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魚野れん さんがブースト
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#カクヨムコン9短編
参戦します!

植物が全て樹界という魔物に変わった世界。主人公は人間生活を守るために樹界科に配属されたが……
https://kakuyomu.jp/works/16817330668461327703

魚野れん さんがブースト

:merrychristmas:言われたのでイブだけどもう公開してしまう:wayo:
:noelstar:​​:neon_snowcrystal1:​​:merrychristmas:​​:noelstar:​​:neon_snowcrystal1:
https://xfolio.jp/portfolio/8kaku/works/455166

魚野れん さんがブースト
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猫カフェで、寝ている猫ちゃんをなでなでするのは最高~! ってはなし 

背の低い棚の上で、猫が寝ている。

からだを伸ばし、前脚と後ろ脚をそれぞれクロスさせ、天板にぺったりとほおをつけて。

ハチワレ猫のおなかは白く、からだの中でもひときわやわらかそうな毛に覆われ、ふくふくと上下している。

起こさぬようにそっとそっと、首のあたりをかいてやる。
刺激に一瞬、ぴくりとなったものの、
害意がないと悟ったのか、
すぐにからだをぐいーと伸ばしてまた弛緩する。

すう、すうと寝息が聞こえてきそうなピンクの鼻。

今度は額をかいてやると、すこし目が開く。
起こしてしまったかと心配したけれど、その瞳は瞬膜に覆われているのだった。
起きているときは、ビー玉のように完璧な弧を描く猫の瞳。
それを保護しているのがこの瞬膜なのだっけ。

やがてハチワレ猫は、白い前脚を折りたたんであごを乗せる。
今度こそ起こしてしまったかと思いきや、
まだ白い腹は規則的にゆっくりと上下しているのだった。

からだを丸めることもなく、
人間の気配におびえることもなく、
あたたかなからだはのびのびと。
こまぎれで、一回一回は人間よりもずっと短いはずの
眠りに身をまかせるその姿。

充足。

猫自身がどう思っているかはわからないけれど、
そんなことばが浮かぶ。

ふたたび、首のつけねをゆっくりと丁寧に、
かくようになでる。

いま、このとき、ここには脅威はない。
それをよく知るちいさな命が、目の前で眠っている。
その安堵に、まどろみに、こちらの心もゆるんでいく。
人生はそれほど怖いものではない。
そう錯覚する一瞬がある。
指から伝わるあたたかさに眠気を誘われる。

できればこの寝息を、家で聞かせてくれないか。
わたしが眠る布団の上で、
枕元で、
あるいはお気に入りの座布団の上で。
食って遊んで眠って満ち足りる。
その生きざまを、間近に見せてくれないか。

猫といっしょに目を閉じて、
ふわふわの毛をなでながら、
わたしは起きながらにしてそんな夢を見る。

魚野れん さんがブースト

【エッセイ】無職になったからって、旅に出たところで人生なんて変わるわけない。そんな旅の話 

その年のヨーロッパは、まばゆかった。

 陽ざしが強くて、あらゆるものが鮮やかに見えた。
どこへ行っても薔薇の香りがした。

 オーストリアはウィーンの空港に降り立ったのは、五月のこと。でっかいバックパックをかつぎ、一か月先の帰国便を予約した航空券を握りしめ、中央駅前のちいさなホテルに宿泊した。

 その一泊は旅行代理店を通じて予約し、つぎの一泊は古城の馬小屋を改築したユースホステルをインターネットを通じて予約していた。あとは白紙。その日に着いた街の観光案内所で宿を探して泊まるか、適当に電話するか。そんなふうにして、ドイツ語圏を南から北へ抜け、さいごはフランスに渡ってパリから帰国する。それがざっくりとした旅のプランだった。
 宿はユースホステルか安いB&Bが基本。時間ならたっぷりあるが、お金は節約したかった。なぜなら、わたしは当時、無職だったからだ。

 二泊目にして、トラブルは発生した。バスに揺られて着いた郊外のユースホステルに予約ができていなかった。送られてきたメールに、もう一度返信をする必要があったらしい。
「きょうは満員で、泊めてあげられない」と、スタッフの女性は気の毒そうに言った。幸い、街中のユースホステルに空きがあり、投宿することができた。

 そこでは、日本人女性と同室になった。彼女は、看護師の資格をいかして派遣で働き、まとまった金ができると、長い休みを取って旅に出ているのだという。彼女はユースホステルでの防犯のコツを教えてくれた。

