ミッドサマーの感想を読むたびに
おそ松さんの地獄によって救われるという感想と重なって、そういう地獄によって救われていく現実について考えてしまう。個人ごとにフィクションが救いとして機能するのはあるだろうけど(わたしにも確かにある)、ムーブメントとしてあらわれてきてしまうのはいっそうSNS時代であり、社会のきびしさを思ったりもして、個が個としてどう受容するのか、沈黙を大事にしたほうがよいのかな、と考えながらそれをこうしてここで書いてしまっている時点でもう負けている。個を大事にできたり、わあハッピーと毎日過ごせていたなら地獄によって救われたり苦しさに押し流されるなんてないよな。個のままでいられたならいくらでも肯定してしまうのに現象として見えると怖くなってしまうのはどうしてだろう。