Xユーザーのおきさやか(Sayaka OKI)さん:
「20世紀末から新自由主義と情報技術の波と相互作用しながらモラルの基準が変化し(ジェンダー平等と植民地主義に関しての変化も含まれる)、加害者であることを被害者に名指しされた側が変化の割を食った層を抱き込んで逆ギレの大攻勢に出ているタイミングなのだと思ってる」 / X
https://x.com/okisayaka/status/1858389378776895540
(続き)
権威主義という言葉に抵抗があれば、ここでは実力主義といいかえてもよい。新自由主義と権威主義の融合とは、全てを競争原理に基づかせ、競争の勝者に広範な特権を認めるという価値観である。そういうものは今の社会に幅広く浸透し、正しい原理として認められている。
このような世界では、「パワーハラスメント」とは、正当性のない権力の行使を意味するものになる。つまり、その特権が競争の勝者によって行使され、また、競争原理をより普及させるために行われるなら、それは問題ではないと考えられるということだ。
今回の兵庫県知事選挙をめぐるネット世論の動向は、このような原理に基づいていると思う。新自由主義と実力主義の弊害は自分の身近に起こるまでは理解できないから、遠くから見て「斎藤氏はおかしくない」と思った人が多かったということだ。それはこの社会そのものの病理の表れであって、一時的な現象ではない。
斎藤兵庫県知事の問題の本質はパワーハラスメントにはないと下僕はずっと思ってきた。
あの人の問題点の本質は、新自由主義であることと、権威主義であることだ。この場合、権威主義には、上の立場のものには理不尽が許されるということと上の立場に着くものには能力があるということとが含まれる。斎藤氏の場合、この上にさらに個人的な利得への弱さが加わって、注目されるような事柄を引き起こしたのだと思う。
では、権威主義や新自由主義、あるいはその複合形態の何が問題なのかというと、それが立場の弱い人の権利を侵害することが最も大きい。なので、そこに焦点を当てるためにパワーハラスメントという概念がある。パワーハラスメントは、だから、問題の現れ方にすぎない。そこから話が深まっていくべきなのだ。
ところが、メディアを含めた世間はそのようには考えない。そこではパワーハラスメントや公共財の着服だけが問題とされる。百条委員会のスタンスもそうだ。それがなぜなのかと言えば、答えは「世間も新自由主義や権威主義を信奉しているからだ」ということになる(続く)。
「既得権益」とされるものへの憎悪、歴史的には「部落解放同盟」とか「在日特権」あたりからはじまって、そのたびごとに恣意的に敵を替えつつ現在にいたる感じか。
アテンションつーか火をつけて回るビジネスが成立してしまったので、それ専門のガベッジ野郎が次から次へと出てくる。
こうした〈叩かれてきたもの〉の歴史的変遷をたどったのが、能川元一さんとの共著『憎悪の広告』なんですよね。ターゲットとされたものへの攻撃の執拗さと定着度合い、その反面にあるターゲットの移ろいやすさも含めて、クソい右派論壇誌の広告から可視化していくという企画でした。
Xユーザーの宮本徹さん:
「ナチスの宣伝担当大臣、ゲッペルスの「嘘も100回言えば真実になる」を思い起こしてしまう。」 / X
https://x.com/miyamototooru/status/1858113477052710985
Xユーザーのnichinichi🏳️⚧️🏳️🌈さん:
「これ、今後もう公益通報する人は出てこ(れ)ないんじゃないの…
デマばら撒いて「物語」作って世間の情緒に訴えかければ「ホントのこと」はいくらでも作れる、みたいな世界になってしまったわけで。力のある者が勝ち抜けるやったもん勝ちの無法の荒野で倫理と公正の芽が育つわけない。正攻法が死んだ日」 / X
https://x.com/nichinichibijou/status/1858115156527747250
Xユーザーのおきさやか(Sayaka OKI)さん:
「宗教右派と資本の結びつきか。民主主義にとっての脅威は意外と昔も今もあまり変わらないのかもしれない。」 / X
https://x.com/okisayaka/status/1858126950851879259
スレが長いのでトップだけ。親が無意識のうちに読書を「押し付け」ていると逆効果になる、という主張。自発性を後押しする様な条件がそろうことが大事ということで、まぁそうだろうなと。
>Xユーザーのshinshinoharaさん:
「子どもの読書について、少し言語化を試みたい。 子どもが読書するようになるには?という問いには、「親が本を読む姿を見せる」という回答が非常に多い。親が本を読むなら家には本があるだろうし、親が読んでる姿を見て子どもも自然に本を読むようになるだろう、と。でも私はこの答えが気に入らない。」 / X
