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『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』
著/カロリン・エムケ
訳/浅井晶子

ドイツで2016年に出版された本だけど、今の日本がようやく議論し始めた議題のほとんどが取り上げられていた。「女性」「宗教(※ISの話)」「移民」「トランスジェンダー」etc...

平易な言葉で書かれているけれど、決して易しい本ではないと思う。この本がベストセラーになったというドイツが心底羨ましい。日本の議論は周回遅れなんだなと改めて感じた。それでもここから始めるしかない。

均一な民衆、真の宗教、自然な家族、適切な文化。一義的な価値観は「そうではないもの=不純なもの」への憎悪を焚きつける。憎しみに抗っていくために、不純な世界を生きる『我々』は世界の多様性を信じて発信していこうというメッセージが凄く響いた。

図書館で借りた本なのでゆっくり読めなかったのが残念。でも翻訳書は高いから気軽に手が出ない。文庫、出ないかなぁ…。


『姫とホモソーシャル』
著/鷲谷 花

マッドマックスに宝塚を幻視し、バーフバリを母親の要求を代行する家父長制として読み解く最初の章が面白すぎた。バスの中でニヤニヤしながらよんだ。あと私も宝塚を観てみたくなった。

黒澤明は男ばっかりな話が多いけれど、見ていてもあまり嫌な感じの男臭さがしなかったことを思い出し、その理由が解きほぐされていく心地がした。

タランティーノ映画は女性の描き方が独特で、何かしらのフェチズムは感じる(特に足)し問題意識もあるんだろうなとは思っていたけど、フェミニズムの文脈からの見方がとても刺激だった。

その他ハウル、ナウシカ、ホルス、でてきた作品全部もう一度見たくなった。だいたい見たことのある作品ばかりだったのに、全然異なる視野が開けて楽しかった。


『わたしが先生の「ロリータ」だったころ』
作/アリソン・ウッド
訳/服部理佳

最低最悪な本だった。特に、これが実話ということが。

17歳のアリソンが28歳の高校教師と交際していたときのエピソードが延々と綴られる。これが一昔前の少女漫画なら、教師と学生のロマンチックな恋物語にされたんだろう。著者アリソンは30代半ば、17最だったのはたしかに一昔前だがロマンチックでもなんでもないし、彼女にとって当時の痛みは一昔前ではない。

それにしても、なんて巧妙に未成年の心に取り入るんだろう。君は特別だし自分たちの関係は神聖なものだと言われて揺らがない子がいるだろうか。自分だけの秘密を大切にしない子がいるだろうか。

第三章、生き延びた著者が「あれは虐待だった」と認めていく過程がつらかった。あれは恋だった、彼は自分を愛していた、そのすべてが裏返ってゆく。別れてから何年経っても、ふとした拍子に記憶の底からあの頃の思い出が蘇る。

100分でフェミニズムのとき、上間先生が仰った「身体を使って起こったことは甘く見ない方がいい」という言葉について思う。出来事が語り直されるとき、身体は自分を裏切る。

でも、裏切らせた奴が悪い。そいつは悪い大人だ。そんな奴がこの世に存在していることを直視したい。

『私のペンは鳥の翼』
著/アフガニスタンの女性作家たち
訳/古屋美登里

飾らない文章、まっすぐな表現で描写される爆弾や死や空腹。読み始めたとき、私はこれらの小説を幻想文学、マジック・リアリズムの作品のようだと感じた。通学路で爆弾に身体を吹き飛ばされることに怯える日常がリアルとはおもえなかったし思いたくなかった。私にとってアフガニスタンの日常は幻想文学でしかないのか…と、ちょっとばかりショックを受けた。

とにかく頻繁に人が死ぬ。書かれた時期や場所は異なるのに、爆弾が降ってきては夫や子供や友達や見知らぬ誰かを吹き飛ばす。あと、みんな常にお金に困っている。お腹を好かせている。そうじゃない話はなかったほどに。

そんな中でも、赤いブーツを履くことを自分で選んだ少女や、女手一つで子供二人を育てていく決意をした未亡人や、水路を掘った女性の話は、わたしたちにはより良い未来を選び取るだけの力があるのだと告げている。それを信じる勇気をくれる。

どうか、この物語たちが最初に書かれた言語で印刷されて、アフガニスタンで出版される日が来ますように。


マーガレット・アトウッド『侍女の物語』

夏からとりかかってようやく読み終えた。読んでる間中息苦しさを感じてしんどかった。どれだけ読んでも「ギレアデ共和国」の全体像が分からない。何も分からないまま主人公の人生はだらだらと続きある日唐突に物語が終わる。

自分は何もしないけれど友人や母親に英雄的な行動を期待する主人公に共感した。私も彼女と同じだから。でも何ができるだろう。この息苦しさは今の日本に生きていると身近に感じるタイプの奴だと思った。

同じ性別の年配者に若輩を管理させるやり口がおぞましかった。タランティーノ『ジャンゴ 繋がれざる者』の奴隷頭スティーブンを思い出した。でも、権力勾配で辛酸舐め続けた年配女性が若輩女性に年代物の「生き抜く知恵」を教えるのは今に始まったことじゃないし、「産む女」「産ま(め)ない女」の格差がひどくて貧しい女は身を売る現状や、支配者層=男から「価値のある女」に認めてもらわないと生存が脅かされるのは部分的に現在進行形なので、ギレアデ共和国の時代がディストピアだったら今もわりとディストピアだなと思った。

年明けの『100分de名著』でどんな解説が聞けるのかとても楽しみ。

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