あなたは自分自身を知れば知るほど、はっきりと物事が見えるようになってきます。自己認識には終わりというものがなく、目的を達することも、結論に達することもないのです。それは果てしのない河のようなものです。それを学び、その中に深く突き進むにつれて、あなたは心の平安を見出してゆきます。#fedibird
あなたが何も知らない向こう岸、理知にたけた思考によっては補足できない別の次元から歩き始めてみたまえ。#fedibird
あなたが知っているのはすでに終わったもの、完了したものである。あなたが知っているのは昨日だけであって、我々が問題にしているのは、あなたが知らないものからはじめて、そこから生きたらどうか、ということである。#fedibird
思考は常に分離的なものであり、見るものと見られるものの間を時間と空間で分けてしまう。#fedibird
あなたが自分自身について学び、自分自身を見つめ、自分自身がどんなふうに歩き、どんなふうに食べ、どんなふうに語るかを見つめ、ゴシップや憎しみや嫉妬を見守る時に、そうした事をすべて自分自身の内部で自覚すれば、それは瞑想の一部となるのである。#fedibird
精神や心情が、教育や、社会によって定められた豊かな感受性を否定するような規範へ順応することで鈍磨させられてしまったように、我々の肉体もまた鈍磨させられてしまったのである。#fedibird
自分自身を知るということは、行動している自分、つまり自己と他者の関係を知ることです。それが困難なのは、私たちがあまりに性急で忍耐がたらないからです。私たちは進歩を望み、目的に到達することを願うあまり、学び、観察している時間も余裕もないのです。#fedibird
人生とは関係です。人生とは関係の中における行為です。私が関係を理解しないとき、あるいは関係が混乱しているとき、そのときに私はより豊かなの意味を求めるのです。【人生をどう生きますか?セクション1第7章第5節・自我の終焉より】#fedibird
悲しいことに人は空しさをおおうために所有へのいたずらな努力を重ねるのである。そのような努力から支配欲と自己主張が生まれ、それはさらに空虚な言葉と、過ぎ去って決して戻ることのない物事への様々な追憶を伴うのである。#fedibird
もしも新生(リニューアル)があれば、その時私たちは死を恐れません。もしあなたにとっての瞬間から瞬間への新生があれば、死は存在しないのです。しかし、あなたが思考のプロセスの継続を要求するなら、そこには死があり、死への恐怖があるのです。#fedibird
インドの宗教家、哲学者クリシュナムルティ(1895-1986)の珠玉の言葉をお届けします。1日に4回、時に沈黙、時に暴走。09年よりTwitterにてご愛顧賜っていましたが、23年7月にapi接続不可になりました。23年1月よりfedibirdにお世話になっております。当初はIFTTTにて連携していましたが、23年4月、自動投稿プログラムを作り運用始めました。
書籍をお求めの節は→https://stonedpc3.wordpress.com/