資本主義って個人主義と結託した仕組みだと思うのだけど、それらが全面化したように見える日本において「自意識過剰」が揶揄されるのがよくわからない。自意識過剰を忌避するような機制がいつからどのように一般化したのか気になる。
明治期に成立した私小説がすでに西洋の文脈からすれば異様なものであったように、そもそも日本文化圏で培われてきた「私」じたいが、じつは近代資本主義的な個人とは別ものだということだろうか。
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