新しいものを表示

『あのこは貴族』山内マリコ (集英社文庫)

昨日から読んでる。

『マジカルグランマ』柚木麻子 (朝日文庫)

読了。「マジカル」ってそういう意味か…………。

スレッドを表示

『マジカルグランマ』柚木麻子 (朝日文庫)

『窓ぎわのトットちゃん』黒柳徹子 (講談社 青い鳥文庫)

読了。

映画を観たので原作も。当たり前と言っちゃそうなのだけど、映画は泰明ちゃんを抜擢した上でうまい感じに「物語」にしてあるんだなあ、という感想。映画の方で絶賛されている裏路地を走るシーン(は当然そうだとは思っていたけど)や、あとはお腹がすいたと泣くシーン、どんどんひもじくなっていく描写などが映画オリジナルのものだと知って、なるほど「反戦」の意図を込めた作品だったのか……。となりました。じゃあなんで「マサオちゃーん」の章は入れなかったのかな……とか思ってしまいますが。
小林先生の、いわば「子どもの自尊心と個としての在り方を守る」という教育に胸が熱くなる。あとがきが、
「一九八一年。――中学の卒業式に、先生に暴力をふるう子がいるといけない、ということで、警察官が学校に入る、というニュースのあった日。」で締めくくられているのがせつない。

『三の隣は五号室』長嶋有 (中公文庫)

読了。

この作品も「空気感が素晴らしい」という感想です。淡々とした、物語的な起伏に乏しいページが続いていくのだけど、時折ハッと時が止まるような感覚に陥る段落や、何もすごいことは起こっていないのに地面から数センチ浮いたような錯覚に陥る段落、登場人物にカッとスポットライトが当たり、その周囲が劇のように真っ暗になったように「見える」段落がある。
「共通のモノ」を中心に据えた群像劇は数多くあるけれど、動かないアパートの一室をそれに充てることで「流れる時」を強く意識させられるし、その一室が少しづつ変化していくさまに、登場人物たちには知る由もない「他者の気配」をいわゆる神の視点で知ることになる。そして、自分もこの本の登場人物になれるのだ、既にそうなのだ、ということに気づきます。

スレッドを表示

『三の隣は五号室』長嶋有 (中公文庫)

『クルド人を知るための55章』山口 昭彦 編著 (明石書店)
akashi.co.jp/book/b431767.html

漫画『雨がしないこと』オカヤイヅミ (ビームコミックス/角川)
comicbeam.com/product/32230800

群像劇にあんま惹かれないのだけども面白く読みました。主人公の「雨」が、セクシュアリティ含めでなんとなく「浮世離れした」「包容力のある」「不思議な」「便利な」役割与えられてないですかな〜という気がややして、ふーんというジト目な気持ちもありつつ読み進める。最終的には「ああちゃんと人間だ」となったのでまあよし。ごはんがおいしそう。

『テヘランでロリータを読む』アーザル・ナフィーシー Azar Nafisi 著、市川恵里 訳 (白水社)

読了。

とてもよかった。数年前に手に取りかけてやめてしまったんだけど、もっと早く読めばよかったなあ、と思う。でも、正直この本を「退屈だ」と思う時期があったかもしれない。大事に大事に読んだ。「テヘランで」「ロリータを」という意味を、読みながら何度か静かに思った。

私は本の「解説」とか「訳者あとがき」が大好きで、それは同じものを見ているにもかかわらず私には見えない世界を、愛をもって語ってくれることにすごくわくわくするからなんだけど、この本にも似た感覚があった。イランのこと、イランで女性が生きること、その女性も生まれた世代によってなすすべのない差異と喪失があること。何度も映画『聖地には蜘蛛が巣を張る』が頭をよぎる。あの映画は2000~2001年に起きた事件が下敷きになっていた。そういうことももちろん、唇を噛み締めながら読んだけれど、この本にあふれる、「小説」に対する身を乗り出すような愛情! 著者にとって小説は生きることと分かちがたくある存在なのだろうなと思う。そしてその表現に想起されるような「重い」イメージとはまた全く異なる、「私はこれが好き、ねえ聞いて」というパワーがある。それに力をもらった。

