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日本の電力業を大きく変えた電力国家管理を推進した革新官僚たちも、無限の資源である水力発電を活用することにイデオロギッシュな思いを抱いていました。逓信省の革新官僚の親分格であった大和田悌二は、万物には神性が宿り、水にも宿っているので、それを十全に生かすのが人の務めと言っています。

このように、巨大電力システムは人をある種「狂わせる」ものなのかと歴史的事例から思わなくもないですが、マルクス主義でも天皇主義でもいちおうは世のため人のためを掲げているのに(実際はともかく)、今の日本のネット原発擁護はそういった装いすらなく、冷笑的イキリでしかなさそうです。

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今回の震災でも動向が取り沙汰された、東京電力の柏崎刈羽原発の運転員が、ネットで原発運転員である自分を誇ってイキリまくり、「機微情報」をお仲間にちらつかせ、原発批判を攻撃しまくっていたという一件は、いわみこうぞうさんのブログに詳しいです。

iwamin12.cocolog-nifty.com/blo

どうして少なからぬ人が、原発となると、すでに明らかになっているリスクを無視して、ほとんど絶対無謬のご神体のように祭り上げてしまうのか、それが私にはかなり謎です。一つ似ているのは、この手の人々が大嫌いそうな社会主義者のレーニンの「共産主義はソビエト権力+全土の電化」というテーゼで。

ウクライナ戦争でも懸念されているザポリージャ原発は、もともとドニプロ川の大規模水力発電所があったところでした。戦前の日本の電力関係者にもザポロジェ(当時の呼称)の発電所の名は高く、当時日本最大の電力会社・東京電灯の社長だった小林一三も視察していたかと思います。

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能登の震災の報道で「志賀町 震度7」と見た時には驚愕しましたが、停止中で不幸中の幸いでした。北陸電力はもとから水力発電が多いという地域的な特色があって、無理に他社並みに原発やる必要なかったんじゃないかという指摘があったことを思い出します。珠洲原発まで手を広げず幸いでした。

で、東日本大震災のことを思えば、原発について懸念の声が出るのは当然なのですが、それに対し地震の際に原発批判をするのは「ひとごろし」だとまで暴言を吐く電力会社の中の人がいるということは、まさしくかかる徒輩に原発のような大事を預けられないことを傍証しています。

twitter.com/G1G3WbykdpaUvjj/st

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大災害、地震や台風などの天災が起きた場合、それについての報道が長ければ長いほど政権支持率は下がる。見ている人たちが「何やってんの」「早く助けて」「動きが遅い」などとイライラするからだ。行き届かない点もどんどん指摘され、それがまた大きな不満を生む。
実際、災害が大きければ大きいほど事態の収束に時間がかかり、被災者は増える。避難所の不備もどんどん明らかになる。
大災害では政権の支持率が下がる、はよく知られた法則だ。だから為政者たちは今何をしているか、どのくらい救済が進んだか、どんな対策を行ったか、を仔細に報告するために会見を開く。それでも支持率は下がる。
そこで全体主義や独裁政治を敷く為政者たちはそういう災害の報道を早いうちにストップさせる。なんなら最初から報道させない。国民が知らなければ支持率は下がらないからだ。
ソ連が長いこと災害や原発事故を国内で報道させなかったのもそれが理由。あの国では政権の威信を下げないために災害報道などはされなかった。
自民が選んだのはその手法だ。最近の大規模災害報道が短いのはそれが理由だと思っている。今回も同様。災害の規模に関係なく、報道は縮小されるはずだ。

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災害があるたびに「自分にできることは」と考えて、昔は募金とかボランティアとかだったけど、今は真っ先に「公助を動かさせないと」がきている。そんなんちゃんとやってるはずと昔は思ってたから。でも貧困や疫病に苦しむ市民をほっぽって軍事費や万博に税金注ぎ込む政府なんだもん。被災地支援しろの旨、官邸に意見した。

10年以上テレビのない生活をしており、バラエティ番組は実家に帰った時くらいしか見る機会がない。テレビで流行りの諸々はなんも知らずに生きてるが、インターネットがあるから何となく話題を知れてる。バラエティ番組は昔からだいたい嫌いだった。

