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そういえば若い頃はこういう「仲のよかった女の子と別れて、結婚して家庭を持つ女の子」の話が苦手だったかもしれない。
生きているとそういうふうに流れていくことが今はよくわかるから、痛いほど刺さるし、泣きながら読んだけど、青春をともにした相手とずっと一緒にいられないのはどうしてなんだ、という駄々っ子みたいな思いはなくならない。
異性どうしなら、幼なじみと結婚するという展開の物語もわりとある気がするから、やっぱり制度の問題なの?

「なぜあなたはのパートナーは異性なんですか?」と訊ねたくなってしまう瞬間がよくあって、とくに「恋愛や性愛に興味がない」「パートナーは親友/戦友/同志」みたいな話しかたをされると「それなら同性のひとでもいいのでは?異性のそのひとなのはなぜ?偶然?」と思わずにはいられないんだが、制度の影響もあるんだろうな。
comic-days.com/episode/1407960

今まで生きてきた中で最悪の年は2012年から2013年にかけてなのだが、ちょうど10年経ったからか2013年のことをよく思い出す。といっても、実はこの年のことはあまりよく覚えていない。ツイログを遡ってみても、概ね楽しそうにしていて、よくわからない。

半年足らずの短い期間ではあるが、生まれた家族以外の他人と暮らしていた唯一の期間が2013年だった。6月に生活をはじめて、11月に破綻し、12月に実家(いま暮らしている家)に戻った。
当時は周囲の人に片っ端からこの件を相談して励ましてもらった記憶があるが、最近はほとんどひとに話さなくなった。家族もこの話題にはふれない。

あのときに比べれば、と思う。あのときよりはつらくない。
でも10年前は職もあったし、作文もしていたし、同人誌も作っていたし、あっちゃんも生きていた。

最悪の年なのは揺るがないけれど、いま親しくしてくれている友だちの多くと知り合ったのは2013年だった気がするし、宝塚の公演に初めて連れて行ってもらったのも2013年で、そういう年でもあった。
とにかくターニングポイントなんだろうな、ということを強く感じている。ここを抜けたら少しマシになるだろうか。なってほしい。

こんにちは。登場人物がみんな自らの善性に従おうとしているからこそ、明確な「悪役」をやっつければすべて解決、とはならない厳しさがあると感じて、そこがとても好きでした。環、清香のお母さん、カフェの経営をしている人たちなど、出番の少ない人たちにも自然と思いを寄せながら読みました。読めてよかったです。たいへん励まされました!

『ゆけ、この広い広い大通りを』(孤伏澤つたゐ)を読みました。
二人の子を持つ専業主婦のまり、バイクが好きで音楽を生業にしている夢留、東京で働いていたフェミニストの清香が、まりを中心に「地元」でやわらかく繋がっていく。
話はこの三人を中心に進むけれど、三人だけでなく登場人物すべて(=この世界に生きる人間すべて)がそれぞれに生きづらさを抱えている。登場する人たちは基本的にみな思慮深く、やさしいのだけれど、だからこそ、やさしい人たちが善意に基づいて思慮を重ねても、どうしようもないことやすぐには解決できないこと(率先して男性育休を取る父親である環が、それでもまりにワンオペ育児を強いてしまう状況など)がたくさんあって、すごくシビアだなと感じた。
何も解決していないようだけれど、一方、まりは諦めていた夢留のソロライブに行くことができた。お花見とソロライブの場面は、ただ存在していることを祝福されているような気分で読んだ。
清香を通して書かれていた都会で働くことの難しさ、「女性がひとりで生活していくことが、どこにいても困難であること」の一文に勝手に励まされる思いでした。

愚痴です。

人生初・明日から来なくていいよの退職だったのだが、書類上は昨日まで会社に在籍していて(欠勤扱いにされていた)退職に際して必要な書類に私が記入しなければならない箇所があり、それについて口頭で説明したいので、電話をかけてこいと指示されていた。ので、その通りにした。