 それを皮切り、旅の途中、いろいろなひとに会い、こまごまとしたトラブルにあった。

 ミュンヘンの美術館へ行く途中、南フランスから来た老夫婦といっしょに道に迷った。しゃがれた声で「なんだかぜんぜんわからない、地図を見てもわからない」というようなことを言いながら、夫婦は皺が刻まれた手をつないでいた。

 中部ドイツのバンベルグでは、「留学に来たら手違いで寮が用意されておらず、ユースホステルに滞在している」中国人女性と同室になり、街を案内してもらった。もうひとりの同室者は韓国人女性だったので、アジア人三人で、夜更けまで恋愛の話をした。もちろん、互いの言葉は満足にわからないから、辞書を引いたり、互いの母語をちゃんぽんにしたり。

 魔女伝説で有名な山にあるクウェートリンブルでは、駅のロッカーにリュックを預けたら、17時で駅舎が閉まって取り出せなくなった。駅舎隣の宿舎らしきところで窮状をうったえるもどうにもならず、結局、着の身着のままでユースホステルに泊まった。

 ハンブルグの大きなユースホステルでは、ドイツの鉄道会社に勤めている女性と出会い、なぜかふたりで夕焼けの倉庫街を散歩した。高級そうなスーツを身に着けた彼女は、ロマンチックな風景のなか、「出張が多くて疲れるワ。フー」と、煙草をくゆらせた。当時のドイツは、喫煙率が高かった。

 北ドイツの砂浜でぼんやりしていると、全裸の男性がザバザバと海からあがってきた。波打ち際では、樽のような腹をした老夫婦が、手をつないで海へ入ろうとしては、「つめたーい!」と後退を繰り返していた。やはり全裸だった。浜辺では親子四人がビーチバレーに興じていたが、これまた一家全員、全裸だった。これについては、北ドイツの海水浴の特殊な風習という説も、ヌーディストビーチ説もあり、いまだによくわからない。

 どれも思い出深いものだが、人生観が変わったり、何か不思議なインスピレーションを受け、「帰国したらこれをやってみよう!」と思いついたり、そんなミラクルは起きなかった。

 旅に出る前まで働いていたのは、長い就職活動のすえに見つけたちいさな会社だった。ある日、わたしをルノアールに呼び出し、社長と上司は告げた。
「丸毛さんさあ、あなたの業績、こんな感じなの。正直、うちではこれ以上雇って教育するのは難しいよ」
というわけで、そこをクビになってしまった。
 先輩たちは、笑顔で言った。「若いんだし、丸毛さんなら大きな会社にだって入れるんじゃない? うらやましいなあ」。全社員14人の会社を能力不足で追い出されて、中途採用で大企業に勤められると思っているなら、どうかしている。いまなら、「若いっていいね」の言いかえだったとわかるけれど。

 とにもかくにも、わたしは途方に暮れた。がんばって就職活動をして、会社員になって、少ないながらも給金を稼いだときはうれしかった。やっとこの社会に居場所を見つけられたように思った。理不尽なこともあったけれど、がんばったつもりだった。でも、クビになった。勤めて丸二年で、戦力外通告を受けた人間は、まわりには誰もいなかった。

 これから何をすればいいのか、何をすれば自分は社会の歯車になれるのか、皆目わからなかった。頭も回らなかった。唯一思いついたのが、貯金をはたいての長期旅行だった。

 そんなわけで、北ドイツの美しい古城の街、リューベックで、わたしはベンチに座って呆然としていた。旅に出て、半月以上が過ぎていた。目の前には青い空が映った湖が広がり、さざなみが立っている。色合いも何もかも、絵はがきから抜けてきたよう。

 と、突然、隣のベンチに座っていた老婦人が、「ケセラセラ」的な歌を歌い始めた。驚いてそちらを見ると、「あなた、こーんな顔をしているんだもの」と眉間にしわを寄せて笑った。ドイツ語だったが、なんとなく意味はわかった。眉間を指でこすっていると、老婦人が、「人生はschwerシュヴェーアだよね。だけど、なんとかなるよ」というようなことを言い、「ケセラセラ」のつづきを歌ってくれた。schwerはドイツ語で、重い、難しい、といった意味だ。外国人であるわたしに向け、妙にはっきりと発音された響きが耳に残った。

