新しいものを表示

ギルガメシュ叙事詩をKindleで読んでいるが、序文に井筒俊彦が出てくる時点で面白すぎるが、注にワンタッチで飛べず読みにくい……Kindle……
読書会にはアッシュルバニパル展の図録を持って行こう

花火のせいで町中のお子たちがギャン泣き

自分に降りかかる暴力にどうしたらいいのか、というのは、別
客観で見ると自分に降りかかる暴力ではないこともある

スレッドを表示

短文SNS、会話ができるせいで、発言してるひとは読み手に「わたしに話しかけている!」と思われがちだが、「わたし」に含まれる属性の認知が人によって違うので、話が噛み合わず、感情的になりがちで、なんも建設的にならない。解散!法廷で会おう! ということになりがちなので、理論の蓄積と共有のための広い意味での教育と法律の整備は、SNSの外で粛々とやり、それができるまでは争いに加わらないほうがよい(黙っていたほうがよいこともある)

アッカド語講座を第三回で逃げ出した者として……

スレッドを表示

元アッシリア勢として『ギルガメシュ叙事詩』始めました(2週間で読めるのか???)

あとナラティブセラピーの本もオススメ

両方ともプロットや全体を考えるためのフレームワークがいっぱい載ってるんで、自分にあてはまりそうなやつを使うとよい

スレッドを表示

仕事で必要になって改めてロジカルシンキングのビジネス書をいろいろパラパラ読んだのだが、小説書く人が日々やってることが書かれており、やはりロジカルシンキングの本は小説書く人にオススメです。

理解しなければ受け入れないとか、腑に落ちなければ受け入れないとか、そういうこと自体が特権なんだけど、まあ自分の生命の危機があるかどうかの場合だと、評価したがるし理解できないことは不安だし恐怖だよね。だれでもある場面ではマジョリティである場面ではマイノリティなんで、だれでもバイアスはかかりうる。そこをひとつひとつ切り分けるには、やはり理論の蓄積がある専門家が必要で、素人のわたしの言ってることに穴はたくさんあると思うけど、現実の社会を生きていくためには、個人と集団の区別は最低限ついたほうがいいと思うよ。

スレッドを表示

だいたい地球に生きてる人間全員を理解することなんて土台無理なんで、だから集団同士憎み合ったり一方的に暴力をふるったりするんだけど、もう21世紀なんで、歴史に基いて、理解できない他者でも、そのひと個人がなにをしたかだけ考えて、問題なければ受け入れようぜ。その「受け入れる」という行為の特権性も認識しつつ。

スレッドを表示

攻撃してるひとたち、相手が一枚岩だと思いがちだけど、「敵」が集団である以上、全員同質であるわけがないし、集団に属するという決めつけ自体が不当であるということもある。ということはパキスタン映画『神に誓って』が教えてくれますが、この映画は映画だけど世界文学だと思うよ。

アブドゥルラザク・グルナ『楽園』は世界文学ですが、言語も慣習も全然理解できないしなんなら自分を攻撃してくるひとたちに対して、それでも信頼できるのか、信頼はできないかもしれないけど、ただ地球に在るということ、存在自体は否定できない、ということを教えてくれます。

こちら、少し修正しました。社会的なふるまいと内心の信仰は別なので。
QT: fedibird.com/@michishikagami/1
[参照]

🦜鹿紙路  
宗教はべつに人間を救わなくてもいいと思うんですよ。だって宗教持たなくても生きてるし。どんな信仰を持っていても、だれもそれを変えたりコントロールはできない。目の前の人が主語として何をしたかを考えましょう。その人は誰かを侮辱したり傷つけたりしたのか。 理解できなくても、目の前のひとを受け入れられる...
🦜鹿紙路 さんがブースト

宗教はべつに人間を救わなくてもいいと思うんですよ。だって宗教持たなくても生きてるし。どんな信仰を持っていても、だれもそれを変えたりコントロールはできない。目の前の人が主語として何をしたかを考えましょう。その人は誰かを侮辱したり傷つけたりしたのか。

理解できなくても、目の前のひとを受け入れられるようにするのが文学だと思う(理解できるようにするのが学問だと思う)ので、みんなで文学を作り、読み、一緒に勝とうぜ。

スレッドを表示

宗教はべつに人間を救わなくてもいいと思うんですよ。だって宗教持たなくても生きてるし。どんな信仰を持っていても、だれもそれを変えたりコントロールはできない。目の前の人が主語として何をしたかを考えましょう。その人は誰かを侮辱したり傷つけたりしたのか。

理解できなくても、目の前のひとを受け入れられるようにするのが文学だと思う(理解できるようにするのが学問だと思う)ので、みんなで文学を作り、読み、一緒に勝とうぜ。

スレッドを表示

インド勢並感でインドの話するけど、ヒンドゥー教も教義も聖典もない宗教で、ヒンドゥー右派はひどいことばっかりするが、それでヒンドゥーは悪だとかヒンドゥー教の神さまなんか信じないとは言わないでしょう、侮辱だから。コミュニティ外のひとにメリットがほとんどないのがヒンドゥーも神道も共通点だけど、だから世界に存在するなとは言わないでしょう。

主語の切り分け、権力差(権力があるほうに人間が固まりやすい)、編集して利潤を得ている会社が責任を取らないこと

集団を規定して、属する人たちの内心や行動を決めつける行為、それは差別であり偏見ですよ。セクシュアリティや民族や人種や階級では理解しているのに、宗教だとどうして理解できないんでしょうね

スレッドを表示
古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。