よほど複雑なのかと思えばそんなことはなく、こんなことわざわざ電話させなくても、書面での説明でじゅうぶん、というようなことだった。説明しながら、人事の社員がやたら不自然に間をとるので、「わかりました、それで?」といちいち促しながら聞いたのだが、あれはもしかしたら、通話しながら指示どおりのことを私にその場で記入させるための間だったのかもしれない。幼児扱いしてるのか?というぐらい、一挙手一投足をコントロールしたがる会社だった。こわい。
そのわりに人事が送ってきた書類は、私の住所の欄に他人の住所が記載されていて、あまりに派手なミスに脱力した。

やっぱり辞めて正解だったのだと思う。

おとといまではめちゃくちゃに落ち込んでいたが、少しずつ落ち着いてきて、前向きに休む気持ちになってきた。
テトリスなどして過ごしています。

「11/19シャボン玉飛ばす会」に参加するために都心の公園に向かった。
絶好のピクニック日和なのに、私はものすごく落ち込んでいた。寒暖差や体調の周期などの要因もあると思うのだが、それにしても自分でも心配になるくらいの落ち込みで、はじめましての人々ばかりのところに単身乗りこんで大丈夫なのか…という不安もありつつ、シャボン玉とレジャーシートとお茶とおやつを持って出かけた。

都心は人が多くてつらかったが、公園は気持ちよかった。
その場にいる人となんとなく目を合わせ、笑いあい、軽く言葉を交わしながらシャボン玉を飛ばした。子どもの頃以来のシャボン玉は楽しかった。何かを強いられることのない、オープンな空間だったと思う。

ひとしきりシャボン玉を飛ばして、そこから豊洲PITへ移動した。
生きるのがつらすぎてもう無理、という瞬間を何度となくあっちゃんの歌に助けてもらって、ありがとうございました、という気持ちでメッセージを書いてきたんだけど、今もけっこうつらいのにあっちゃんはいなくなっちゃったんだなあ。
COVID-19の流行以来、はじめてライヴハウスに入った気がする。
新豊洲と豊洲のあいだを歩きながら、5年前の11月に豊洲PITでBUCK-TICKを観た、その行き帰りのことをずっと思い出していた。

彩の国さいたま芸術劇場で観たとき、やっぱり困惑&困惑だった『終わりよければ〜』のほうはかなり楽しく観られました。
2度目の観劇で、登場人物をある程度把握していたからかな…シェイクスピアは同じ作品でも観劇体験を重ねたほうが楽しめるのかも。あと登場人物にも俳優にも「推し」というか、ここに注目するぞ、というポイントがあったほうがよいのかなという気もしました。

浦井さんのバートラムがよかったんだよね!
彩の国さいたまの藤原竜也くんのバートラムは女遊びとかしそうにない感じだったんだけど、浦井バートラムは「爽やかなイケメンだがチャラいクズ」感がありました。めちゃくちゃ感じがいいのにクズい!だがそこがいい!笑
中嶋朋子さんのヘレナも、聡明でしたたかさがありつつファンガールっぽい前のめりさがあってよかった。ラストが「すべてよし」なのかは謎だけど。
ソニンさんは『尺尺』『終わりよければ〜』どちらの役もすごくよかったです。

浦井さん、今後もシェイクスピア演ってほしいな…歴史劇シリーズでヘンリー四世・五世・六世・七世コンプリートしてるのに、ほぼ見逃してるの残念すぎる…また何かの拍子に上映会してくれないかな。

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11月に入ってすぐ、新国立劇場の『尺には尺を』『終わりよければすべてよし』をマチネ・ソワレ通し観劇しました。
nntt.jac.go.jp/play/shakespear

ステージ上に池があって、『尺には尺を』ではあんまり使われてなかったけど『終わりよければ〜』では浦井バートラムがフランス王に池に叩き込まれたりしていました(下手側前列で観たらかなりびっくりしそうだった)。
基本のセットは同じなのに、けっこう印象が違ったな。

予備知識ゼロの状態で初めて観た『尺には尺を』はものすごくスッキリしない話で、どう面白がればいいのか困惑しているうちに終わってしまいました。
とくに公爵がイザベラに求婚する結末にドン引きした…イザベラもドン引いてたけど…

入社2週間で退職してしまいました。アルバイト生活をしていた頃にもなかったことですが、出席させられた会議で経営者から年齢ハラスメントでは?という発言を浴びせられ、びっくりして気がついたらこうなっていた。
経営者側は同じ会議の中で(私ではない社員が会社に提出したコメントを扱き下ろしながら)「ハラスメントと指導の区別がついていないのではないか」とも言っていました。

