#折田楓 のこの兵庫県知事選挙のnote、読み返してみると笑える。
https://note.com/kaede_merchu/n/n32f7194e67e0
> この記事が、今後の選挙で候補者を支える関係者の皆さまに、そして広報に関わる全ての方にとって、役に立つものとなることを心から願っています。
> 「広報」というお仕事の持つ底力、正しい情報を正しく発信し続けることの大変さや重要性について、少しでもご理解が深まるきっかけになれば幸いです。
(大きく中略)
> 繰り返しになりますが、この記事が今後の選挙で候補者を支える関係者の皆さまに、そして広報に関わる全ての方にとって、役に立つものとなることを心から願っています。
> また、「広報」というお仕事の持つ底力、正しい情報を正しく発信し続けることの大変さや重要性について、少しでもご理解が深まるきっかけになれば幸いです。
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この、広報とは何たるかを教えたる、お前らが少しでも理解してくれたらうれしい、という上から目線の文章が、実はとんでもないヘマをしているアホなものだったことのおかしさ。
「支援者のスアレス弁護士によると、日本軍は「赤い家」と呼ばれる軍司令部に女性たちを連行。1~3日間監禁し、兵士らが強姦や性的虐待を繰り返した。大半は当時9~14歳の少女だったという」
【日本軍の集団強姦で賠償を フィリピンの被害女性らが訴え】 2024/11/23 - 共同通信 https://nordot.app/1233006605470581216
こうなってくるともはや「思想強め」は揶揄や侮蔑の言葉じゃなくて褒め言葉だろ。少なくともあんなアホなネット戦略に引っかかる人はいないよ。思想強めだもん。民主主義とはとか言論の自由とはとか人権とはなんて普段から真面目に考えてるもん。
レーザーみたいにまっすぐ見てんだよ、人権無視の権力勾配に依った所業で人二人の命を散らしてんの。民主主義の根底を揺るがすおかしな選挙戦略で勝てばいいとやらかしてんのも。惑わない。問題はそこだ、と目をつけてる。
思想弱めで悪口嫌い!の人たちの弱い視線が弱いが故にその遥か以前で視線を遮断されあらぬ方向へ攫われていった、その網を掻い潜ってんのよ。思想強いってそういうこと。強いんだ。まっすぐ見るんだ。そこへ届く視線の力があるんだ。
自分はそう思ってる。
いっこやりたいなあと思ってることがあって、それはBlueskyではあまり記事引用などで政治のことをいわないっていうアカウントづくりです。好きなことわーきゃーぼそぼそ言ってる中で、「政治的なこと」も同じトーンでポロッと出てきたり文句言ってたりっていうアカウントに憧れて……いたんだよ…………Twitterではなんかうまくできなかったんだ…………!!!!! まあ最初から「政治がメイン」だともう「そういう感じ」になっちゃうじゃん、広がりもなにもねえな、というのもあります。マストドンに最初に来たときもそう思ってたし心がけてるけど。言うてここはわりとそもそもでひっそりしてるので…………それがいいとこでもあるし…………。Blueskyではフォロワー10人以下なのである意味あっちの方が(私のアカウントは)ひっそりしてるけども。笑うとこですよ。
バズらせる事で自分をコンテンツ化して生計を立てるのって、人よりも秀でた才能とか持ってなければ、売春と一緒で持続可能な職業じゃないと思う。
/ “こんな思いでいるの恥ずかしいけれど、Twitterでバズって社会に拾われてライ..” https://anond.hatelabo.jp/20241122231100
“チェルシーは「社会ではいかなる差別も許されず、われわれは、所属選手やスタッフ、サポーターに対するいかなる誹謗(ひぼう)中傷も容認しない」「われわれは、あらゆる文化やコミュニティー、アイデンティティーの人々を歓迎し、祝福する、多様性のある包摂的なクラブであることを非常に誇りに思っている」と述べた。”
豪女子代表FWカーらに同性愛「ヘイト」 チェルシーが非難 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News https://www.afpbb.com/articles/-/3549891
世界で最も背の高い女性としてギネス記録に載っているルメイサ・ゲルギさんが話題となり、その中で彼女をトランスジェンダーであると疑うネットの反応の急増がみられた…と伝える海外記事。ルメイサ・ゲルギさんはトランスジェンダーではありません。これは女性らしくない女性を片っ端からトランスジェンダーであると決めつける、いわゆる「トランスベスティゲーション」陰謀論の一種であり、相変わらずこれら女性蔑視は衰える気配がありません。
https://www.thepinknews.com/2024/11/22/rumeysa-gelgi-trans/
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