「明日は明日の風が吹く」とかの言葉にずいぶん救われているけど、昔はそういう言葉をくれるのが博識な僧侶や聖職者だったんだろうな。そしてその元ネタが仏典だったり聖書だったりすることをみんな知ってた。
だから僧侶や仏典はありがたく、聖職者の極大なるものとしての聖者なんかもリアルに想像され得たのかな、と思う。
今は苦しいときはただ検索するだけでもありがたい言葉を探すことくらいならできてしまったりする。
しかしそこに僧侶の肉声の温かみや信徒ひとりひとりを見据えた補足情報とかはないから、その点ではやっぱり空疎なのかもしれない。