そんなに悪くないよ… 1人で生きられる人生って素晴らしいと思うけど。http://store.adorable-pet.com/picture/20240711/E3/5E3FCA8F1F31w586h680.jpeg
腕時計は電池切れ、履いているスニーカーは爪先から靴底が剥がれ始め……という朝だけど仕事を片付けねばならない。
いってきます。
休暇のはずだけど、職場で仕事してる。
休暇だから外出も自由だけど、やっぱりヤルセナイネー……
私は何かを「好き」と思う時、そう思う自分がちょっと怖い。
食べ物や動植物ならまだ良いのだけれど、対人(とりわけ恋愛感情)は「好きになってしまった……」と若干憂鬱な気分にさえなる。
「好き」が距離感を見誤らせ、余計なトラブルを生んだことが多いからだ。
そこまででなくても欠点を過小評価し、長所を過大評価する傾向は強まってしまう。
自分が人を好きになるのも、人に好かれるのも正直なところ荷が重い。
それだけ有害な感情にも関わらず「何故好きになってしまったのか?」は上手く言語化できない。
辛うじて言語化して「それなら他の人も同じだから」と結論が出ても特定の誰かに感情が向くのは止められない。
私にとって「好き」はとても厄介な感情だ。
それなら「嫌い」のほうが余程馴染みがあり、考えることができ、制御も距離を置くことも容易な付き合いやすい感情だ。
「好き」より「興味・関心」や「尊重」のほうが安心して抱ける。
「好き」を語らせないでほしい。
「好き」を語らせればその人が分かる、というのは傲慢で短絡的なことではないのか。
「好き」の有害性や暴力性がもっと警戒されてほしい。
「何が嫌いかより何が好きかを語れ」とSNSではよく見るけれど、私は「何が」より「どうして」を、「好き」より「嫌い」を語ってほしいと常々思っている。
何かを嫌う理由を明らかにすることで避けられる軋轢は多いだろう。
それを語らないまま「地雷踏まれた」といきなり不機嫌になられても困るし、嫌う理由が分からないので応用も効かない。
もっと言えば「これ言ったらまた不機嫌かな」とそれこそ「地雷」を警戒して身動きが取れなくなっていく。
(余談だが、私はこの「普段は分からないが触れてほしくない話題を『地雷』と呼ぶ」のが嫌いだ。何でもかんでも戦争に準える暴力性への無自覚が滲むからだ。今は字数の関係で仕方なく使用している。)
「何故それは嫌なのか?」と聞いて「嫌いなことなんか考えたくないから聞かないで」と怒りを買ったことも多い。
私はどうしてもそれがわからない。
人生の大半を「大抵の人が好むものを嫌ってしまう」と悩んできて「私はそれが嫌いです」だけでは回避できず切々と訴えてなお「本当は好きなのに」と言われてきた私は「嫌いな理由を伝える」ことこそ相互理解の端だと思う。
嫌いな理由を語ることは、好きなものを語られるより私と相手を紐解いてくれる。
あなたがそれを嫌う理由は何ですか?
見終わった。いつも思うんだが、特攻をテーマに番組を作るなら、やはり特攻を命じた側が戦後どのようにのうのうと生き延びたかをこれでもかとやってほしい。
エネッチケーで特攻の番組をみている。裕仁が「よくやった」とのべたこと、メディアが煽ったこと、朝鮮人特攻兵16人がいたことなどに触れられている。
永田礼路せんせいの新作『再雇用勇者』、良…
これで10ページしかないのすごいな
https://magcomi.com/episode/2550689798889000238
読んでた漫画に「本当に怖いのは悪ではなく暴走した正義である」って出てきて一気にイヤになってる。
最近、流行りのこの考え方、私は根本的に間違っていると思う。
大抵の場合、「暴走した正義」で問題なものは「正義の名を語る悪」であり、そもそも正義ではないと思う。
正義という言葉が軽んじられていると思う。
政府がやるべきことは「自己責任で備蓄してね」とパニックを煽ることじゃなくて、「国にこんだけ備蓄があります。災害時にはすべての地域に最長でも◯日で行き届かせる準備ができています」と発信して安心させることだと思う。そんな準備もできてないってことなんだろうか。
魔女/フェミニスト/教育/反家父長制/産まない女だけど反出生ではない/she|herの人/ #ブクログ https://booklog.jp/users/bunsouou-book / 写真 https://instagram.com/minotake155?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==