言論のアリーナ論は、それを正しく運用するためには(つまり反差別の意識と実践が社会に浸透するという結果を生むためには)、その闘技場を構築する書店員に相当な知識と経験が必要になる。ようは「あらゆるパワーバランスを把握する」ことが必須なのだが、そんな超人は当の本人ですらなれるわけはなく、単に「差別のこととかよくわからないし面倒だしやりたくない」人間が都合よく「言論のアリーナ論ってのがありましてね」と言えてしまうものにしかなっていない。アリーナ論を実践するには相応の(もはや不可能なレベルの)能力が必要である、そのことを明記せずにこの論をぶち上げたことと、それを称賛し続けている業界人(エライヒト)。本当にクソだと思う。
だから私の本にはこの本を参考文献として入れることはしなかった。福嶋さん本人は反差別の意識はあるだろうし、全否定するつもりはないけど、このアリーナ論はあまりにも「気にせずに済む人」の視点だな、と感じたので。もちろんこの本を初めて読んだときはここまで批判的には読めなかったんだけどね。