実際には、ハラスメントと指導の区別がついていないのは被害側じゃなく加害側なんだよね。宝塚歌劇団が、宙組生の急逝を受けて発表した調査報告書を読んだけど、それはパワーハラスメントですよね…?という内容を堂々と記載して、堂々と「ハラスメントにはあたらない」としている印象があり、とても怖かったです。

たとえば、私はそもそも「お声がけコミュニケーション」なるものが行われる必要性や妥当性をものすごく疑問に感じてしまうんだけど、報告書はそういう部分にはまったく疑いの余地をはさまず、「礼儀として行われて然るべきもの」という大前提を決して崩さずに、上級生と下級生の行動を評価しているので、根本的に話が通じていないという絶望感があります。
kageki.hankyu.co.jp/sp/news/20

なんかほんとうに節目というか、青春の終わりを感じる。更年期を目前にして何を言ってるんだ感があるが…

この20年…25年?ぐらいのあいだに夢中だったものが次々に過去になり、いま住んでる家の周囲がどんどん取り壊されてて長くても10年以内にはうちも立ち退きだろうなというのが見えてきて(戸建てだが持ち家ではない)、おそらくインボイス制度の影響で家族の仕事はいよいよ減り、別の家族は非正規から正規雇用に切り替わり、文学フリマはビッグサイト開催が決まり、会社勤めがハードでものが書けなくなり、その状況は転職しても改善しそうにはなく、足下がぐらぐらのうえに見通しもあんまり明るく思えず…つらい…ただでさえ気持ちが落ちこみやすい季節なのに…

なんでこんなときにあっちゃんはいなくなったの?

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中村俊輔の引退試合のニュースを今更知って(そもそも引退のことすらちゃんとは知らなかったのだが)エントリーしてる選手がよく知っている選手ばっかりで、それこそ松田と奥の名前もあって、しかもスタジアムは三ツ沢なんだ…と思ったら、ウワーッとなってしまった…(城彰二選手が好きで、横浜FCを応援していたことがあります)

この20年の思い出話をさせてくれ…あんなことあったよね、懐かしいね、ってひたすら言いまくりたい。なんかそういう会を設けないと心の整理が難しい。
でも思い出を共有している人の多くとは疎遠になってしまったんだよね。

きっとみんな、人生のもっと早い段階でこういう経験をしてきてるんだろうな。みんなどうやって乗り越えてきたんだろう。
yokohamafc.com/farewell-nakamu

G.Garage///『ヘンリー四世』を滑り込みで観ました。めちゃくちゃ面白かった!
第一部と第二部を一幕と二幕にきれいにおさめて一本の芝居にしてあって、コンパクトで見やすかった。『ホロウ・クラウン』でもとくに第二部はけっこう中だるみした記憶があったんだけど、まったく飽きなかった。
「人間関係がわからないとシェイクスピアはものの5分でつまらなくなる」とのことで冒頭には登場人物紹介があり、これもたいへん笑えてわかりやすかった。

生で観るとイーストチープでフォルスタッフとハルがわちゃわちゃしてる場面ってほんとうに楽しいんだな…「王様ごっこ」とか、楽しすぎて(その後の展開を知っているだけに)つらかった。
二幕(二部)の、女将のヴァイオリン演奏でドルが踊るのも最高だった。

一部の役はクロスジェンダーキャスティングされていて、真以美さんが演じていたホットスパーがすごくかっこよかった。

小さいスタジオに細長い舞台のシンプルなセットで、ススキや酒樽の蓋など小道具をうまく使って場面転換していた。
シェイクスピアを食わず嫌いしていたころ、「私はそういうんじゃなくて小劇場の現代の芝居が好きなんで…」みたいにイキっていたのですが、いつのまにか小劇場で現代的なシェイクスピアを観るようになっていて感慨深い。

あとアメリカのイスラエル援助について、2014年のガザ侵攻の際にもアメリカはイスラエルへの追加の武器供与を可決していた、しかも上院議員の全会一致で、というのはショックだった。「バーニー・サンダースも反対しなかった」のだと。親イスラエル団体を敵に回したら当選できないから、内心はどうあれそのように振る舞うしかない、それでも政権内部にバーニー・サンダースがいないよりはいたほうがいいし、大統領だってトランプよりはオバマやバイデンのほうがましだから…って、こんなの『善き人』で見たやつじゃん。ユダヤ人の親友に「自分のような人道主義者が内部にいたほうがいい」って言い訳してナチに入党する主人公だよ。

