短文SNS、会話ができるせいで、発言してるひとは読み手に「わたしに話しかけている!」と思われがちだが、「わたし」に含まれる属性の認知が人によって違うので、話が噛み合わず、感情的になりがちで、なんも建設的にならない。解散!法廷で会おう! ということになりがちなので、理論の蓄積と共有のための広い意味での教育と法律の整備は、SNSの外で粛々とやり、それができるまでは争いに加わらないほうがよい(黙っていたほうがよいこともある)
元アッシリア勢として『ギルガメシュ叙事詩』始めました(2週間で読めるのか???)
仕事で必要になって改めてロジカルシンキングのビジネス書をいろいろパラパラ読んだのだが、小説書く人が日々やってることが書かれており、やはりロジカルシンキングの本は小説書く人にオススメです。
攻撃してるひとたち、相手が一枚岩だと思いがちだけど、「敵」が集団である以上、全員同質であるわけがないし、集団に属するという決めつけ自体が不当であるということもある。ということはパキスタン映画『神に誓って』が教えてくれますが、この映画は映画だけど世界文学だと思うよ。
アブドゥルラザク・グルナ『楽園』は世界文学ですが、言語も慣習も全然理解できないしなんなら自分を攻撃してくるひとたちに対して、それでも信頼できるのか、信頼はできないかもしれないけど、ただ地球に在るということ、存在自体は否定できない、ということを教えてくれます。
こちら、少し修正しました。社会的なふるまいと内心の信仰は別なので。
QT: https://fedibird.com/@michishikagami/113248430788299907 [参照]
インド勢並感でインドの話するけど、ヒンドゥー教も教義も聖典もない宗教で、ヒンドゥー右派はひどいことばっかりするが、それでヒンドゥーは悪だとかヒンドゥー教の神さまなんか信じないとは言わないでしょう、侮辱だから。コミュニティ外のひとにメリットがほとんどないのがヒンドゥーも神道も共通点だけど、だから世界に存在するなとは言わないでしょう。
5/19に新刊『蜜蜂よ、夜々を遊行せよ』(18世紀インド幻想文学)出ます。