 自分の殻を破るでもなく、眉間にしわを寄せてとぼとぼ歩いていたわたしだったが、人々は優しかった。バックパックを背負って路線バスを降りたその瞬間、道行く婦人が「ユースホステルはあっちよ」と教えてくれたこともあった。

 そうして、また半月、いろいろなひとに出会い、帰国した。

 日本へ帰っても人生は変わらなかった。一か月ヨーロッパ旅行をした、という事実があるだけだった。ただ、帰国して顔を見せに行ったとき、親からは「あんた顔変わったね。旅行行く前は、変な顔しとったよ」とだけ言われた。
 とはいえ、雇用はなんともならなかった。自分なりに社会の居場所を見つけるまでは、そのあと、遠回りが必要だった。

 「人生観を変える旅」では決してない。なんてことのない旅。

 あれから、ずいぶん時間が経った。いいのか悪いのか、あれ以来、わたしは長期の旅に出たことはない。いまは紆余曲折を経て、しがない自営業者となった。零細だが、「やったぶんだけ金が入る」「やった仕事を見て依頼がくる」シンプルさが性に合っているようで、会社員のときより、よほど安定を感じる。

 旅の記憶は年々薄れていく。それでも、ときどき、出会ったひとたちは元気かな、と考える。「人生はschwerだ」とつぶやいてみたりする。カラリとした空気にただよう薔薇の香りを突然、思い出すこともある。

 五月のまばゆいヨーロッパの光は、いまも心のどこかにある。

魚野れん さんがブースト

犬初心者が運命の犬を探す話【エッセイ】 

目があった瞬間、ビビビときた。
「あっ、このワンちゃんとは無理」
おそらく、犬も思ったに違いない。
「あっ、この人間は無理」

よく晴れた日曜日。わたしたち夫婦は電車を乗り継ぎ、川をわたり、林立する団地地帯や工場群を抜け、果てはSuicaやPASMOが使えないローカル線に乗り込み、郊外の街を目指していた。

目当ては保護犬の譲渡会。なぜそんな遠くまでやってきたかというと、気になる犬がいたからである。

シニア手前の大人の柴犬。里親募集サイトやInstagramの写真から感じる、なんともいえないのんびり、どっしりとした雰囲気に惹かれたのだった。
説明文には、「柴犬だけど、人にも犬にもフレンドリー」「犬が初めてでも飼いやすい子です」とあった。
「柴犬だけど」とつくからには、ふつうはフレンドリーでない前提がある。
猫派のわたしは最近まで知らなかったが、聞くところによると柴犬とはかなり特徴的な性格の犬種らしい。
里親募集サイトにおいて、柴犬にはたいてい「和犬の性格をよく理解し、愛してくれる人に」といった説明文がついてくる。

柴犬に限らず、我々には圧倒的に犬経験値が不足している。犬という生き物が皆目わからない。
譲渡会には、複数の犬が集う。
その柴犬を目的にしつつも、さまざまな犬と間近に接することで、犬を知り、慣れることも目的だった。

何しろ、猫と違い、犬は触れ合える場所があまりない。中型犬以上となれば、なおのこと。


譲渡会会場は、ログハウス風のフリースペースだった。
入り口で初参加であると伝えると、スタッフさんが簡単に説明してくれた。
今日参加する犬たちの中には、怖がりの子もいること。
しかし、みな、ゆっくりであればさわれるので、ふれあい希望の場合は、横についているスタッフに声をかけてほしい、と。

ベビーゲートのような脱走防止柵をくぐると、15畳ほどのスペースに、7匹の犬がいた。
新たに姿を見せた人間に対し、犬の反応はさまざまだ。
こちらに興味を持つ子あらば、壁と一体化している子あり、どっしり構えて動かない子もいる。
そして犬1頭につき、人間スタッフがひとり付き添っている。
このスタッフは「預かりさん」と呼ばれる人たちで、犬たちの飼い主が決まるまで一緒に暮らし、面倒を見ているボランティアだ。


