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妙なこだわりのある記憶となると「夏」ばっかりになるのはわたしの特性なんだろうか。

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ブログを書いた。高校のときの英語教科書の話。こういう記憶だけで生きている、と言うときの「こういう記憶」ってどんな記憶?と立ち止まる出来事が最近あった。

(59)ウェンディもそうする:
outofthekitchen.blog.fc2.com/b

もはやスーパーでは鍋のつゆが「寄せ鍋のつゆ」と「ごま豆乳鍋のつゆ」の2種類しか置いておらず、この前は寄せ鍋だったから今日はごま豆乳鍋のほうをカゴに入れたのに、家に帰ると寄せ鍋のつゆになっていた。不思議なことがあるものだ。

安田成美が再挑戦を希望した「風の谷のナウシカ」に協力を求められた原田郁子&角銅真実の音源が聞ける。

Daisy Holiday! | interfm | 2024/03/03/日 25:00-25:30 radiko.jp/share/?sid=INT&t=202

図書館で予約していたあれやこれやの本、ものによって蔵書数も予約待ちの順番もまちまちだったのに、まちまちだったからこそ変にタイミングがかち合って一斉に「準備できました」メールが届いた。読めるのかしら。

「夜明けのすべて」を観た。 

・なによりも中盤の自転車をこいでいるシーンで静かにすごいことが起きている感がビンビンにしたんだけど(思った以上に長く続くのも含めて)、あれはなんだったんだろう。
・この主役2人はぜったいに恋愛関係にはなりません・これはそういう映画ではないです、というのをすでにじゅうぶん示したあとで、それでも念には念を入れて当人たちの言葉でも直接説明しておこう的な会話が最短・最速でなされるので笑った。「男女の友情が~」「ア、うん」みたいなやつ。
・いつのまにか変わっている、という過程をとらえようとしている作品は映画でも小説でも讃えていきたい。
・長期にわたってビデオを撮りにきていた中学生2人組(最高の2人組)も、取材を通して主役2人の変化をずっと見ている、でもそのことについてわざわざ言葉で触れたりしない、という節度がよかった。「社員もこの2人組もわかっているということが、あなた(観客)にもわかっていますよね」と信頼してもらえているような。
・エンドロールでキャッチボールをしている最後の最後で、はじめて取り損ねたボールが客席のほうに転がってくるのって奇跡すぎないか? そんな瞬間が撮れたから、そこが最後の最後になるよう編集したんだろうけど、それにしたってさ。

梅干しの味を感じるようになった。そして猫のオシッコは猫のオシッコの輪郭を取り戻してきた。

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記録によると近所をウロウロしていたのを家に入れてから今日で丸5年になる。
(2枚めはまだ外にいた時期で表情が険しい)

ブログを書いた。コリン・ディッキー『ゴーストランド 幽霊のいるアメリカ史』(熊井ひろ美訳、国書刊行会)の第一章が「七破風の屋敷」を含めセーラムの町を扱っていて考えさせられる、という話。

(58)階段とその先:
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だいたい健康状態に戻った今日あたりから微妙に鼻がおかしいような 

嗅覚がぱったりオフになるならわかりやすいけどそうではなく、感じにくくなったにおいがいくつかある、みたいな。
・牛乳、紅茶、緑茶のにおいは感じるのにコーヒーのは弱い。コーヒーだけ味も一部しか舌に届かない感じ。
・食パンに塗るジャムはふつう、バターは味は感じるわりににおいが弱い? ピーナッツクリームは味もにおいもなんか遠い。

このへんは「気のせい」との線引きがむずかしいが、梅干しの味はゼロになっているのでなにか変調はある模様。

なにより、気付いたきっかけが「猫がトイレ外にしたオシッコを拭くという日課の際に、においをぜんぜん感じなくてハッとした」だったので、あの特徴あるオシッコ臭のよみがえりがわたしの全快を告げると思われる。
待ち遠しいけどオシッコはトイレでしてほしい。こんなジレンマもある。

小林秀雄「『悪霊』について」を読もうとした: 

