フォロー

バスコ・ダ・ガマのインド発見以来、アフリカやインドの港という港を武力を持って制圧し、大航海時代を謳歌していた海の王者です。
明王朝はこれに対抗。
このときはポルトガルを追い払うことに成功しています。
後にポルトガルは香港ではなく、現在のマカオに居留を認められ、広州での交易を開始。
ただ、明王朝の時代はまだ、交易は朝廷のみが行うものであり、一般には禁じられていました。
古来より海の恵みを受けて暮らしてきた地元民たちにとって、目の前を行き来する船とやり取りができないとは酷な話。
実際には役人の目を盗んで密貿易を行う者が後を絶たなかったようです。
16世紀後半に入ると香港周辺には新安県という県が置かれ、香港にも大勢の官兵役人が配備されました。
当時新安県にはおよそ34,000人の人口があったとの記録が残っています。
しかしあくまで交易の中心は広州であり、香港は水軍の施設として機能していました。
おそらくこの頃には、”香港”という地名も定着しつつあったのではないかと思われます。

ログインして会話に参加
Fedibird

LTLのないFediverse志向の汎用Mastodonサーバです。Fediverseの活動拠点としてご利用ください。