さっそくお目当ての犬の元にいく。で、残念至極だが、冒頭の状態になったわけである。お見合いは初手でご破算。我々は犬を選び、また、犬から選ばれる存在なのだ。

ビビビとはいかなかったものの、柴犬は、説明書き通りの穏やかですてきなワンコであった。
夫に対しては興味を持ったようで、まずペロペロと手をなめ、しゃがんだ足元にもぐりこみ、手の甲にぎゅうぎゅうと鼻を押しつけ、次に手や腕のあたりをあむあむと口に入れ始めた。
わたしはびっくりしてしまったが、夫は「あひゃひゃひゃひゃ、くすぐったい」と笑っていたので、悪いものではないらしい。
預かりさんによると、これはこの子の愛情表現で、甘噛みですらなく、歯を当てるような動作をするのだという。
そんな話をしている間も、あむあむ、ペロペロ、ぎゅうぎゅう、あむあむ。
やがてなぜか短くうなり、預かりさんの足元に戻って伏せの姿勢でくつろぎ始めた。猫をもしのぐ気まぐれさ。

くつろぐ柴犬をなでながら、預かりさんにいろいろなことを聞いた。
その子の性格、散歩の頻度、脱走防止の方法、柴犬の抜け毛のすさまじさ。車のない家庭で中型犬を飼えるのか。将来、介護状態に入ったとき、どうやって通院させるか。

そして、我々の大きな疑問であった、「散歩以外の時間、犬はどうやって時間を過ごしているのか?」。ちなみにその子はふかふかした場所でくつろぎ、たいてい寝ているのだそうだ。

お礼を言い、他の子とも触れ合ってみる。

分離不安気味の中毛ふわふわの雑種は、工場地帯を放浪しているところを保護されたらしい。
預かりさんが大好きで、しゃがんだ預かりさんの肩に手を乗せ、しっぽを振っていた。
「きっと人に飼われていたんだと思います。なんであんなところでさまよっていたんだろうねえ」
預かりさんは犬をなでながら言った。
「ま、犬に聞いても答えてくれないんですけど」


最も心惹かれたのは、体重20キロのオス。こちらも雑種だ。どでかいポウにやさしい瞳。ラブラドールなど大型犬には及ばないが、思わず抱きつきたくなるしっかりとした体躯。そばにいれば、血中犬濃度は爆上がり。
おびえて体を丸めているが、なでるとキョロリと上目遣いをするのも愛らしい。
というかこの、「おびえているのになでなではできる」状態に、猫派は大変驚く。
えっ、噛んだりしないの? に、人間の方が弱いよ? 犬ってなんて優しいんだ……。
まだ若いがとても落ち着いているとのことで、覇気のない中年夫婦の暮らし向にはマッチしそうだが、何しろサイズがうちの賃貸ではNG。


犬たちと触れ合いながら、それぞれの預かりさんから、いろいろな話を聞く。
とくに、賃貸契約には飼える犬の体重まで明記してもらったほうがよい、というアドバイスは有益だった。

かつてマンションにて、大家との口約束で「柴犬オッケー」と言われて飼い始めたところ、実は以前、柴犬NGと言われた家庭があり、そこから物言いがつくというトラブルもあったそうだ。

「そういったときにモノを言うのは契約書ですよ!」とのこと。


総じて会の人たちはおだやかで、現実的だった。
犬のために守ってほしいことは理由も含めてしっかり伝えてくれるが、決して高圧的ではない。
犬のことはいいことも悪いことも教えてくれる。
ここからなら犬を譲り受けたいと思えた。
保護動物を譲渡されるさい、我々は飼い主にふさわしいか審査される側だが、我々も団体はしっかりと選びたいと思っている。


小一時間ほど滞在して犬をなで、話を聞き、スペースを出た。
申し込みには至らなかったが、犬経験値はすこし上がった気がする。

しかし、課題も見えた。
複数の犬と触れ合っていて感じたのは、人間が心を開く重要性だ。
おそらく、初手から心をドーンとオープンにしないと、犬との暮らしは大きくつまずく。
そして、わたしはそれがなかなかできない。柴犬はそこを瞬時に見抜いた気がする。
猫に対して「コミュ障や遠慮はよくないな」と感じたことがあるが、犬はその比ではない。猫はシェアメイト感があるが、犬はもっと親しく暮らすバディ。もっとシビアに選び、選ばれる必要がある。

と、また肩に力が入ってしまうのは悪い癖なのだろう。



「鼻、しっとりしてた。あむあむされた」

駅で電車を待ちながら、夫がニヤニヤしてつぶやく。夫は触れ合ったほぼすべての犬から手をペロペロされていた。夫の方が、心を開くのが上手なのだ。きっと、犬ともやっていけるだろう。

