Everything
Everywhere
All at Once
gaga.ne.jp/eeaao/

ようやく観れた〜〜 早々に考えるのをやめて観たけど、終わってから考えてみるとすごく筋の通った話だね。
走馬灯じゃないけど、10年かけて読んできた本が並んでいるところを、数時間で本棚まるごと一気読みしたような気分。
今年のベストかも。

1日しか考えてないがこれやっぱり"日本的"なあれこれを全部ぶっ飛ばした先の話なんだよ。だから自分にはとても刺さって最高だった。

主人公が中年女性であることに始まり、アジア系、移民、LGBTQ、障碍、下ネタ、血縁地縁、家父長制、接客業、お役所仕事、ファッション、他にもあらゆるしがらみやタブーが次々にでてきては消えていく… これらすべてはあくまで前提としてあって"目配り"でも"乗り越え"るわけでもない。

どこにでも蔓延る現実世界への認識としての、奇抜さ、虚無感、冷笑、効率、陰謀論、輪廻などを徹底的にバカバカしく表現していて、"家族の絆"みたいな役割に着地させ(ているように見えるには分かりやすさ優先なのだと思う)るわけでもなく、メタバースからいいとこ取りをしようとする「選択と集中」すらもこき下ろす。

あらゆる可能性のなかで自ずと起こり得る未来を見つめられる者だけが、たとえしがらみや役割の中に居たとしても、自らの意志で「自分たちの未来」を選ぶことができる。
ただ人として、優しさをもって向き合おうよ。「いまここ」こそが特異点なのだから。

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現実社会でもお伽話でも、誰もが自らが見えている世界を軸としている。
目の前に現れる物語が突拍子もないものでも、その物語の中ではそれが真実であって、その書き手と登場人物ですら軸がピッタリと重なることはない。

電脳世界で生きていけるようになれば、身体に縛られる思いをしなくて済むだろう。マルチバースを行き来できれば、あらゆる最善手を選ぶことができるだろう。でもそうなったとき、この私という軸は保たれるのだろうか?

身体性や不可逆性は限界を知らせる残酷な現実でもあるし、その一方で量子のようにもつれる世界を自分に引き付けてくれるアンカーでもあると思う。
いったん「今ここ」に軸を置くからこそ、全く違う世界を観て楽しんで考えて拒絶することも受容することもできる。矛盾だらけの世界を私という軸に繋ぎなおすことができるのが人間の可能性だと思うのは傲慢だろうか。

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