https://x.com/ShinShinohara/status/1858064893808918692
リベラル逆張り系の論者の方達が、社会秩序を壊す存在をも包摂せよ、とよくいうのですが、こうした指摘は、だいたいの場合、現実を踏まえておらず、逆張りでリベラルを批判することが目的化しているのではないか、と疑っています。
(「リベラル」と違って「包摂できる自分」アピールのため)
左派の硬直制は確かに存在しますが、それは、逆張りの方達が批判する部分とは、批判されるべきポイントが異なっている、と私は考えています。
世の中のほとんどの人たちが、異常でもなく悪辣でもなく、ごく普通の善良な真面目な人々であることはまちがいないですが、そうした「普通の人々」の暴走こそがもっとも恐ろしく、それは民主主義に必ずついてまわるものである、ということはもう指摘されていることでしょう。
集団化した人間の暴走の恐ろしさを知らないのだろうと思います。
「包摂」するといって、たんに自分が取り込まれているだけ、という事例もとても多く、これもポピュリズムの跋扈する時代だなと思います。
こういう時、「新聞は〇〇せよ」というような意見が多くみられるのですが、そもそも情報源が完全に分離しているので、新聞がなにを書こうとも読まない層は読まないです。
たとえば、これまで、数々の朝日の記事の炎上がTwitter発で起きましたが、その大部分が、「見出しのみ」を読んでの炎上であり、本文を読んでいる人は、極めて稀でした。
これは、朝日の炎上記事のアクセス数へは炎上してもあまり影響が出ないということから裏付けられると思います。
つまり、もう最初からメディアを敵視して炎上させることが自己目的化しており、機会があったら便乗して燃やすというループができているだけで、ソーシャルメディア上の炎上は、実質的な批判にはなっていないですし、それを気にして内容を変えたとしても、もともと読まれてもいないのだからなんら変化はない、という結果になると思います。
国民民主党や今回の兵庫県知事戦の流れを既得権益や「既存エスタブリッシュメント」への反発という文脈から解釈する流れが多いのですが、背景にあるのは、社会構造の劇的な変化(グローバリズムの進展による格差化、産業構造の変化、移民など)による相対的剥奪感に加えて、パンデミック以降のインフレなどによる生活苦が乗っかった形で、既存の政治勢力への反発は、あくまで背景要因のぶつけ先がそこになっているだけ、と考える方が妥当だと思います。
一次要因の社会構造の変化に対して、対策を打ち出せない既存統治システムへの怒りが噴出していることが原因とするならば、対策として、言論によって包摂するのはほぼ意味がなく、一次要因への対策になります。
しかし、これは大きな社会構造の変化にともなうものですから、実効的な対策をとるのは非常に難しく、ほぼ誰にとっても無理ゲーである、とも思います。
要するに、当座、打つ手はない、と思うのですが、ここで問題を「言論」にあるとみなして、左派リベラルがー、と言い出すのは、言論好きの人の趣味の領域でしかなく、現実にはなんら関係がないと思います。
維新の看板で25万票取った。
次の参議院選挙で京都や滋賀にも影響があるかもしれない。
京都は新実アナがそんなに簡単には当選できないかもしれないけど、滋賀では嘉田由紀子人気が強いので当選するリスクはある。
「兵庫のエース」清水貴之氏埋没 維新を離党、戦略裏目https://mainichi.jp/articles/20241117/k00/00m/010/197000c
■主体性のある判断を(逢坂誠二の徒然日記)
「私は、日本に生まれて良かった、日本に住んで良かったと思うことのできる国にすることを目指しています。日本の文化や伝統を踏まえつつ真の主権国家となり、個々人の尊厳を大切にした誇りある国でありたいとも考えています。
戦後の日本は、アメリカ依存であったことは、良くも悪くも紛れもない事実です。これからもアメリカとの関係は重要なものです。その関係を大切にしながらも、日本の主体性を高める取り組みを強化して、真の独立国になるべきと私は考えています。今以上に、主体性のある国になることが、私の考えの基礎にあります。」
委細はブログ「地誌のはざまに」を御覧ください。#江戸時代 の #相模国 の地誌・郷土史がメインです。
元twitter(ペケッター)には今でもフォロー・フォロワーのツイートを確認したりリアタイしに行ったりしていますが、現在はFedibirdの方がメインになっています。ブログの更新時のアナウンスにも使いますが、どちらかと言うとそれ以外の話題(クラシック音楽や社会問題など)が多めです。
朝方には気に入った野鳥や野生動物の写真をブーストしています。