でも、わたしは――。もうすこし心を開けないと、マズい気がする。

そして、犬のことはまだまだわからない。
次なる謎は、お散歩……とは??? である。
今度、保護犬カフェでお散歩体験をしようかと話している。
我々の犬経験値蓄積の旅はつづく。

魚野れん さんがブースト

Instagramのユートピアが消滅した話【エッセイ】 

わたしたちはどうして、画面の向こうにあるものが永遠だと思ってしまうのだろう。


Instagramで海外のライブ配信を見るのが好きだ。


猫科大型獣保護施設では、ケガが癒えたボブキャットが自然に帰っていくようすを中継している。

猫4匹と暮らす俳優が、猫を片手、ワイン片手にご機嫌にだらだらとしゃべる配信は、たいてい予告もなく始まる。

マントルピースが美しく飾られた部屋では、保護された子猫たちがミィミィよちよちと歩いている。

なかでもお気に入りは、ある牧場の餌やり配信だ。

山羊や羊、アルパカ、豚、鶏、ポニー、赤毛の牛。そして猫、大型犬が暮らす牧場。

夫婦ふたりで切り盛りしているその牧場では、奥さんがよく配信を行っていた。
「朝の牧場!」といった不定期企画もあるが、手作りの動物用クッキーを動物たちに振る舞う「クッキーフライデー」など、曜日縛りの企画もあった。
山羊たちはクッキーが大好きで、我も我もと群がってくる。
「あわてないの!」とかなんとかたしなめながら、女性が配り歩く。
「いま、一生懸命食べている山羊はこういう名前で……」と、時折、動物たちの説明をまじえながら。


赤毛の牛たちは、クッキーには我関せずな様子。そして、餌を配り歩く女性の足元には、たいてい猫たちがスリスリと歩いている。


春の芽吹き、夏は「ここも何度になりました、ワオ!」といった気温の話、秋は落ち葉が積もり、やがて雪が降る。
身近な日本の四季とは別に、その風景を見ながら「もうそんな季節かあ」と思ったものだった。


ごくまれに配信主の姿が見えることがあった。灰色の目をクリクリとさせた女性。はっきりとした発音でしゃべってくれるのだが、残念なことにわたしは英語がわからず、9割は何を言っているのかわからなかった。


地球のどこかにある、動物たちとののどかで平和な田舎暮らし。実際は、細やかな世話や体調管理、地域の人との付き合いなど、たいへんなことが山ほどあるはず。

それはわかっているけれど、iPhoneの向こうにあるその世界は、どこか現実離れしたユートピアに思えた。


時差の関係で、配信はたいてい日本時間の夜中。仕事で神経が疲れた夜中に見る光溢れる牧場は、ディスプレイの明るさ以上にまぶしく見えたものだった。


……のだが。


最近になって、あの農場の配信を見かけないことに気が付いた。

検索してホームにたどりついて、異変に気づく。投稿が極端に少ない。
直近の投稿は、4月だった。ライブ配信のアーカイブだ。

開いてみると、動物の姿が少ない牧場を、女性がバケツ片手に歩いていく。いつもなら柵の向こうで待ち受けている山羊や羊がいない。
納屋のポーチはガランとして、椅子が1脚だけさみしげに置かれている。備品も生き物も少なくなった牧場で変わらないのは、にゃあにゃあと鳴きながら女性の足にまとわりつく猫ぐらいだった。


「わたしたちの新しいジャーニーをここでチェック」と、別アカウントへのリンクがあったので、タップする。そちらには近況報告があった。

牧場を営んでいた夫婦は離婚したこと、クッキーに無関心だった牛たちは既に別の農場に引き取られたこと、そこはSNSをやっていないこと、引き取れる動物は女性が引き取っているが、ひきつづき次の住処を探している動物もいること。

「わたしたちは合意の上で別れました」「夫への接触は試みないでほしい。それがふたりの願いです」「なぜ? とは聞かないでね。プライバシーを大切してください」「嘘をついていたわけじゃない。リアリティショーだってカットされているところはあるでしょう」

動画形式でテキストが流れていくので追いつけないが、そのようなことが書いてあるようだった。

報告のほかにも、予想される質問への回答も記されていた。牧場のフォロワーは96万人だ。さまざまなコメントやDMが飛んでくるのだろう。

その農場を一躍有名にしたのは、「豚と仲良しの猫」。豚の背中を渡り歩く猫の動画はバズりまくり、日本語の翻訳ニュースも見たことがある。その猫が行方知れずになっていることも、そこではじめて知った。

