カッティング奏法、あまりにも形式的なものへの誘引が強くて腹立ってきた。

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カッティングをしなければいけない、と思ったとき、すでにそこに形式的な企画がある。それは大なり小なりあらゆる技法に言えることだが、カッティングはなければならないのにあると凡庸になるという特性がある。カッティングを入れるという判断をした時点でその人が同時に文化的な達成を目指す場合、形式に対するメタ的な視点が突如として要請される。突如として。

だからギタリストはおんおん泣くしかないのである。おんおん。

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