この社会のピープル、マジで感情的で、全然事実を事実として認識できないんだよな。こういうのダメ日本文化論みたいな言い方で、全然好きじゃないんだけどさ。
にしたって、言葉をきれいに取り繕って、キツい事実から逃れようという社会的欲求が強すぎると思う。
たとえば、この頃になるとよく流れる「戦没者のおかげで今の平和がある」的なクリシェも、端的に言って嘘じゃん。どう考えても犬死にで、しかも他所の人らにさんざ迷惑かけた上での犬死に。ファシズムの犠牲者であり、加担した加害者でもある。それが端的な事実。
死者を悼むなら、事実を受け止めて、そのうえで二度と繰り返さないよう努力することしかできないだろうに、英霊だなんだと取り繕おうとする。感情優先で。
「パパ活」とかも同じで、自己決定がまだ完全にはできない子どもを相手に大人が搾取的な買春をしてる、という事実をなんとか取り繕ろって、ポップなパッケージで覆おうとする。感情優先で。
マジョリティの感情だけが配慮され、事実も、正義も、道理もない。合理的ですらない。
そんなことでいいんすかね。おれはよくないと思うけど。
Twitterの前世アカウントから「日本社会は規則あって倫理なし」と申し上げて来たわけですが、ナンチャラ大学の戦史研究会の人がナチのコスプレしてきっちり怒られた件で、界隈の人々が「法に触れなければなにしても良いんだ」みたいなことを言っていて、嗚呼君たちはそうだろうなと思った。
「規則あって倫理なし」なんですが、仮に法があっても、いわゆるヘイトスピーチ解消法みたいに罰則がなければ真面に守るやつもいないし、「規則あって倫理なし」みたいな、そんな高級な話ですらく、「罰を与えられなければ何をやってはいけないのか分からないし、ある行為が禁止されても、なぜそれが禁止されているのか倫理的な側面から理解することができない」のではないかなとつらつら思うわけです。
日本の戦後補償の問題とかね。日本はほとんど処罰されることもなく国際社会に復帰してしまった訳ですが、それが現在の歴史否認主義の土壌になってるんじゃないかなとか。罰を与えられなければ理解できない人たちが無罪放免となればそりゃそうなるだろうなと思ったり。
とりとめのない話
Twitter(X)について長めの記事を書いた背景に関して。
自分は、長年にわたりイノベーションを起こそうと挑戦する企業や開発者を応援するスタンスで記事を書いてきました。
そうしたテック企業の記事を書く時には、打ち出す施策のビジネス上、技術上の合理性や革新性を考え「こんな狙いがある」「こんな挑戦をしている」「ここに新規性があり要注目だ」といった分析をします。
ところが今のTwitter(X)は合理性では理解できません。幹部の発言も鵜呑みにはできない。社会を豊かにするイノベーションを起こそうとしている会社では、ありません。
今のTwitter(X)は、突然のAPI制限、迷惑な光る看板、極右を優遇し収益配分、ヘイト監視団体をスラップ訴訟と、反社会性をもはや隠さなくなりました。同社のいう「言論の自由」はヘイトスピーチの自由のことです(詳しくは記事に書きました)。
今のTwitter(X)を見るときには、合理性や革新性ではなく、むしろその非合理性、反社会性にこそ注目するべきです。それが今回記事を書く上での思いでした。
今のTwitter(X)が打ち出す施策の非合理性、反社会性に注目した記事を、朝日新聞GLOBE+に寄稿しました。
前編では、「API制限」の理不尽、ブランド変更の非合理性を見ていきます。
https://globe.asahi.com/article/14980892
後編では、同社のヘイトスピーチ対策をめぐる矛盾した状況が、同社の本質に関わる問題であることを見ていきます。
「Twitterの代替は?」についても考えます。
https://globe.asahi.com/article/14981575
難民に関しては、本当に言葉が意味するところの「難民」を指すのでなければそもそも使わない方向でいきたい。
BLが好きで見たり書いたりする者として、かつてはある一定の範囲内でだけ楽しまれていたけれど、ある時点からはそうではなくなっていて、いまは自分が思う以上に「開かれた」創作・表現という認識が必要だと思っている。
BLを低俗なものとして扱われたとき過敏に反応しちゃうのは、“すべてのBLがポルノではない”って理屈だけでは足りない気がする
頭の軽いロマンスだろうがポルノだろうがそれ以外の何か高尚なテーマだろうが、書いた本人にとってはメチャクチャ“““自分”””なので、それを一口齧って吐き捨てられるのはイヤだ
それで、同人文化が大きな役割を持つBL大好きクラブの中では、そういう言説への反発が過剰になりがちなのかなぁ
同人文化は創作する人だけじゃなくて、読み手も参加者としての力が強いし
大企業で勤めあげる労働者と富裕層以外は、死んでも構わない、というのが安倍-麻生-岸自民党の基本方針。だから、芸人や、ひろゆきとか、ホリエモンとか成田悠輔みたいなのを若い男性が観ているメディアの全面に持ってきて、「貧乏人や年寄りが皆死ねば、日本が良くなるし、君らの手取り給与も増えるよ」「福祉国家なんてやめちゃうと可愛い女の子らが安くセックスワークするしね」って宣伝しているわけ。米国共和党っぽくなってきた。でも、米国には社会正義の為の私財を投じる大金持ちとか、自分の時間を提供する普通の人たちとか、優しくあろうとする人たちも多い。日本はエグい国だなあと思う。
単身高齢女性の低い年金 「生活できず、支援もない」誰の責任か - 毎日新聞
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230809/pol/00m/010/003000c
一応検察庁のご意見ページを見つけたので送ってはみる……。でもこれ結局は世論の動きなんじゃないだろうか。マスメディアに意見を送り続けるのも必要だと思う。どうしたらいいのかの情報があったらシェアします。
https://www.kensatsu.go.jp/send_form/feedback.htm
映画・音楽・アニメーション・二次創作(でフィクションの男と男について色々)
Mortal Kombat (2021)ラオリュウで書いたもの https://novelist.jp/member.php?id=70038
弱いままでも生きていきたい。トランス差別に反対します。