近況報告の動画のひとつに、農場のシンボル、青い納屋が引きで映っていた。戸口も窓もすべて締められ、人の気配も動物の気配もない。そこに雪がちらついている。

思えば、わたしは納屋の全体像を見たことがなかった。だって、ふだん見ているのは餌やり配信だから。女性の手もとと動物ぐらいしか映らないのだ。

ほかにも女性が自撮りしながら何かを話している動画もあったが、当然、わたしには何を言っているのか理解できなかった。ただ、「新しい始まり」と語りつつも、彼女の表情、そして画像に添えられた文面のはしばしから、疲れと哀しみがにじんでいた。


その疲労と感情に触れたとき、わたしは理解した。


あの農場はなくなってしまった。
ユートピアは永遠ではなかった。
瞳が明るい女性は「いつも明るいアメリカの農場のお姉さん」ではない。
喜怒哀楽の感情があり、山あり谷ありの人生を送る、ひとりの女性だ。

永遠も何も、ユートピアは初めからなかったのだ。
iPhoneのディスプレイを通し、わたしが勝手にユートピアだと思い込んでいただけだ。

わたしにとって、テキスト主体のTwitterやブログは“生”の生々しさを感じる場所。
ビジュアルがメインのInstagramは、どこかテレビの向こうを見るような、キラキラを求めて赴く場所だ。
疲れてしみったれた日常を離れ、きれいな別世界をのぞきたいと思って開いている。
海外アカウントを中心に見ているのも、異国の風景が、異国の言葉が、日本とは違うノリが、より非日常を感じさせてくれるからだ。

世界中から集めたお気に入りのアカウントで、わたしは箱庭を作っている。

のどかな牧場の餌やり動画。
牛にやたらなつかれるドイツの農夫。
神秘的な北欧の森を駆ける長毛の猫。
モダンなインテリアのなか、えさ皿をくわえて運ぶシェパード。
ガアガアとうるさいが、人になついているアヒル。

それらを小窓からのぞくような気持ちで、わたしはInstagramを眺めている。

でも、それらはけして作り物ではない。血肉の通った人間の、生ぐさい生活。あくまでその一部を切り取っているだけだ。


「ディスプレイの向こうに、人がいることを忘れてはいけません」
Windowsが普及し、多くの人がネットを使うようになった1990年代末から耳にタコができるぐらい聞いてきたことば。
多種多様な日常を見られるようになったいま、わたしはその意味をもう一度問い直すべきだろう。

だれかに罵詈雑言を投げかけなければいいというものではない。
ディスプレイの向こうには人がいる。
その人は生きていて、ときにややこしい人間関係をもっている。ディスプレイの向こうにあるものは永遠ではない。
どんなにキラキラと見えたとしても。

わたしはいま、あらためてディスプレイの向こうの人生の生々しさに打ちのめされながら、牧場にいた動物たちの今後の安定した生活と、あの女性の新たな人生の幸せを祈っている。

魚野れん さんがブースト

【エッセイ】人生に負けないように、推し猫の写真を待ち受けにしているって話 

夫のスマートフォンのホーム画面は、猫画像だ。
しかも、めっちゃメンチ切ってる(にらみつけている)ところ。

知らない人に見せると、たいてい「猫も笑うのね」と言われるが、とんでもない。
口元をゆがめ、目をつりあげてにらみつけているのだ。

ホーム画面の猫は、通っている保護猫カフェのかつての“推し猫”であった。
たいへん気が強い猫で、気に入らない猫がいるとバッシバッシと殴り歩き、天上天下唯我独尊のごとし。
そんなところにほれ込んだのであった。


保護猫カフェの猫たちを見ていると、攻撃的な猫がかならずしも強いわけではないことがよくわかる。


オス猫があるメス猫にやたらとケンカ売りに行くなと思って見ていたら、
メス猫のほうはまったく動じず、相手にしていないことがあった。
対するオス猫は、新しい子猫が来ると必死で威嚇するが、イカ耳になっていたりする。
イカ耳とは耳を伏せた状態のことで、猫が怖がっているときにするとされるしぐさだ。
人間の目には、そのオス猫は強いメス猫に恐れを抱いているのではないかと映る。


