ウルフウッドを「普通の人間より早死にする」、ヴァッシュを「普通の人間より長く生きる」と対比しようとした場合、軸というか基準となるべき「普通の人間」がいかなるものか。そこらへんがぼんやりしているので対比にしてもうまくいっていないと感じる。というか、ワムズもいるのに人間を「標準」にしようとするのがなかなかズレてしまうんだよなこの話。
追記。ウルフウッドもヴァッシュも、「自分は化け物だ」と語っている。これは文字通りの意味(改造人間とかプラントとか)もありつつ、彼らが殺人という罪を侵してしまい苦しんでいることを示すものだ。しかし化け物ではない「普通の人間」が作中どう描かれているかといえばご覧の通りである。ではもうひとつの意味、「人間ではない存在」を取ると、「受け入れてほしい相手に受け入れてもらえない怖れ」を見出すことができる。だから二人とも気さくな態度を取りつつ他人と関わろうとしない。孤児院のみんなはおかえりなさいと言うし、隠れ里や保険屋コンビなど関わろうとする人間はいるのだが。つまりこの二人をもし「普通の人間を軸に対になっている」と読むなら、それは実際に生きる人々ではない、概念としての存在(罪を侵さず、他者を受け入れる)なのだろう。
他者に受け入れてほしいと望みつつ他者を拒む様はキャラクターのドラマを描けるはずだが、ページに出てくるのは「対照的でありながら同類である男二人が深い友情で結ばれました。よかったね!」なので、まあ自己憐憫への埋没というかなんというか……。
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追記。ウルフウッドもヴァッシュも、「自分は化け物だ」と語っている。これは文字通りの意味(改造人間とかプラントとか)もありつつ、彼らが殺人という罪を侵してしまい苦しんでいることを示すものだ。しかし化け物ではない「普通の人間」が作中どう描かれているかといえばご覧の通りである。
ではもうひとつの意味、「人間ではない存在」を取ると、「受け入れてほしい相手に受け入れてもらえない怖れ」を見出すことができる。だから二人とも気さくな態度を取りつつ他人と関わろうとしない。孤児院のみんなはおかえりなさいと言うし、隠れ里や保険屋コンビなど関わろうとする人間はいるのだが。
つまりこの二人をもし「普通の人間を軸に対になっている」と読むなら、それは実際に生きる人々ではない、概念としての存在(罪を侵さず、他者を受け入れる)なのだろう。