岩波文庫「太平記(六)」購入後1年、ようやく全巻読み終えました。
終盤は書き継ぐ人が明らかに変わっており、合戦への関心は作戦や奸智の駆け引きに焦点が移り、残虐描写と言ってもいい初期の凄惨さや熱情は控えめになります。新しい日本を作るためにいかなる犠牲をも顧みなかった南朝も、山の中に引きこもり、楠正儀はほぼ儀礼的なゲリラ戦をたまに繰り返して延命を図る。この人嫌いじゃないなあ。
頼りなかった後光厳が中々骨太な青年になっており、この人はこの人で逞しく生き抜いてきたことを窺わせます。
今年の新型コロナウイルスワクチンの接種が10/1から始まると言うので、金額におののきながら予約を取ったところ。今年は第一三共製ですか。在庫があまりなさそうなので早めに……。
岩波文章「太平記(五)」
直義が死んでしまった。ここからはほぼ足利方の内ゲバ話が続き、南朝方は脇役になっていきます。
印象的なエピソード:
天満宮で顔を合わせた三人の紳士、まずは幕府の腐敗体質が嫌になった東訛りの老武士。宮方は清貧の中にお暮らしであり心惹かれるところがある、と述べる。
そこへなよやかな公家の紳士が苦笑いをして、そんな良いもんでもない、天下を取る気も取った後の統治もやる気がない連中なので愛想を尽かして出てきました、とぼやく。
いやいや個々人の努力や至らなさのせいではない、前世の因果というものだから、なるようになるでしょう、と慰めてない励ましをする僧侶。前世じゃあしょうがない、今に平和になることもあるでしょう、と諦観と連帯とほのぼのとした希望が三人を包む。
会話に共感できるかはさておいて、このような寺社のイベントで敵味方貴賤打ち混じってぶっちゃけ話をする、という生活感がリアルです。公家、武家、僧侶といえば物語中でずっと相闘い血を流してきた三者だけに。この物語の成立に長年関わってきた人々の実感かもしれません。
挿入話として、死罪にあっても施政者の行状を書きつなぐ唐の史家たちの話があるのも、妥協の間に隠された語り手の矜持と言えるのかもしれません。
岩波文庫「太平記(四)」一応文体の整合性は取ってあるが、ジャンル違いの小話が混在する混沌とした草稿集、それが太平記。高級感がクオリティがと言い出すと文句ばかりですが、文章に勢いがあり、昔のジャンプ連載のように続きが気になってしまう。そしてなかなか終わらない。
政治的な統一性のなさも、新聞や週刊誌の記事を数十年分つなげたらこんな感じかもしれない、というリアリティがあります。初期にあれだけ持ち上げられていた後醍醐も、正成の怨霊によれば「元より摩醯首羅(シヴァ神)の所変にておはせしかば、今は帰って欲界の第六天(摩醯首羅はときに仏法の敵である第六天魔王と混同される)に御座あり」どうやら魔界転生してしまったらしい。おやおや。戦争が終わればマスコミは手のひらを反すところまで予言している。通しで全部読んでいれば皇国史観の手本にはなりようもない。今も昔も古典のエモいところだけ抜き出してプロパガンダに使う奴は要注意だ。
リアルな軍記物語から一転、3本の聖剣を鬼の王と化した正成から守る田舎武士ミッションが始まったり、壇ノ浦に沈んだはずの草薙剣(三鈷束という密教的な説明がついているので絶対偽物)が浮き上がってきたり、天狗の語る未来記が出たり、など伝奇色が強まる。JRPGか。
実はドールメーカーである妻の日本語のインタビューを手伝っていたのです。笑
以下はインタビューの内容。
Q:「なぜ人形を作り始めたか」
A:「一緒に住んでいたウサギの兄弟と猫の人形を作ったのがきっかけです。いつか子供たちがいなくなった後、思い出に残るように、自分の手で子供たちを模した人形を持ちたいと思いました。
韓国には「死ねば土に還る」という表現があります。私が思うに、ビスク人形はその過程が逆だと思います。ビスク人形は土から生まれるからです。死と生が繋がっているような気がしました。すべての人形にはそれぞれの魂があると信じているので、ビスクで人形を作ることに惹かれました」
ちなみにメーカー名はSUNDAY CHILDで、小動物のビスク人形を主に作っています。
つくばで働く団体職員です。植物や鳥が好きです。