そもそも『善き人』のような素晴らしい舞台を生んだイギリスだって、今回の国連の「即時停戦」決議では棄権しており(日本もだが)、遡れば第一次大戦後のイギリスの外交が今に至るまでの問題の発端のひとつでもあるわけで…などと考えはじめると、『善き人』の見え方もまた変わってきてしまう。

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緊急セミナー「ガザ 人間の恥としての」(講師 岡真理)を視聴しました。
イスラエルとパレスチナについて、私もどこかで「複雑な問題」「憎しみの連鎖」という言葉で片付けてしまっていたところがあり、まず「パレスチナはイスラエルの軍事占領下にある」という構造をしっかりとらえられていなかったと思う。「パレスチナはイスラエルの新型の兵器の実験場であり、デモンストレーションのショーケース」というお話は衝撃的だった。

非暴力で平和的に抵抗しつづけても踏み躙られ無視されるばかりで、これ以上どうしたらいいのか、という問いかけがほんとうにつらい。
つらいが、追い詰められたあげくの、抵抗のための暴力だけが咎められる、という構図、ほんとうにあちこちにある。

これまでもずっとそこにあった問題なのに、何をしていたんだろう、と最近しょっちゅう思わされるが、この問題もそうだった。

「ハマスとは何か」とよく問われるが、むしろ「イスラエルとは何か」を問うべき、という話で、イスラエルに対してパレスチナが被害者であることがほんとうに腑に落ちた。
「何者なのか」を問われるのは常に抑圧される側だから。
youtu.be/-baPSQIgcGc?si=Onf3Oy

この旅行の目的は星組の博多座公演『ME AND MY GIRL』の観劇だった。

宝塚歌劇団については、2月に大劇場公演を観に行った時点で週刊誌報道を受けてウジウジしたことを書き連ねており夏の星組『1789』でもさんざんモヤモヤし、そして所属の団員の死亡という決定的な事件を経てさすがにかなりテンションが下がっていた…と言いつつ飛行機に乗って観に行ってしまったわけですが。

博多座はたいへん良い劇場で、観劇中はやはり楽しかった。『ME AND MY GIRL』はわりとお気楽なハッピーミュージカルだし、演者さんたちはみんな達者だった。
けれど楽しみながらも、前日に知った訃報が頭から完全に離れる瞬間はなかった。訃報という言葉で一括りにはできない、けれど、同じ劇団に所属する団員の訃報を受けてまだ日も浅いのに、舞台に立っている人たちを心配せずにはいられなかった。

舞空さんのチャーミングな「顎で受けなさい」を聴きながらも、「アゴで受けとめてニガい顔してスマイル」じゃ済まされないことが起きたんだろうが…などと思ってしまい、なんか…よい舞台だったけど、状況的に楽しむのが難しかったです。

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そして今週は一泊二日で博多に行ってきた。子どものころの長崎への家族旅行で通過したことはあったけど、しっかり滞在するのは実ははじめての福岡。
直前にいろいろありすぎて下調べもろくにできず、いつも以上に行き当たりばったりで出かけたのですが、それがすべて良い方に転がってくれたというか。

初日の夜、せっかくだから中洲と呼ばれるあたりに寄って帰ろう…とふらふら歩いていて水上バス乗り場を見つけ、思いがけずナイトクルーズに参加できたりとか。
屋台村や博多ポートタワーを見ながら博多湾まで行く30分のクルーズで、がっつり観光したぞ!という気分になりました。

2日目はこれも現地でたまたま存在を知った福岡アジア美術館に行き、予想以上にすごくて圧倒されてしまった…李禹煥、蔡國強をはじめたしかにアジアの現代芸術のスター作家が揃っていて、10人24点とは思えないボリューム感だった。別の企画だけどパンクロック・スゥラップもいたし。
作家の写真とあわせて展示されていた方力鈞の自画像がとくに印象的だった。