装丁がかっこよくて思わず買った古本(『小林秀雄全作品9』)に入っていたのを読もうとしたが、ほんと、なにが書いてあるのかぜんぜんわからなかった。
ルールの不明な競技を観戦してる感じで、意地になってページをめくっても意味の取れる文章が一文も出てこず、そのうち具合まで悪くなった。
やっと作品からの引用が始まり、ここなら読める、と思ったら急に終わる。未完だった。
(因果が逆で、もとから具合が悪かったせいかもしれない。体調のいいときに再挑戦すべきか)

shinchosha.co.jp/book/643549/

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(続き) 

・どうしてああもたくさん雨が降ってるんだろう。夜の土砂降り。
・語り手が「記録者」を自称しながらけっこう行動して絡む。そのくせ、ぜったいその場にいなかったシーンも平気でとくとくと語るあのやり方は、やっぱり19世紀のロストテクノロジーだろうか。取り戻してもいいと思う。
★ 決定的な出来事(公園)が起きるスピード。
・↓のような、ここだけ取り出したらなにも成り立っていないこんな会話が作中では成り立っているの、おかしくない? まあ、作中でも成り立ってないのかもしれないが…

《「ニコライ・フセヴォロドヴィチ、この人の話はほんとうですの?」リーザはやっとこれだけ言うことができた。
「いや、嘘だ」
「何が嘘なんだ!」ピョートルはぎくりとした。「それはまたどういうことだ!」
「ああ、わたし、気が狂いそう!」リーザが叫んだ。
「まあ、すくなくともわかってくださいな、この人はいま気も狂わんばかりなんですよ!」ピョートルは懸命に叫んだ。》第三部 第三章 2

・せっかく読んだし、次に読み返すのが何年後になるかわからないから、この機に関連本も読もうかしら。

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ドストエフスキー『悪霊』の感想(江川卓訳、新潮文庫の旧版): 

・カラマーゾフの次に面白いのは『悪霊』、という印象だけ残っていたけど、カラマーゾフほど読み返しておらず、通して読むのは今回が2回め? 大学以来? だとしたら印象が残っているだけでもすごいな。
・文庫の裏表紙や紹介記事なんかにある「スタヴローギンは」「ピョートルが」「秘密結社の」「殺人」的なあらすじはあまりにミスリードなのでなんとかしたほうがいいと思う。あれを“本筋”ととらえてしまうと、ステパン先生とワルラーラ夫人の話が“背景”とか“枝道”になってしまう。
★ あんなに太くて長大な枝道があるものか。
・とはいえ、ステパン先生(ピョートルの父)とワルラーラ夫人(スタヴローギンの母)の役割を、ふたりの枯れてるようで生々しいロマンスにとどめずに全体のなかで考えるとなると相変わらずよくわからない。
・とにかく群像劇すぎる。上巻の混乱を見るにつけ、あんなてんやわんやを人は「構想」しようとしてできるものなんだろうか。ドストエフスキーにはできたんだけど。あきれる。
・下巻の真ん中あたり(第三部 第二章 3)で火事が起きてからの雪崩れっぷりもいっそうすごい。そこまで周到に張りめぐらせた何本もの伏線が…というのでもなく、堤が決壊するような。伏線も呑まれちゃう。

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明日せっかくこんなイベントがあったのに、この体調では行けないので無念すぎる。

twitter.com/okayamabungaku/sta

でも1日の半分くらい寝て『悪霊』は読み終えた。

《「これはちがう、ちがう! だめだ、これはまるでちがう!」》第三部 第六章 1

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自分の部屋で机に向かっていると肋骨が痛んでくるので、これはもしかすると、自分の部屋で机に向かっていないほうがいいのかも?

ベッドで『悪霊』が読める程度には軽症、ってめちゃめちゃラッキーである。味も匂いもある。体を縦にすると肋骨がやたらと痛むのはもとからなのか増幅されているのか…

《「失礼ですが」びっこが椅子の上でびくりと体を痙攣させた。「なるほどわれわれは田舎者ですし、むろん、それだけでも同情に値する存在でしょう、しかしですね、われわれだって承知しておるわけです、いまのところ世界を見わたしても、見そこなったからって悔し涙にくれねばならんような新しい出来事は何も起っちゃいないことをですね。」》第二部 第七章 2(江川卓訳)

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マスクにしても手指の消毒にしても2020年の4月と同じ調子で続けていたのに新型コロナにかかっている(2日め)。なんというかこう、写経でもするかという気持。

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