ブログに、廣野由美子『小説読解入門』について読書メモを書いた
武蔵野美術大学 美術館・図書館の公式ツイッターアカウントが紹介している、民俗資料室データベースの画像、山形県の藁細工のうさぎがよすぎる……(何しろうさぎ好きなもので)。
http://collections.musabi.ac.jp/search_folk/index_search.php?app=folklore&list_id=5017006&data_id=7997
今年はさまざまな力が一気に失われてしまい、仕事が前ならできていたペースでまったくできなかった。
年齢のことももちろんあるだろうけれども、おそらくコロナ禍での授業を一昨年昨年と2年間やった結果として、とくに精神的に参ってしまったのだと思う。
ネット回線も授業する場所もPCなどの機器もすべて自腹で、学生ができるだけわかりやすいようにと無理していたら、貯金もなくなった。
どさくさに紛れていいように使われて捨てられたな、という気がして気持ちが沈む。
そんな風にしかなれなかった自分にも落胆するばかり。
来年は少しでも前向きになれるかな……。
Suddeutsche Zeitung
Nachruf auf Arata Isozaki
Von Nagasaki lernen
ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』読み終わった。Kindleで寝る前に読んでいたが、昨日今日とワクチン副反応により動かずにいて、そのかんずっと読んでいたのだ。語り手がこんなに人間に深く入り込んで語り、しかも物語世界がパノラマのように広がる小説ってあるだろうか。
三人称の語りで、語り手が時にみずから顔を出しつつ、登場人物ひとりひとりにそのつど寄り添い、会話の表面と人物の内面のずれと相互理解のずれを丹念に語っていく。そしてカソーボンはおれだ。いや、リドゲイトもおれだしラディスローもおれだ。良い小説はこれだから読むのがつらい。
光文社古典新訳文庫の廣野由美子訳で。廣野由美子は京大独文出身で学部卒業後に英文学に変わったとのこと。
ジョージ・エリオット読んだらやはり『アンナ・カレーニナ』読まなくては(トルストイ若い頃敬遠していて、これもじつはぜんぶ読み通せていない)。
Twitterで燃えてる木簡関連の投稿についてはまず、21年の投稿(画像)があり、以降木簡=実社会で役に立つか怪しい研究を指すネットスラング となっていた。それを踏まえた上での今回の投稿は、具体的に木簡研究を云々するというより「そういうもの一般」への言及だったわけだ。
木簡が、シェイクスピアが、三角関数が役に立つ/立たないの議論は散々繰り返されてた。だが「役に立つ」を与えられた枠組みの中での部分最適化に留めるのではなく、より期間は長く、ターゲットは広く、冗長といえるスケールまで拡大すると、「役に立ち具合」は薄まって見えにくくなる。その薄まった「役に立ち具合」が見えるようになるためにも、木簡だのシェイクスピアだの三角関数だのを学んでおく必要があるのです、たぶん。
東京で生まれて埼玉で育って神奈川で暮らしています ドイツのこどもの本やおとなの本やドイツ語教員や独日翻訳