一方、大柄なあるオス猫は、やたらとケンカを吹っかけられていた。
めったに相手をしないし、怒らない。てきとうに迷惑そうに無視している。
しかし、いったん怒ると威嚇一発、相手は逃げ出していき、本気のケンカにすらならない。
彼には猫にしかわからない強さがあるのだろう。
そして定期的に彼を慕うオス猫が現れ、それはそれで迷惑そうにしていた。


と書くと、「保護猫カフェは常に荒れ荒れの戦国乱世なのね」と思われるかもしれないが、そんなことはない。
当然、在籍猫の性格による。
店内の猫関係が荒れているときに観察していると、上記のようなことがあった、というだけだ。


乱世のごとく店内が荒れていた時代に現れたのが、前述の“推し猫”であった。

名はスペースちゃん、性別はメス、からだは小さく手足は短い。しかし闘志はバカでかい。
カッとなると、大きい猫にも強烈な一撃をお見舞いする。
彼女がおびえているのを見たことがない。

「やるかやられるか」ではない。
選択肢は常に「やる・やる・やる」だ。
攻撃的で、しかもハートが強い逸材だった。


その性格は卒業、つまり里親さんが決まり、保護猫カフェから旅立つ日も顕著だった。
スペースちゃんは人間にはそれほど厳しくないので、不満いっぱいの顔をしつつも抱っこされてキャリーにおさまった。

そこまでは平和だった。

暗雲がたちこめたのは、若いオス猫がキャリーのまわりをウロウロしはじめたときだ。
若猫は、あろうことかリュック型キャリーごしに猫パンチをお見舞いした。

せまいキャリー内からでは、反撃しづらい。
スペースちゃん、圧倒的不利。
しかし、そこでやられる我らが“推し猫”ではなかった。
スペースちゃんはキャリーの網ごしに、若猫をにらみつけた。
顔をかたむけ、口と目をつりあげて静かに、静かに。

――猫もメンチを切るんだ!

先に目をそらしたのは、オス猫のほうであった。

「スペースちゃんがメンチを切って、若猫を撃退した!」
「キャリーインして動けない状態なのに勝った!」

我々夫婦はいたく感動した。


時は流れ、我々は新たな推し猫を見つけたりその卒業を見守ったりした。

そうこうするうち、夫が精神的に追い込まれたことがあった。
「自分が悪いのではないか」と自身を責めるが、話を聞いてみると、妻の欲目を抜いても夫は悪くない。
「そんなわけない。それは周りがおかしいでしょ」などと認知をただしつづけた。

その一環として、「とにかくすべてをぶん殴り、敵をにらみつけて撃退したスペースちゃんの精神にならうぐらいがよいのではないか」という話になった。

そんなわけで、夫のホーム画面はいまもスペースちゃんのメンチ切り画像だ。
「人生に負けないように」そんな祈りを込めて。

我々に文字通り勇気を与えてくれたスペースちゃん。
今でも感謝しているのだが――。
彼女はいまや、ひとのお家の猫ちゃんだ。
こんな思いを抱いているのも、なかなか気持ち悪い客である。
気持ち悪いついでに、「いつまでも元気で幸せに暮らしてほしい」と願って記事を〆る。

魚野れん さんがブースト

:mirrorball:​​:senden:み、みんな〜!ちょっといつまでかはわかんないんですがスーパーハッピーバイオレンスアクションギャグ漫画「 #殺し屋はスマートウォッチに逆らえない 」全②巻の各社電子書籍版が今なら1冊55円 合計110円で揃っちゃうよ!お見逃しなく!殺し屋が安い!未読の方はぜひ〜!意外と面白いよ〜!

魚野れん さんがブースト

近況ノート「姫と宰相の十二ヶ月:報告する姫とテンションの高い宰相」更新しました! - カクヨム https://kakuyomu.jp/users/elfhame_Wallen/news/16817330668792934778

本編は
こちら

恋愛部門でカクヨムコン参加中です!
よろしくお願いします
:ablobsmilehappy:

#カクヨムコン9 #姫と宰相の十二ヶ月

魚野れん さんがブースト

3日目始まりましたー! [参照]

