“廃止表明の1年前、デジタル庁幹部に本紙記者が、マイナンバーカード普及のため保険証を使えなくする考えがないのか尋ねると、即座に否定し、こう答えた。
「使えなくなると言えば普及するってのは権力的な目線だよ。ダメだよ。保険証は(なくなれば人が)死ぬんだから」”
QT: https://fedibird.com/@gaitifuji/113195000562260015 [参照]
憲法前文をしっかり解釈するという授業を中学校でやったらいいと思うけど、してないよなー
戦争を生き延びた日本のインテリ、アメリカから派遣されてきたインテリ、いずれもとても若い人たちが焼け野原の中で共同作業で理想主義をぶちこんで作り上げたあのタイミングでしかありえない名作である。憲法はそうでなければいけない。
今年の平和式典、広島市と長崎市で大きく対応が分かれました。 ただし、これは長崎市の対応が「常識的」、広島市が「異常」です。
これは今年偶然に起こったことではない。
広島市は、長く「保守」も「革新」も「原爆投下」と「平和」に関しては曖昧ながらも「コンセンサス」がありました。
転換は、1999年小渕内閣による「国旗・国歌」法案から始まる。この際、国会と答弁では野中官房長官は「強制ではない」としたものの、小中学校の現場では「強制」が罷り通ります。
この際、最も紛糾したのは広島。広島は「平和教育」の伝統があり、それは当然ながら大日本帝国の象徴である「国旗・国歌」への違和感とつながる。
広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかにお眠り下さい。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれている。この文言、「過ち」の主体が不明、という点で、如何にも「日本的」だが、「日の丸・君が代」の強制とは相性が悪いの事は確かである。
であるからこそ、広島は狙い撃ちにされ、教員との板挟みになった校長の自殺が相次いだ。
このあと、秋葉社民市長時代の相対的安定期に入るが、現市長は毎年職員研修で教育勅語を引用、平和教育の教材から「はだしのゲン」を削除。
広島大学学長はと言えば、日経の全面広告で三浦瑠麗と対談する有り様だったのである。
「科学誌Natureに掲載された研究結果で、樹皮に生息する微生物が大気中のメタンを大量に吸収し、樹木による温暖化緩和を約10%促進させていることが判明しました。
これまで、陸地でメタンを吸収するのは土壌だけと考えられていましたが、今回の新たな発見で、樹木が土壌と同等かそれ以上に重要な存在になる可能性が示されました」
世界中の木々の樹皮を平らに敷き詰めると地表をすべて覆ってしまうという箇所にも驚いた。
樹皮は地球にとっては海と同じくらい大切なものなのだろうな。
樹皮がメタンを吸収していることが判明。温暖化阻止のカギとなるか | ギズモード・ジャパン
https://www.gizmodo.jp/2024/08/bark-absorbs-methane.html
峰宗太郎ってツイッター復活しているのか。あれだけPCR検査唾棄のデマをばら撒いて実害を与えたのに今は医務技官。ダメ人間の集積所とは聞いていたがホントなんだな。
台湾の台北には4600の防空壕が整備されているとのことである。台北の人口の4倍分の1200万人分のスペースがある、とのことだが、台湾の人口はだいたい2400万人だから半分は収容できるということだ、子どもたちは守れるだろう。
日本は型落ちのミサイルだのなんだのを膨大な予算で買っている。一方で、防空壕の存在は知らない。第二次世界大戦の時代のものがところどころに残っているぐらいだろう。ミサイルを買う金を出している人たちを守る気はゼロなのである。
マイナンバーは、個人の識別番号という機能と、個人の本人証明という機能が混在しており、公開してシェアすべき機能と、秘匿すべき機能が合体しているという矛盾に満ちた存在になっている。
このため、「マイナンバーを相手に知らせる」という、公開機能を扱う際にもなぜか秘匿しなくてはならないという決定的な矛盾を遂行する必要があり、この矛盾を隠蔽するために受け手にとっても送り手にとっても手続きがひたすら煩雑になるという、ものすごく馬鹿げた話になっている。煩雑なのは単にその矛盾を隠蔽するためである。あまりの面倒さにその矛盾がマスクされる。それだけなのだ。
設計した人間の歴史に残るような愚劣さに驚愕する。その愚劣さのために、どれだけの時間と労力が費やされているのか、おそらく天文学的な数字の損失である。
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