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「ボスにイジられることを喜ぶ(喜んでみせる)子分たち」の映像が繰り返し流れることが子ども達に与える悪影響は大きい。とてつもなく大きい。これは断言する。

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ひろゆきにせよ松本人志にせよ、日本人はどうも「地頭のいい不勉強な人間」に弱すぎるという問題があるように思える。

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松本人志がある種の人間のヒーローたり得たのはインテリをワンフレーズのツッコミで"論破"してしまう地頭の良さと、「俺も賢ぶるインテリどもを手軽に論破できるんだ」という幻想を与えてしまったからなのだろうな。

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日本のお笑い芸人って、最初は普通に面白かった人でも芸歴が長くなってベテランとか呼ばれるようになる頃にはまったく自分たちの漫才とかコントとかやらなくなってバラエティ番組で他の人を「いじる」だけのハラスメントマシーンになっていくことが多すぎて土壌からして腐ってるんだろうなと思う

プレミアムプラスの表示が増えたので、それ関連の障害?かなーと思ってますが……本当に使えなくなる時は突然かもしれませんね(やだ)

わたしだけじゃなかったんだ(ちょっと安心しました)

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「つわりの原因が解明された」という朝日の記事、有料なので全部読めてないんだけども、なんかもう悔しくてしかたない。経験を語ってくれるひとたちのおかげで、つわりという症状は人によって本当に、すさまじく、過酷だ、ということが私にもわかってきた。どうしてこんな、心身ともに危険な状態になるような症状に対処療法がないんだろう、妊娠中は難しい種類の投薬なのだろうか、とか考えていた。妊娠の予定もなーんもないけど、これは本当に考えていた。だって妊娠に伴う症状だってわかってるんだから原因がわからないわけなくない? 素人考えだけど、生理痛の薬もあるんだからさ。って思ってた。なんらかの理由で症状を軽くすることが難しいんだろうなって。まさか「研究者に女性も少ないし、女性の健康被害は軽く扱われていたので、原因がよくわかってませんでした」だとは思わなかった。悔しい。まだここ。「ここ」にたどり着いたことを喜びたい、と思う。みんなで快哉を上げる場面だと思う。でもまず悔しいの感情が溢れてしまう。だって「まだ」ここ……。なぜ苦痛の度合いを勝手に判断され、受け止めろと言われなければならないのか。“女性” だけでなく、あらゆるマイノリティに「まだ」「ここ」が押し付けられているはずだ、と思う。とても悔しい。さっさと、つわりで絶望する人が過去になればいい。

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歴史修正主義は人権問題である、と私はかねてから考えていますが、それを証する一事例と本件も捉えられそうです。安倍政権下で歴史修正主義は猖獗を極め、人権は軽んじられています。自分の人権が巻き添えを食うリスクを冒しても、「目下」の人権は認めない。そういう連中が跋扈しています。

今回のクソみたいな件で一つだけよかったのは、山中恒さんがお年にも関わらずコメントを出せるほどお元気だと知ったことでした。山中さんの体験記でもある『子どもたちの太平洋戦争』は、教育勅語に支配された教育現場がいかに不条理かを描いた、忘れられない一冊です。

amazon.co.jp/子どもたちの太平洋戦争―国民学校の

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そういう教育勅語の歴史的文脈を無視して、片言節句を都合よく切り出してコラージュして、何か言った気になる。その当人には何の思想も理念もないのではないでしょうか。そのような切り取り方は、そもそも井上や元田に対してすら失礼ではないでしょうか。一から十まで滅茶苦茶です。

Wikipedia 情報ですが、松井市長は被爆者の医療費の要求に対し「『くれ、くれ』という権利要求みたいな気持ちではなく、『ありがとう』の気持ちを持つことを忘れないように」とほざいたそうです。天賦の普遍的な人権観念に理解が欠けていると考えても良さそうです。

ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B

昔はよかった、権利権利といいたてず偉い人や目上の人に従う「秩序」があった、というのが松井市長の心根にあるのでしょう。各人の「分」を守るべきという身分制的発想です。しかしそれは現行憲法の理念に反します。そこで教育勅語を切り継ぎして、歴史を捻じ曲げてまで屁理屈を拵えているのでしょう。

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「自分が思うにそれは当時、江戸期から明治期に移る中で、アヘン戦争が起こるとか、ヨーロッパに中国がどんどん侵略されている。それに負けないような国家にするためには、民主主義をちゃんとしないと西洋に負けるという議論が出た。だけど、民主主義の使い手を天皇が全部取り仕切るようなやり方をしたから、日本が戦争国家に突入した。そういう説明をしています」

これは端的に言って歴史的事実に反します。松井市長は自覚的かどうかは分かりませんが、歴史修正主義の範疇に入り込んでいます。

教育勅語の起草者である井上毅や元田永孚について私は専門ではありませんが、彼らが「民主主義」に親和的であったとは到底思われません。まして「民主主義の使い手を天皇が全部取り仕切るようなやり方」とは意味不明です。まさか元田が天皇親政運動の担い手だったこと!?

明治の政治史は私は詳しくはないですが、宮中で元田らによる天皇親政運動があり、それに対して憲法を定めて天皇は政治と距離を置く、のちの言い方をすれば天皇機関説的な伊藤博文らの方針が勝った、というのは定説だと思います。元田の考え方は明治時代ですら過度に保守的といっていいのでは。

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断片に切り出せば悪いことではないようでも、それには文脈があり、すべてが天皇のために帰されている以上、その徳目の価値は現代ではもはやないのです。これは「ナチスはいいこともした」という、中二病的言説とパラレルと言っていいでしょう。個々の政策だけ見れば良さそうでも、文脈があるのです。

「多面的に考える」という口実をもとに、とうてい容認されない、事実関係が誤った、あるいは倫理的に破綻した考えを捻じ込んで、正統的な説と並べることで、それと同等の価値を持ったそれなりに正しそうな説に見せる、という詐術は歴史修正主義はじめありふれた手口です。ポストモダンの鬼っ子です。

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道徳は自分自身でその意味を認識して守るのでなければ、単なる権威主義に堕してしまいます。教育勅語の徳目は、個別には「いいこと」のようにも見えますが、それが「天皇のためだから守れ」という権威主義である以上、自立した個人を建前とする民主主義とは全く相いれないのは自明です。

それほど漢文の知識がなくても教育勅語が民主主義(=主権在民)と相いれないことは読めるだろうし、教育勅語がどう読まれどう解釈されてきたか(これを理解するのに漢文の知識は要らない)をちょっとでも知ればそんな世迷い事は言えない筈なのに、それを開き直るこの市長の厚顔無恥たるや。

それにしても、「どっかが悪かったから全部悪いとか、どっかがよいから全部いいと判断しないで、多面的に考えるということをやっていかないと、いろんな意見があったときに対応できなくなってしまう」とは一見もっともなようでいて、みずから価値判断する勇を欠き、古びた権威に依存しているだけです。

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有料記事がプレゼントされました!12月21日 23:33まで全文お読みいただけます
広島市長、教育勅語に「民主主義的な発想ある」との見解 研修で引用 digital.asahi.com/articles/ASR

呆れて言葉が出てこないですし、論外の屁理屈未満を、いい年をして振りかざす人間には、言葉で説得はできないでしょう。

教育勅語は文語文で難解な語彙に満ちていますが、それでも、具体的に挙げられている1ダースほどの徳目が最終的にかかるのは「以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」なのは自明です。道徳を守るのは自分のためでも人類のためでもなく、どころか日本人や日本国のためですらありません。天皇のためなのです。

教育勅語は明治時代ですら国際性に欠けるという国内からの批判があり、西園寺公望が「第二教育勅語」を構想したもののお蔵入りになった経緯があります。コンミューンのパリの空気を吸った西園寺には、あまりにも視野が狭いものに見えたのでしょう。西園寺が死んで大日本帝国は5年持ちませんでした。

★つけたのに外れてしまって連打申し訳ない。

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