魚野れん​:event_bungakufurima:​東京​:d_ta::d_2::d_1:  
:senden:​ #ARTsLABo 様主催の #闇と光展 に参加いたします! 2023年12月20日(水)~23日(土) 13:00-19:00(初日16:00~) Gallery CORSO(東京都/神保町) ※初日(12/20)は展示のみ(グッズ販売OK)、会期2日目(12/21...
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【エッセイ】それはかつて、ババシャツと呼ばれていた 

2022年2月終わりに書いたエッセイ。
昨日、今年はじめてヒートテックに袖を通したので……。
季節感は執筆当時のままにしています。

***

 冬も終わりである。今朝は霜柱が立っていたが、冬も終わりである。これはたしかなことだ。UNIQLOのヒートテックが「期間限定値下げ品」に頻繁に入るようになったのだから。

 20~30年前、現在、「ヒートテック」と呼ばれる類のものは、すべて「ババシャツ」と呼ばれていた。いや、ほかに呼び方があったのかもしれないが、口頭レベルではほかになかったように思う。

女子中高生時代は、「今日は寒いね、ババシャツ着てきちゃったよ~」などと友人と会話を交わした記憶がある。そう、それは自虐だった。多少誇張して説明するなれば、「本来は若者は着ないもの、あまり好ましくないものを、寒さに負けて着用してしまいました」といったニュアンスをふくんでいた。

男性の肌着はなんだろう。単に肌着、もしくはラクダの下着だろうか。ラクダの下着って、いま、通じるのだろうか? いや、それ以前に、ババシャツっていまでも理解されるのか? シュミーズは? 閑話休題。

 ヒートテック誕生直前の2000年初頭。2年連続、誕生日に、母から肌着を贈られた。「スポーツウェア会社が開発した、あったかい下着。なんかすごいんやって。あんた寒がりだから」と。

たしか、マンシングかデサントのもので、1枚2000~3000円したはずだ。自分では買えないが、贈り物としては実用的でありがたい。そんなお値段だった。暖かさもさるものながら、薄く、体に沿い、動きを妨げないことが新鮮でうれしかった。


それを一気に「手に届くもの」にしたのが、2003年から発売を開始したUNIQLOのヒートテックだったと記憶している。

 ヒートテックのようにテクノロジーをつぎ込んで、「暖かい」「涼しい」を叶える肌着は、機能性肌着というはずだが、いまやだれもそんなふうに呼ばない。

「その商品を表すのに、一般的なことば」を、特許の世界では「普通名称」というそうだ。夏のエアリズムはともかく、世間では、ヒートテックは完全に「そういう肌着」の総称となっている。

そして、ヒートテックという言葉が普及したいま、だれも冬の肌着を「ババシャツ」とは呼ばなくなった。おそらく、機能性肌着ではない、綿やウールの肌着であっても「ババシャツ」と呼ぶ人は少ないはずだ。
普通名称としてのヒートテックが「機能がある冬用肌着」全般を指すのだとすれば、正確にはヒートテックとババシャツはイコールではないのだが。


「ババシャツ」から「ヒートテック」へ。このことばの変遷は、意識の変化をももたらした。

わたしには若い知り合いや娘がいないのでわからないが、今、「今日はヒートテックを着てきちゃった」と自虐的に語る若者はいないのではないだろうか。老いも若きも、UNIQLOで、あるいはイオンでファッションセンターしまむらで購入した“ヒートテック”を着ている。

「寒い冬も、薄くて高性能な機能性肌着を使って着ぶくれず、暖かに」。そんなことはいまや、当たり前になった。


 20年以上前、それよりもっと前だって、ブラウスなどの下に、多くの人が肌着を一枚着ていたはずだ。しかし、冬になると、なんとなくその一枚が気恥ずかしかった。だって、それはババシャツまたはそれに類するものだったから。

「ヒートテック」という商品、その名と概念が普及したことは、その一枚に対するモニャっとしたためらいをなくしてくれた。「我慢の美学」に属する呪縛をひとつ、取り払ってくれたようにも思う。

 スマートフォンがないころにどうやって鉄道に乗っていたかもはや思い出せないように。「ととのう」という表現が普及する以前、サウナの気持ちよさをどう言い表していたかわからないように。ヒートテックがない時代の冬の“肌着感覚”は遠いものとなった。

 冬も終わりだ。にもかかわらず、朝晩はまだまだ寒い。わたしは毎朝“ヒートテック”的なものに袖を通しながら、それがババシャツとはもはや呼ばれないことに、ありがたさを感じている。

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