Twitterは個人の制作者として、既存の流通網に乗りうるコネや資本なしでも市場へのアクセスを手に入れられそうだという期待こそが魅力で、じっさいその期待は少なからず実現もすることもなくはない。
近所の「ご自由にお持ちください」や「インコ探してます」もしくは「魔ゼルな規犬」のような、電信柱の貼り紙的な微小広告群としてタイムラインを捉えているけれど、すでに貼り紙で溢れていて、訴求したいような人たちはもうほとんど誰もまじめに追っていなくて、個人がふらっと入って効果を得られるような場所ではとっくになくなっているのもたしか。
しかしこれまでささやかな貼り紙を見つけてくれた人たちと楽しい約束を取り付けて遊んできたので、ほかの貼り紙スポットを見つけていかないとなあと焦りはしてる。
ここは便所の落書きみたいなもので、気楽ではあるが思いもしないところから声をかけられてびっくりみたいなのは起きづらい気がする。(思わぬ誤配と際限ない拡散というのはTwitterの悪いところでもあるけれど、バズと無縁な零細個人制作者としては、みみっちい規模で告知するのにちょうどよくもあった。)