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私たち個人の中に根本的革命を引き起こすためには、私たちと他のものとの関係の中で、私の思考や感情の動きの全体を理解しなければならないのです。これが、私たちのすべての問題に対する唯一の回答なのです。

他人とは違った人間になり、もっと賢くなり、もっと明晰で利口になろうとすること―これが絶えず思考の追い求めているものなのである。それによって、あなたは深い安心感を見出そうとしているのではないだろうか

平和に生きるとはどういうことなのかを知るのは、愛する能力を持つ精神だけなのです。

人は自分自身を理解することなしには世界の情況を変化させることに着手することはできません。もしあなたがそれを見るなら、その時即座にあなたの内部に、完全な革命が起こるのです。

瞑想とは、何かをその一部だけでなく全体を完全な注意を払って見つめる心の状態である。

宗教的な生き方についてあれこれ思いめぐらすことでなく、快楽や不幸、あるいは人間を取り囲んでいるあらゆる条件を曇りなく見ることが、何よりも大切なのである。

信念からは決して真実は生まれない。信念は制約的条件づけの結果であり、恐怖の産物であり、あるいは人に慰藉を与える内部的、外部的な権威から生まれる。

「私」は記憶の束です。それは時間であり、単なる時間の継続は、あなたを時間を超えた永遠なるものへと導くことはありません。

我々は、絶望と希望、恐怖と快楽、愛と憎悪という果てしない対立物の陥穽にはまっているのである。そうした対立物が我々の生を満たし、生の闘いを引き起こすのである。こうした対立物は同じ根から生えている二本の枝であって、根本においては同じものなのである。

われわれが沈黙に耳を傾けないのは、われわれの耳が精神のざわめきでいっぱいになっているからである。

社会は「あなた」と「私」との関係が生み出したものなのです。つまり、社会は私たち自身の内部の心的状態を外部に投影したものに他ならないのです。ですから「あなた」と「私」がお互いに理解していなければ、単なる外部―内部の投影されたもの―の変換は全く無意味なのです。

私たちが自分自身の意識の性質を理解し、この果てしない知識、行動、区別等々のサイクルの中でどう作用しているかを見、そしてその意識が何千年もの間維持されてきた事を見、それが一種の偏見に他ならないという真理を見てそれと手を切るなら、私たちは古いものに新しい要素を与える事になるのです

欲望は、思考がイメージを作り上げるときに起こるのです。それが欲望の源なのです。それ以前に欲望はないのです。

あなたは自分自身が暴力的でなく、毎日平和な生活、競争も野心も羨望もない生活、敵意を生み出すことのない生活を実際に送っていれば、世界に対して大きな影響を与えることができるのである。小さな火も集まれば巨大な炎となるのだ。

社会は私たちの関係の産物であり、もし私たちが持つ関係が、混乱した、自己中心的な、狭い、限定された、国家的なものなら、私たちはそれを投影して、世界にカオスを持ち込んでしまうのです。【人生をどう生きますか?セクション1第1章第6節・自我の終焉第3章より】

もしもあなたが恐怖そのものであり、あなたと恐怖がふたつの別々のものではないということに気づけば、恐怖は消えてなくなる。そのときには、公式も信念も一切不要である。そのときには、あなたはただあるがままのものとともに生き、その真実を見ることであろう。

「真理」を求める人は、決してそれを発見することはできません。「真理」はあるがままのものにあるのです。

根本的にまちがった社会に、正しい生活などありえません。現在世界中で何が起きていますか?それがどんなものであれ、私たちの生活が私たちを戦争へと、広く行き渡ったみじめさ、破壊へと追いやるのです。これは明白な事実です。何であれ私たちのすることが避けがたく対立を、腐敗を、無思慮と悲しみを生み出すのです。だから現代の社会は根本的にまちがっているのです。それはねたみ、憎悪、権力欲の上に建てられています。ちがいますか?【人生をどう生きますか?セクション3第1章第1節】

所有があるところに、愛はありえません。所有とは愛の破壊なのです。【人生をどう生きますか?セクション2第2章第8節】

知識は常に不完全なもので、知識から生まれる思考はすべて限定され、部分的であり、決して自由ではないのです。従って思考の自由というものはありません。 【人生をどう生きますか?セクション1第3章第13節】

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