「幸せはレインコート
雨が降ったらかぶろうよ
幸せはコッペパン
ひもじいときは食べようよ
幸せはストーブ
寒いときあたろうよ
幸せはハンカチーフ
涙を拭おうよ
きっと
幸せつかんでください」

『井上ひさし歌詞集 だけどぼくらはくじけない』
町田 康/編
p.27~28 「幸せはレインコート」の一部


「二月二十四日 長い間働いてきた仲間の一人が、先の目当もなくやめる、というのを皆でひきとめた。だが他人事とも思えない、世間でいうBG、職場の花などと呼ばれ、花を落した後どうやって根を深くすれば立って行けるか。また、未婚者が自分の資質をゆがめず、素直に年をとるにはどうしたら良いか、その困難さについて、先輩女性と語り合う。」

石垣りん『朝のあかり』「日記」p.36

『口訳 古事記』町田康/著 を読んでいる
神様は万物を公平な目で見るものだとおもっていたけど、ハチャメチャだった

つまらなかった本の感想 

『ある行旅死亡人の物語』
面白かったという感想を持つ読者のほうが圧倒的に多いだろうけれど。話題になっていて手にとってみたものの、導入のわりにしょぼい終わり方。亡くなった人にもプライバシーはあると思う。「遠く離れた故郷の小用であなたのことをずっと心配していた人がいましたよ。」だなんて、記者の都合のよい自己満足と思う。どんな人にも物語やストーリーがあるのは当たり前。読みごたえもなくつまらなかった。

小川洋子さんの『からだの美』
目次を読むだけで、あぁ…とドキドキしてくる

読みたい本
『HSPブームの功罪を問う』
『本草奇説 もの言わぬ植物たちも夢をみる』
『わたしが人間であるために: 障害者の公民権運動を闘った「私たち」の物語』
『開墾地』

「生者は時に闇をかき分けてでも失った人を感じたくて、すがるように光を追いかけて手を伸ばす。幽霊とは死者が送って寄こす信号でもメッセージでもない。幽霊とは死者がこの世に残した感情だった。生者がやむにやまれず、死んだ者から無理矢理引きずり出した影なのだ。」p.70~71

佐藤厚志『荒地の家族』

「生きている間の辛苦は本人と共有できるが、死は別だ。死だけは本人ではなく、側にいる人間が引き受け、近いほど強烈に感じ続ける。」p.69

佐藤厚志『荒地の家族』

「道路ができる。橋ができる。建物が建つ。人が生活する。それらが一度ひっくり返されたら元通りになどなりようがなかった。やがてまた足下が揺れて傾く時がくる。海が膨張して押し寄せてくる。この土地に組み込まれるようにしてある天災がたとえ起こらなかったとしても、時間は一方向にのみ流れ、一見停止しているように見える光景も絶え間なく興亡を繰り返し、めまぐるしく動き続けている。人が住み、出ていく。生まれ、死んでいく。」p.32

佐藤厚志『荒地の家族』

「引きあげる前に、祐治は阿武隈川河口へ向かって歩いた。ある地点で電信柱が新しくなった。そこが境界だった。海が人の暮らしを舐めた形跡、生と死、この世とあの世の境目だった。」p.28

佐藤厚志『荒地の家族』

「金の値打ち 品物の値打ち 卒業証書の値打ち どうしてこの界隈では そんな物ばかりがハバをきかすのか。/ 無形文化財などと きいた風なことをぬかす土地柄で 貧乏のネウチ 溜息のネウチ 野心を持たない人間のネウチが どうして高値を呼ばないのか。」

石垣りん『ユーモアの鎖国』「生活の中の詩」より『落語』の一部分 

失うという事を
知らない人がいる
得るという事を
知らない人がいる
何だか最近は
そんな可哀そうな人ばかり

ブッシュ孝子全詩集
『暗やみの中で一人枕をぬらす夜は』

「運動というのは、勝ちか負けか、変わったかか変わらないかという二次元的なものでも、短期的なものでもないと私は思っている。私にとって運動とは問題を解決するために自分の考えや価値を言葉にして共感する人々とつながる作業であり、生きることそのものだ。環境問題は私の運動の出発点だった。」p.105

『私がつかんだコモンと民主主義:日本人女性移民、ヨーロッパのNGOで働く』岸本 聡子/著,晶文社

この文章がずしんときた

読んだ本
『戦争とおはぎとグリンピース』西日本新聞社/編,西日本新聞社
『絵が上手いより大事なこと』永山 裕子/著,芸術新聞社

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