勝手にオーストラリア2本立てとして『ピクニック at ハンギング・ロック』レストア版,『マッドマックス:フュリオサ』観ました。
『ピクニック〜』は10代の時に予告編で岩山で少女が行方不明になる怪奇性をメインにしてたのに釣られて観に行って「ふわふわした映画やな」と思ったのを覚えてる。そこから数十年,流石に違う見方に。少女は消えるべくして消える生,性,聖,清,精(同音異義語スゴイ)諸々として制,俗に対置されて,それ故に白鳥に重ねられコルセットや手袋等から解放される。ちなみに岩山に消えるのではなく物理的な解放(自死)を選ぶ子に重ねられるパンジーの花言葉って「私を思って」「ひとりにしないで」なんですね。合掌。
『フュリオサ』は『怒りのデスロード』の前日譚を例の如くの荒々しさでやり切ってしまうので79歳ジョージ・ミラー恐るべし。無論良い意味でのバカ丸出しのまま2時間半。アニヤ・テイラー=ジョイはシャーリーズ・セロンより肩幅狭いけどよく頑張った。
で,無理やり『ピクニック〜』と対比すれば消えるべくして消えるものに対置された俗が消えることに抗い生き抜くドタバタが『フュリオサ』かな。どっちが良いとか悪いとかじゃないけど,しぶとい『フュリオサ』に親近感。みんな観てあげないと次回作が頓挫するよ。
まだ延びきってない状態のアゲハチョウの羽
植木を丸坊主にされたので写真くらいは撮らせてもらおう
教師データもなしにAIがこれをいきなり描くのはまだ無理?(と思う)
『デカレンジャー』か。
子供が小さい頃一緒に見てたので,そりゃ20年も経つわな。
上司が犬とか敵幹部が逆さまの蜂蜜の瓶みたいなのを頭に被ってて「割れるのではないか」と気になったり,さも当然のように「ジャスミンは超能力者である」設定とか何かと目を離せない良作だったねぇ。
『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』では京都駅の北側には気を使って破壊はまるで無し。
南区民は「あぁぁぁ…,オレの家が燃えている…」と絶望的な気持ちになったもんです。
そして南区が復活するのは数年後の『パッチギ!』(舞台の年代は違うけど)
小さな娘を自転車に乗せた父親が、自分はスロープ、自転車は階段というなかなかの変則走行。
でも段差でガンガンするたびに娘大喜びなので後ろで見てるこっちも笑う。
そこまでぼやかさなくても…
ロケットランチャーのようなもの
拳銃のようなもの
手りゅう弾のようなもの
これにバールのようなものがあれば全部揃う。
何の関係もないけど,その昔,『の・ようなもの』って映画があったな。
だいたい地下のことやってる技術屋