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「アセクシャルの人はアセクシャルの人同士でくっついてセックスが必要な人を巻き込まないで」と「レスられ」な人はよく言うが、そもそも「恋愛! セックス! 即ちハッピー!」な物語が溢れる中では「私はアセクシャルだ」と気づくのに物凄く時間がかかる。
そもそも「アセクシャル」の中にもグラデーションがあって「性欲のあるアセクシャル」もいれば「性嫌悪の無いアセクシャル」もいる。
それぞれが試行錯誤しながら自分の性のあり方を掴んでいく旅の途中なのに「巻き込まないで」はあまりに乱暴。
むしろ「セックスや恋愛が必要でない人を勝手に巻き込まないで」と思う時がある。

自分自身、最近になってやっと「性欲のあるアセクシャルもいる」「人に性的な惹かれを感じないのがアセクシャル」と知って「じゃ私もアセクシャルなんじゃないの?!」となったので、若い人たちはもっと迷っていると思う。
「10〜20代は勉強や仕事が忙しくて趣味が楽しくて恋愛や性に手が回らなかった」と言っただけで「スカしてる」「非モテの強がり」扱いになるのは何度も体験した。
もしかしたら、この「恋愛や性を他のことより後回しにできる」がアセクやノンセクの現れかも? と考えられたらもう少し楽だったかな、と思う。
「セックスに消極的なパートナーに『傷つけられている』」とか「セックス🟰愛情表現」とか、その手の言葉もネットには溢れているけど、これも結構辛いものがある。
「セックスした経験があるなら愛情表現としてのセックスもしてるはずなのに」と言われても私自身、全くピンと来ない。
「二人でやると楽しいゲーム、例えばマリカーとかテニスのダブルスとかに付き合ったり誘ったりが愛情表現だと言えばまぁそんな感じかな? でも、パートナーは大切だけど私はもうしたくないんだ」……これをそのまま受け止めてほしい。
意地悪でも屁理屈でもなく、ただ「もうしたくないけど大切なパートナー」なんだよ。

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