スレッドを表示

『猛スピードで母は』長嶋有 (文春文庫)
収録作
「サイドカーに犬」
「猛スピードで母は」

読了。

何か大きな出来事が……というわけではないのに心に場面が残る。小説ではあるけど、言葉を尽くすというよりも空気を表現してみせるのがすごくうまいのでは……という感じ。アンソロジーの形式でのコミカライズを、最近出たものの他にひとつ見つけたけど、この空気を描きたい、と思う漫画家の方はたしかにいるだろうな……という気がする。

『テヘランでロリータを読む』アーザル・ナフィーシー Azar Nafisi 著、市川恵里 訳 (白水社)

『飛ぶ教室』エーリヒ・ケストナー作、池田香代子訳 (岩波少年文庫)

読了。とてもよかった!
post.news/@/kitsunekirin/2aOkC

スレッドを表示

『飛ぶ教室』エーリヒ・ケストナー作、池田香代子訳 (岩波少年文庫)

『日本移民日記』MOMENT JOON (岩波書店)

読了。再読。「私の愛の住所は」でちょっと泣く。触発されてYoutubeでAwichの曲を初めてちゃんと聞く。

(12/30から引き続き)
『あたしたちよくやってる』山内マリコ (幻冬舎文庫)
読了

最近ちらほらフォローしてくださる方、こっちはほぼ動かしていないサブアカになりますのでご留意ください。

今はビバルディの方のサーバーをメインにしてます。⬇

田淵 さんがブースト

toot.blueでの一件からしばらくマストドンを意識的に離れて、それをきっかけに色々なことを考えていました。差別、SNS、非当事者である自分、当事者の存在、コミュニティをつくるということ。
まず、最初に言っておきたいのだけども、この投稿は「すべき」とか「正解」とか「支持する」とか、そういうものではないというか、誰か/どこかをジャッジするものではありません。blueはじめ、特定のサーバーに対しての批判や評価でもありません。完全に私の考えの吐きだしなので、この投稿はこの投稿として完結してほしいなあ、というのが本音です。まあSNSで発信するので、願望にすぎないんだけど……。

以下続きます。

織田朝日@freeasahi さんのツイート
「仮放免者在留資格を出せ、収容反対デモ。
6月12日(月)
12時30分東京入管近く品川北ふ頭公園集合
13時スタート
入管を周って駅まで歩くコースにします。

主催 

だそう。私は昼から仕事が入ってしまって行けない……。

リンク
twitter.com/freeasahi/status/1

職場で大量の梅を貰ったので、梅シロップと梅ジャムを作る予定です!!! 本当は「梅干し作りに挑戦しようかな!」と思っていたのだけど、送ってくれた方から「梅干しには向かないよ」とアドバイスをいただいたので、断念。新聞紙の上に並べてある方は、追熟させて黄色くなってほしいなあ、と期待してる。うまくできたらそれをジャムにしたい。去年までは青梅で全部作ってたから……黄色のつやつやしたジャムが憧れ…………。

梅をあれこれおいしく加工することを「梅仕事」というのだと数年前に知って、なんで梅だけ? 「苺仕事」とか「柿仕事」とか言わないのに! と理不尽な義憤を抱えていた。今年ヘタを取りながら、梅の実が育つのを眺め、あれにしようこれにしよう、ああ一苦労だ! という、億劫さとわくわくした気持ちの集合が「梅仕事」という単語を生み出したんだろうか、と妄想している。

BT 泣きたくなるような届かなさがあるな 「祖母の背中」には決して手が届かない まぼろしですらある けれど確かに『知っている』し、確かに『あった』。誰かの中でひとが生き続けるというのはこういうことななのかな、と思った

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。