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チェーン書店におけるヘイト本対応の甘さは、ジュンク堂の名物店員的な人の「言論のアリーナ」論が影響のひとつだと思っている。この福嶋さんという書店員は、端的に言うと「ヘイト本を排除せず、代わりにその周りに抵抗言論となるものを置くことでそこを言論のアリーナとする(=正しいほうが勝つのだから大丈夫=読者の知性を信じる)」みたいなことを提唱&実践した人で、これが業界内では「良い試み」として捉えられている節がある。本人からすればそんな雑なものではない、と言いたいかもしれないが、個人的には「その程度のもの」だと思っている。なぜならこれは結果として「やらないことの言い訳」として利用される「(都合の)良い試み」になってしまったからだ。

jimbunshoin.co.jp/smp/book/b22

言論のアリーナ論は、それを正しく運用するためには(つまり反差別の意識と実践が社会に浸透するという結果を生むためには)、その闘技場を構築する書店員に相当な知識と経験が必要になる。ようは「あらゆるパワーバランスを把握する」ことが必須なのだが、そんな超人は当の本人ですらなれるわけはなく、単に「差別のこととかよくわからないし面倒だしやりたくない」人間が都合よく「言論のアリーナ論ってのがありましてね」と言えてしまうものにしかなっていない。アリーナ論を実践するには相応の(もはや不可能なレベルの)能力が必要である、そのことを明記せずにこの論をぶち上げたことと、それを称賛し続けている業界人(エライヒト)。本当にクソだと思う。

だから私の本にはこの本を参考文献として入れることはしなかった。福嶋さん本人は反差別の意識はあるだろうし、全否定するつもりはないけど、このアリーナ論はあまりにも「気にせずに済む人」の視点だな、と感じたので。もちろんこの本を初めて読んだときはここまで批判的には読めなかったんだけどね。

あ、ていうかまさにその福嶋さんの新たなインタビュー記事が出てたのか。だめだこりゃ。自著でもっとわかりやすくぶん殴っておけばよかったな。

たぶん「言論のアリーナ」というかっこいい感じの名前をつけたことが勝因だな。それでみんなコロッとやられてしまったんだ。

福嶋さんが可哀想な点は、例の記事を書いた記者側の認識があまりにも浅すぎるせいで、混ぜるべきではないいろいろな論点がごちゃごちゃになった記事になっているところですね。まあ、ちゃんとチェックすれば防げることなので、自分の発言に責任を持たない「気にせずに済む人」なんだな、という点は免罪されないのだけど。そして言論のアリーナ論という手綱を握るのが難しい仕組みを提唱したくせに、差別・ヘイトの被害当事者の声を聴いてこなかったことが簡単に推測できるレベルの「昔と言ってること変わらな過ぎ」感。これはどうやっても擁護できない。

反差別の実践が本来の目的(=差別被害当事者を守ること)を見失い、ただの知的ゲームになってしまう例のひとつだと思う。昨年末の樋口毅宏小説もそうだけど、皮肉を「読める」人だけがその輪に入れるハイコンテクスト反差別芸の披露、みたいなのが界隈で持て囃されてしまうことがある。「読める」にはいろいろな意味があり、心身の安全面から「読めない」人もいるということを意識せずに、「気にせずに」「読める」人たちだけで「これは反差別本であってヘイト本ではない(過剰反応だ)」などと言っている「反差別界隈」の人の多さに呆れた。

そもそも「実直な」反差別の実践がまったくもって足りていない状態で「皮肉」に頼ってもなんも響かないでしょうよ。「すごい!これはネトウヨも泡吹きますね!www」みたいな評価がされる「反差別本」で喜ぶのは反差別芸の見せつけ合いしてるお前らだけだぞ?ということがまるでわかっていない。

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