況を否定することの難易度が、果てしなく上がっていく。表現のレベルでカウンターであっても、インフラのレベルでは大資本の論理を飲むしかなくなっている。
スケールすることこそが正義という感覚は、ビジネスのレベルだけでなく文化表現のレベルにおいても、この10年ほどで深く再強化されたと思う。自立性や個人主義的思考は、どんどん蔑ろにされていっている。
神戸出身の相方が「同級生らも斎藤に入れたって言うてた」って言うので「なんで??????」と聞いたら「あの自⚪️した職員がおるとか全部ウソらしいで」だって、、、。
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ハァァァァァァァ(特大のため息)
トランプと毛沢東を並べたり、文化大革命との類比は、すでに指摘されてますね。普通の感覚ならそうなるのかも。
有料記事なので全部読めませんが、
Asia Sentinelというオンラインマガジンに「In Trump, Americans Get Their Chairman Mao」(トランプは、米国版毛沢東主席になる)という記事があります。
トップの写真が、紅衛兵の帽子とMAGAキャップ。まさに私が感じたことそのもの。
https://www.asiasentinel.com/p/donald-trump-americans-get-mao-zedong
トランプは米国版文化大革命を目指す?
米政府効率化省(DOGE)でイーロン・マスクの下の地位を得たヴィヴェック・ラマスワミ(vivek ramaswamy)氏のFOX Newsでのインタビューが、インドの英字新聞に記事にされている。
記事をざっと読んでの感想。政府組織の効率化のために、政府機関、省庁を廃止、大幅に縮小するという計画を述べているが、彼の発言から私が思い出し浮かべたのは、中国の文化大革命。
トランプは、知識人や政敵を粛清する目的でDOGEを利用するのではないか? 反WOKEというお題目を唱えて、リベラル狩りもあるかも。
MAGAが紅衛兵に見えてきた。文化大革命の末路はご存じの通り。ただ21世紀の今、トランプ政権の無謀なやり方と米国の影響力は1950-60年代の文化大革命当時の中国とは桁が違う。世界各地に被害を及ぼすのはやめてくれ。ワクチンやその他の感染症対策、そして地球温暖化への対応など。
デマでバカを騙してしまえば、白いものも黒となるということが実証されてしまったのは本当に堪える。これから世界はこうした情報操作が行えるやつのおもちゃにされ続けるんだろう
それを見てバカはしたり顔で世の中こういうものなんだ正義も平等も嘘なんだ大人になりなよとか言うんだろ
斎藤兵庫県知事の問題の本質はパワーハラスメントにはないと下僕はずっと思ってきた。
あの人の問題点の本質は、新自由主義であることと、権威主義であることだ。この場合、権威主義には、上の立場のものには理不尽が許されるということと上の立場に着くものには能力があるということとが含まれる。斎藤氏の場合、この上にさらに個人的な利得への弱さが加わって、注目されるような事柄を引き起こしたのだと思う。
では、権威主義や新自由主義、あるいはその複合形態の何が問題なのかというと、それが立場の弱い人の権利を侵害することが最も大きい。なので、そこに焦点を当てるためにパワーハラスメントという概念がある。パワーハラスメントは、だから、問題の現れ方にすぎない。そこから話が深まっていくべきなのだ。
ところが、メディアを含めた世間はそのようには考えない。そこではパワーハラスメントや公共財の着服だけが問題とされる。百条委員会のスタンスもそうだ。それがなぜなのかと言えば、答えは「世間も新自由主義や権威主義を信奉しているからだ」ということになる(続く)。
(続き)
権威主義という言葉に抵抗があれば、ここでは実力主義といいかえてもよい。新自由主義と権威主義の融合とは、全てを競争原理に基づかせ、競争の勝者に広範な特権を認めるという価値観である。そういうものは今の社会に幅広く浸透し、正しい原理として認められている。
このような世界では、「パワーハラスメント」とは、正当性のない権力の行使を意味するものになる。つまり、その特権が競争の勝者によって行使され、また、競争原理をより普及させるために行われるなら、それは問題ではないと考えられるということだ。
今回の兵庫県知事選挙をめぐるネット世論の動向は、このような原理に基づいていると思う。新自由主義と実力主義の弊害は自分の身近に起こるまでは理解できないから、遠くから見て「斎藤氏はおかしくない」と思った人が多かったということだ。それはこの社会そのものの病理の表れであって、一時的な現象ではない。
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