新しいものを表示

ブログに、廣野由美子『小説読解入門』について読書メモを書いた

hondayonda.hatenablog.com/entr

第九のwo dein sanfter Flügel weilt、「穏やかな翼」などと訳されることが多いけれど、これはhypallage(代換法)や転移修飾と呼ばれるもので、本来動詞weiltにかかる副詞用法のsanft(「あなたの翼が穏やかにとどまるところで」)を付加語的形容詞としてFlügelにつけたものではないかな

赤染晶子『じゃむパンの日』(palmbooks、2022年12月)を少しずつ読んでいる。これは少しずつ読むのがよいタイプのエッセイ集だ。おもに2010年前後に京都新聞などに掲載されたもの。上手いようなたどたどしいような、リアルなようなウソ話のような、深遠なような取るに足りない話のような。とても個性的で不思議な味わい。

身体の動きにおいてクラシック・バレエは究極の美のひとつだと思うが、愛好し感動はするけれど耽溺はしない。でもその確固たるしつらえを突き抜けたダンサーにはビリビリくる。ぼくが観た中ではやはりシルヴィ・ギエムがそうだった。「あれどこがいいの」とセンセイには言われたけど。

60キロをクルマで往復して親に挨拶してきた。かつては子ども孫など十数人が大晦日から泊まりがけで新年を祝っていたが、親が衰え、かつコロナがやってきて、1日に顔を出すくらいになってしまった。
私の親のところで年末年始を過ごす習わしで、おせち料理も出てきたのを食べていただけだから、うちの家族のおせち、という定まったものがない。SNSでアップされる各家庭のおせちを眺めて楽しんでいる。

masaya honda さんがブースト

武蔵野美術大学 美術館・図書館の公式ツイッターアカウントが紹介している、民俗資料室データベースの画像、山形県の藁細工のうさぎがよすぎる……(何しろうさぎ好きなもので)。
collections.musabi.ac.jp/searc

masaya honda さんがブースト

そういえばウチの殿(永青文庫理事長)は子供の頃、正月の膳に鶴の吸い物があったと言っていた。絵に描いたような儀礼食なので、実際には食べられないものを載せた膳も多かったそうだ。

ヘッドホンの聴き初めは、アップル・ミュージックでファジル・サイのゴルトベルク変奏曲にした。

今年はさまざまな力が一気に失われてしまい、仕事が前ならできていたペースでまったくできなかった。

年齢のことももちろんあるだろうけれども、おそらくコロナ禍での授業を一昨年昨年と2年間やった結果として、とくに精神的に参ってしまったのだと思う。

ネット回線も授業する場所もPCなどの機器もすべて自腹で、学生ができるだけわかりやすいようにと無理していたら、貯金もなくなった。

どさくさに紛れていいように使われて捨てられたな、という気がして気持ちが沈む。
そんな風にしかなれなかった自分にも落胆するばかり。

来年は少しでも前向きになれるかな……。

今年なんとか生きのびた自分へのプレゼントとして

欲しかったAKGのヘッドホン

小説が文学が救いになる、ことはあるだろうけど、同じくらい人を殺す、殺してきたのではないかとも思う。すばらしい人物に接することで生きる希望を得る人もいれば絶望する人もいるだろう。美酒が生を焼き尽くす。ロマン派はわかっている。

masaya honda さんがブースト

訃報が伝えられた磯崎新さんを最後に間近でお見かけしたのは、2016年の春日若宮おん祭、遷幸の儀・暁祭だった。極寒の深夜、若宮から御旅所へ、若宮神をお遷しする神職たちの行列の後尾に、共に供奉した。藤森照信さんがご一緒されていた。

ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』読み終わった。Kindleで寝る前に読んでいたが、昨日今日とワクチン副反応により動かずにいて、そのかんずっと読んでいたのだ。語り手がこんなに人間に深く入り込んで語り、しかも物語世界がパノラマのように広がる小説ってあるだろうか。

三人称の語りで、語り手が時にみずから顔を出しつつ、登場人物ひとりひとりにそのつど寄り添い、会話の表面と人物の内面のずれと相互理解のずれを丹念に語っていく。そしてカソーボンはおれだ。いや、リドゲイトもおれだしラディスローもおれだ。良い小説はこれだから読むのがつらい。

光文社古典新訳文庫の廣野由美子訳で。廣野由美子は京大独文出身で学部卒業後に英文学に変わったとのこと。

ジョージ・エリオット読んだらやはり『アンナ・カレーニナ』読まなくては(トルストイ若い頃敬遠していて、これもじつはぜんぶ読み通せていない)。

昨日昼過ぎに打ったワクチン4回目、前回は39度になって難儀したが、今回は今のところ38度3分が最高。あとはタイレノールで37度前後に押さえている。強烈なだるさもおさまってきた。一日ずっと横になっていた。

masaya honda さんがブースト

Twitterで燃えてる木簡関連の投稿についてはまず、21年の投稿(画像)があり、以降木簡=実社会で役に立つか怪しい研究を指すネットスラング となっていた。それを踏まえた上での今回の投稿は、具体的に木簡研究を云々するというより「そういうもの一般」への言及だったわけだ。

木簡が、シェイクスピアが、三角関数が役に立つ/立たないの議論は散々繰り返されてた。だが「役に立つ」を与えられた枠組みの中での部分最適化に留めるのではなく、より期間は長く、ターゲットは広く、冗長といえるスケールまで拡大すると、「役に立ち具合」は薄まって見えにくくなる。その薄まった「役に立ち具合」が見えるようになるためにも、木簡だのシェイクスピアだの三角関数だのを学んでおく必要があるのです、たぶん。

われらはライスビュルガーでトーフイーターだ

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。