門外漢なのでゆるゆると論文とか見てるだけなのですが、そもそも司馬遼太郎とかの時期のウラルアルタイ語とかの概念からKoreanic LanguagesとJaponic Languagesという分類も確固たる証拠がないままズルズル来てるというところも興味深いところで。

ていうか柳田邦夫とかの学者なども日帝時代に植民地主義を正当化させるために稲作とか製鉄とか由来をボヤけさせたのもかなりこの言語の伝播の関係をひっちゃかめっちゃかにしたのではないかなとか。

日韓同祖論とか日流同祖論みたいな同祖論的な議論一般が、植民地支配の正当化に用いられてきたものなので、とても取り扱いに注意を要するのですが、一方で長年関係し続けているのも確かで、相互に影響し合ってる面も確実にあるんですよね。近代的ナショナリズムに引っ張られない形で、ネイションを超えた人の移動と交流の歴史(平和的なものも暴力的なものも含めて)として考えることができれば、豊かな可能性もあるんですが。日ユ同祖論みたいな、レイシズム以外になんの根拠もないやつは論外ですけど。
また、言語系統論について言うのであれば、印欧語族やネイティブアメリカンの言語、オーストロネシア語族とかのたまたま系統関係をうまく処理できた例をモデルに、アジアのとくに北と東の方の言葉の歴史を考えても、そもそもなかなかうまくいかないという問題があると思います。
言語系統論は強力なツールではありますが、それは言葉の歴史のひとつの側面をうまく描くのに適しているというだけであって、言葉同士の関係というのは、系統論だけで考えることができるほど単純ではないんですよね。たまたまうまくいった例があり、しかもそれが印欧語族という、欧州という覇権地域で(も)使われている言語だったがために、歴史言語学=言語系統論みたいになったんですけど。

オタクの早口失礼しました。
読み飛ばしてくださいね。

ありがとうございます。
私もパーリ語というインドヨーロピアンランゲージを知ってから語族などの概念を知って以降ほそぼそと興味を持ち続けているので、確かにそういう理論を東アジアの、特にSino-Tibetanではない言語にも当てはめる違和感みたいなものを感じていたところでした。
ので、とても参考になります。

中華思想の視点からすると、東のまつろわない人々をゴソっと蝦夷としてたのも、中央からするとジャポニックもコリアニックも一緒くたに見てたところもあるのかなー、とか。
そう考えると時の権力というものにも色々と影響されるのだろうな、とか。

今度機会があれば色々ご教示ください。

中国の歴代王朝は、もちろん中華思想的な上下関係を設定しはするんですけど、周辺諸国・族の言語や習慣に関する情報はかなり精密に集めて記録してる面もあって、最近は分子人類学とか考古学とかの証拠と中国の史書を付き合わせて考えるといろいろ合理的に説明がつく、なんてこともあるんですよね。たぶん、正確な地誌を記録することと、諸族を治め君臨することとが観念として関係してるんでしょうね。
近代的学問としての言語学と権力にも、おっしゃるような関係性は実はめちゃくちゃあって、それがたとえば、言語系統論というものの無理な当て嵌めという現象を生んだ側面はあると思いますし、またそうして作られた「族」が、支配の正当化のツールとして用いられるというダメな共犯関係もあるんですよね。アカデミアは全然権力から自由ではないから…。

おおお興味深い。
中国歴代王朝は蛮族だからと有耶無耶にせずかなり細かく分析していた、というのは今のUS覇権主義とも繋がるところがありそうですね。

印欧語族の”発見”のきっかけもたしか英帝の官吏か弁護士かが植民地のインドで過ごしていた際に英語との共通点を見出したところからかと記憶してますが。
それが回りまわってアーリア人とかの白人至上主義と悪魔合体してホロコーストに繋がってしまう、とか、気を付けなければすぐに権力にいいように利用されてしまう側面も多そうですしね。

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知ることの実利的重要性もきちんと認識していたでしょうし、臣下を理解することが君としての徳であるみたいな華夷秩序観念も関係してるんでしょうね。だからか、知的好奇心ベースっぽいギリシャの歴史家たちの記述と比べてもより正確なことが多い気がします。
印欧語族についてはまさにおっしゃる通りで、インド支配の正当化にも、ナチのレイシズムにも繋がってたわけで、学問の罪は本当に重いのです。今の学者の人たちには、そこをよくよく意識してほしいし、もちろんそういう学者さんもたくさんいるんですが、そうでない人もけっこうおり…。

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