今起こってることは多分、いろいろな知識浸透のタイムラグが悪い方に最大化された結果なんだろうと思う。仮説。
例えば「既得権益」なんて言葉は30年くらい前の流行り言葉だ。一部の人にとってはことはそう単純じゃ無かったなという過去の言葉でしかない。だけどおそらく6〜7割くらいの人にとっては、ままならない現状を鮮やかに切り取る新しい概念なんだと思う。そういうことが薄く広く重なり合った結果の今がある。
その後押しをしてるのがネットでの情報伝播の速度だったりエコーチェンバーの密度だ。まちまちな時期に発生した、結果として間違っていた知識、3割の人たちにとってはとっくに否定されたことが、7割の人にとっての新しいこととして同時に現代に到来する。
これであれば歴史も習俗も経済力も違う世界中の地域で同時多発的に同じ結果が繰り返される理由として説明できるんじゃないか。
ウィキペディアの「衆愚政治」の項にこんな記載が…Oh...
社会的判断力が不十分な多くの市民が意思決定に参加することで議論が停滞したり、扇動者の詭弁に誘導されて意思形成を行い、合理的ではない政策執行に至る場合がある。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えに基づかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定を行うことで、コミュニティ全体が不利益を被る政治状況を指す。
自分が兵庫の県職員だったらどうするかなあ。10年20年公務員とかやっちゃうと実際のところなかなか潰しは効かないと思うんだよね。
「『貧しい子の来る場』というラベリングをされると、
本当に必要な人たちはむしろ来られなくなってしまいます」
「子ども食堂行くな」の言葉に隠された母親の本意
(2023年1月記事の再配信)
https://toyokeizai.net/articles/-/840335
「子ども食堂は「貧困対策」のためにあると思われがちだが、
目的はそれだけではない。
孤食の解消や地域の交流、地元の農産品を使った食育などさまざまだ」
「大人の中には、支援を必要とする子の分の食事を
自分が食べてしまうのは申し訳ないと考え、来所を控える人もいる。
しかし特段の事情を抱えていない大人には、
1食につき数百円を支払ってもらう食堂も多く、
こうした場合はむしろ、利用することが運営のサポートにつながる」
湯浅誠「出入りする人が多いほど、必要な子も紛れやすくなる。
食堂に行くことこそ、支援だと思ってほしい」
これは昔から言われているんですが、東南アジアって「二重社会」なんですよね。日本は格差が広がったとはいえ、まだまだ「中流」がたくさんいる国。収入でも、学歴でも、意識の高さでも(あえて「リベラル」の皆さんの嫌いな言葉を使います。「民度」って奴です)、やっぱり「フツーの人」がまだまだ多い。
それに対して東南アジアは、レベルの低い人はドチャクソ低い(毎日決まった時間に会社に行くのもムリとか)、レベルの高い人はドチャクソ高い(会社いくつも持ってて子供は当然ヨーロッパ留学とか、お金はなくとも土日は毎日貧しい人のためにボランティアとか)という2極なんですよね。
例えばベトナム語にも「上流中流下流」という語がありますが、ベトナム語で「下流」というと、貧しいとかじゃなくて、スラムに住んでて物乞いやカッパライで生きてるような人を指します。ベトナムには未だに、「物を盗んでから証拠不十分だと開き直って、取り戻したいなら金払えと凄む」みたいなビジネスが存在していますしね。
添付画像の緑色が日本だとすると、ベトナムは黄色みたいな感じです。
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