『キラーコンドーム』のTシャツ欲しいな。
https://m-nerds.com/news_20230802
ゾンビはゆっくりとしかし確実に迫ってくる死の表象なのだから、せかせか走ってきちゃ駄目なの。若くて元気なうちはそこまで脅威でもないけど、ふとくたびれてしまったとき、ああもう逃げられないんだな、と気がつく瞬間がいいんだから。
走るゾンビが流行るというのは、それだけ「だらっと続く日常」が失効し、毎日の生存のシビアさが生活感覚に根付いてしまっているということでもあるのかもしれないけれど。
みんなどうやって音楽を聴いているのだろう。散歩中や読書中に漫然と聴くのはよくやるのだが、それこそ批評的な態度で注意深く聴くというのがどうも僕はできない。優れた音楽評を読むとき、これまで僕はいったいどれだけの音を聴き逃してきたのだろうという気持ちになって、しかし僕は耳だけで音楽を聴くというのはどうしても手持無沙汰であれこれ気を散らしてしまう。映画であれば注視ができる。本はわりと散漫だが、しかしその気になればかなり集中できる。音楽はどうも、聴覚だけに身を傾けるようなことが苦手なのかもしれない。音楽を論じる文章を書く人はそうやって音楽を聴いているのだろう。椅子に深く腰掛けて目をつむるのだろうか。目を開けていてもなお音楽だけに注意できるというのはどうも想像できない。この前の録音ではなぜひとはライブに行くのだろうかと話したが、これはあるていど映画館と同じことで、そうでもしないと人は音楽にだけ集中するということができないからなのではないだろうか。僕は音楽を聴くのが苦手なのかもしれない。人によってはこれと似たような困難を観劇や読書におぼえるのだろう。
みんなどうやって音楽を聴いているのだろう。散歩中や読書中に漫然と聴くのはよくやるのだが、それこそ批評的な態度で注意深く聴くというのがどうも僕はできない。優れた音楽評を読むとき、これまで僕はいったいどれだけの音を聴き逃してきたのだろうという気持ちになって、しかし僕は耳だけで音楽を聴くというのはどうしても手持無沙汰であれこれ気を散らしてしまう。映画であれば注視ができる。本はわりと散漫だが、しかしその気になればかなり集中できる。音楽はどうも、聴覚だけに身を傾けるようなことが苦手なのかもしれない。音楽を論じる文章を書く人はそうやって音楽を聴いているのだろう。椅子に深く腰掛けて目をつむるのだろうか。目を開けていてもなお音楽だけに注意できるというのはどうも想像できない。この前の録音ではなぜひとはライブに行くのだろうかと話したが、これはあるていど映画館と同じことで、そうでもしないと人は音楽にだけ集中するということができないからなのではないだろうか。僕は音楽を聴くのが苦手なのかもしれない。人によってはこれと似たような困難を観劇や読書におぼえるのだろう。
https://open.spotify.com/episode/3oE4LF1PpfMwN6vSnsFTPe?si=QlwuMDSxQAuY-TlWzLLiaA
きょうなんかダウナーなの、さては天気だな?
急な雷雨とかあったし、なんあたま痛くならないはずがなかった。
Twitterは個人の制作者として、既存の流通網に乗りうるコネや資本なしでも市場へのアクセスを手に入れられそうだという期待こそが魅力で、じっさいその期待は少なからず実現もすることもなくはない。
近所の「ご自由にお持ちください」や「インコ探してます」もしくは「魔ゼルな規犬」のような、電信柱の貼り紙的な微小広告群としてタイムラインを捉えているけれど、すでに貼り紙で溢れていて、訴求したいような人たちはもうほとんど誰もまじめに追っていなくて、個人がふらっと入って効果を得られるような場所ではとっくになくなっているのもたしか。
かきないしょうご。会社員。文筆。■著書『プルーストを読む生活』(H.A.B) 『雑談・オブ・ザ・デッド』(ZINE)等■寄稿『文學界』他 ■Podcast「 ポイエティークRADIO 」毎週月曜配信中。 ■最高のアイコンは箕輪麻紀子さん作