これは筋トレに関しては間違いなくそうだと最近思う。やれたことで自己肯定感も上がるしね。
宅録活動にも応用せねば…。どーせおれが作れるビートなんて塩水で茹でた肉くらい素朴なもんなんだから、コツコツちょこちょこやるくらいでいいはずなのだ。
本来のポモドーロ・テクニックとは違うかもしれないけど、25分勉強して5分休んで、25分読書して5分休んで、と、色々やりたいことの多い私は少しづつたくさんのことをするリズムとしてポモドーロ・テクニックがしっくりきた。たった25分でも、今日は勉強も読書も編み物もできたと思うと嬉しい。
吉見義明『草の根のファシズム』読了。1987年に刊行された本の改訂版。戦時中の日本の庶民の手記や手紙を丹念に取材し、軍部やマスコミに躍らされて戦争に向かった被害者という庶民への従来の見方をガラリと変える。当時の日本の大衆の中にも戦争に勝って領土を拡張したいというファシズムが根付き、戦争に負けた後もすぐには変わらなかったことがわかる。「敵国」アメリカへの見方は変わってもアジア諸国への蔑視は変わらなかった。日本ではイタリアのようにレジスタンス運動が起きなかったことも含め、日本の民衆の間に根付いた天皇制ファシズムの問題は根深い。その中でも実体験から植民地主義への真摯な反省をした人達もいたことは希望ではある。私も当時生きていたら多くの人と同じく戦争に肯定的だったのではないかと思うし他人事ではない。
@upasampada 知ることの実利的重要性もきちんと認識していたでしょうし、臣下を理解することが君としての徳であるみたいな華夷秩序観念も関係してるんでしょうね。だからか、知的好奇心ベースっぽいギリシャの歴史家たちの記述と比べてもより正確なことが多い気がします。
印欧語族についてはまさにおっしゃる通りで、インド支配の正当化にも、ナチのレイシズムにも繋がってたわけで、学問の罪は本当に重いのです。今の学者の人たちには、そこをよくよく意識してほしいし、もちろんそういう学者さんもたくさんいるんですが、そうでない人もけっこうおり…。
@upasampada ありがとうございます…!
@upasampada 中国の歴代王朝は、もちろん中華思想的な上下関係を設定しはするんですけど、周辺諸国・族の言語や習慣に関する情報はかなり精密に集めて記録してる面もあって、最近は分子人類学とか考古学とかの証拠と中国の史書を付き合わせて考えるといろいろ合理的に説明がつく、なんてこともあるんですよね。たぶん、正確な地誌を記録することと、諸族を治め君臨することとが観念として関係してるんでしょうね。
近代的学問としての言語学と権力にも、おっしゃるような関係性は実はめちゃくちゃあって、それがたとえば、言語系統論というものの無理な当て嵌めという現象を生んだ側面はあると思いますし、またそうして作られた「族」が、支配の正当化のツールとして用いられるというダメな共犯関係もあるんですよね。アカデミアは全然権力から自由ではないから…。
@fukuyoken3daime ありがとうございます😭
めちゃくちゃ疲れてるから寝なきゃいけないんだけど、テンションが上がってしまってて眠れないやつ。
@upasampada オタクの早口失礼しました。
読み飛ばしてくださいね。
@upasampada 日韓同祖論とか日流同祖論みたいな同祖論的な議論一般が、植民地支配の正当化に用いられてきたものなので、とても取り扱いに注意を要するのですが、一方で長年関係し続けているのも確かで、相互に影響し合ってる面も確実にあるんですよね。近代的ナショナリズムに引っ張られない形で、ネイションを超えた人の移動と交流の歴史(平和的なものも暴力的なものも含めて)として考えることができれば、豊かな可能性もあるんですが。日ユ同祖論みたいな、レイシズム以外になんの根拠もないやつは論外ですけど。
また、言語系統論について言うのであれば、印欧語族やネイティブアメリカンの言語、オーストロネシア語族とかのたまたま系統関係をうまく処理できた例をモデルに、アジアのとくに北と東の方の言葉の歴史を考えても、そもそもなかなかうまくいかないという問題があると思います。
言語系統論は強力なツールではありますが、それは言葉の歴史のひとつの側面をうまく描くのに適しているというだけであって、言葉同士の関係というのは、系統論だけで考えることができるほど単純ではないんですよね。たまたまうまくいった例があり、しかもそれが印欧語族という、欧州という覇権地域で(も)使われている言語だったがために、歴史言語学=言語系統論みたいになったんですけど。
尊敬する人はローズウォーターさんです。在日コリアン。