ごま鯖、明太子、のっけ、ごぼう天うどんと当地のおいしいものもたくさん食べられたし、大きなアクシデントもなく、ほんとうに楽しい旅行だった。

少し前にNTL『善き人』を観た。
たくさんのひとに観てもらいたい、素晴らしい舞台だったけれど、ほんとうにしんどかった…。
教養があり、家庭にも尽くし、ユダヤ人の友人がいて、差別には反対する人道主義者でありながら、世間の情勢に抗えずナチに入党する主人公はまさに自分も含めた「ふつうの日本人」で、そういう「善き人」がどんな言い訳をして、どれほど酷いことをするかを突きつけられる。
私は観ながらずっとガザのことを思い出していた。

シンプルなセットだが、音の使い方はかなり迫力があり、とくに二幕の「砕けたガラスの夜」の場面は怖かった。
焚書の演出もすごく怖かったな…あの炎は本物だったのかな?燃やしていた本はきっと中身が白紙の小道具だよね、と思わず自分に言い聞かせてしまう怖さだった。

長身で腰が高く、ものすごくスタイルが良いデヴィッド・テナントがSSの制服を身につけるシーンがショッキングで、不思議なくらい格好よく見えなかった。やはり劇中でSSの制服が格好よく見えるときって「格好よく見せたい」という意図があるんだろうなあ。
舞台上にはほぼずっと3人の俳優だけで、テナント以外の2人は複数の役を演じ分けるんだけど、びっくりするほどみんな演技がうまかったです。
ntlive.jp/good

また、木版・銅版・ドライポイントなど版画の技法についての説明もあり、銅版画に使う銅板に実際に線を引く体験もさせてもらった。
鑑賞していた作品の作者のかたが偶然会場を訪れていて、いろいろお話を聞かせてくださったほか、目の前で銅板に線を引いてみせてくれた。思いのほか強い力で引っ掻かないと、しっかりした線にならないのだとわかった。

すごく貴重な経験をさせてもらえて、勉強にもなりました。

会場にたくさん展示されていた版画も、いろいろな題材や質感のものがあって、見ていて飽きなかった。
入ってすぐのところに展示されていたレジンを使った作品がとくに好きだった。

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先週の土曜日、代官山ヒルサイドフォーラムで「第66回CWAJ現代版画展」の、「ハンズ・オン・アート」というワークショップに行ってきた。
視覚障害のある人が版画を楽しむためのプログラムとのことで、参加じたいは誰でもできる。

版画の線や色を立体的に浮き出させた「触図」をさわりながら、ここに描かれているものは何だろう?など、話し合いながら鑑賞するという内容。
とくに最近は、ひとりで美術展を観ることが多いので、単純に作品について人とあれこれ言い合うのが面白かった。グループには全盲のひともいるので、見える参加者が色を説明したり、視覚と触覚で得た情報を総合して作品を読み取っていくのはとても面白かった。
「触図」そのものも興味深かった。専用のプリンターがあるそうだが、単に描線を浮き出させているだけではなく、色の濃淡なども手触りで感じとれるよう、「編集」がされている。触るから気づけるけれど、目視だけでは見落とすのではないか、というような薄く、細い線もあった。
会場にはオリジナルの作品も展示されていて、触図と見比べることもできる。
cwaj-gallery.jp/hands-on-art/

しかしびっくりするほど涙が出ないな。さすがに今井さんのインスタやレイモンド・ワッツのツイートを見たときにはワッとなったけど…
森賢さんのときはめちゃくちゃ泣いたのに、あれはやっぱりライヴに行った直後で、その後また行く予定もあったからかなあ。実はBUCK-TICKの音源も長いこと聴いていなくて。いま聴きかえすと危なそうなので、とりあえず旅行から帰ってきてからにします。
まだ買ってなかった『異空』を今さら買うのも後にしよう…

こんなことになって、でも去年と一昨年ライヴに行っておけばよかった、とはあまり思わないんだ、負け惜しみかもしれないけどそれは後悔してない、と言ったら家族が「だっていつかまた(BUCK-TICKのライヴに)戻りたいと思ったからこそ、距離を置いたんでしょ?」と言ってきて、さすがTHE ALFEEをかれこれ25年追っている人は言うことが違う。
あとこういうときに「推しは推せるときに推せ」みたいに言うのはあんまり好きじゃないです。

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