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攻撃してるひとたち、相手が一枚岩だと思いがちだけど、「敵」が集団である以上、全員同質であるわけがないし、集団に属するという決めつけ自体が不当であるということもある。ということはパキスタン映画『神に誓って』が教えてくれますが、この映画は映画だけど世界文学だと思うよ。

アブドゥルラザク・グルナ『楽園』は世界文学ですが、言語も慣習も全然理解できないしなんなら自分を攻撃してくるひとたちに対して、それでも信頼できるのか、信頼はできないかもしれないけど、ただ地球に在るということ、存在自体は否定できない、ということを教えてくれます。

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だいたい地球に生きてる人間全員を理解することなんて土台無理なんで、だから集団同士憎み合ったり一方的に暴力をふるったりするんだけど、もう21世紀なんで、歴史に基いて、理解できない他者でも、そのひと個人がなにをしたかだけ考えて、問題なければ受け入れようぜ。その「受け入れる」という行為の特権性も認識しつつ。

理解しなければ受け入れないとか、腑に落ちなければ受け入れないとか、そういうこと自体が特権なんだけど、まあ自分の生命の危機があるかどうかの場合だと、評価したがるし理解できないことは不安だし恐怖だよね。だれでもある場面ではマジョリティである場面ではマイノリティなんで、だれでもバイアスはかかりうる。そこをひとつひとつ切り分けるには、やはり理論の蓄積がある専門家が必要で、素人のわたしの言ってることに穴はたくさんあると思うけど、現実の社会を生きていくためには、個人と集団の区別は最低限ついたほうがいいと思うよ。

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