ベッドで『悪霊』が読める程度には軽症、ってめちゃめちゃラッキーである。味も匂いもある。体を縦にすると肋骨がやたらと痛むのはもとからなのか増幅されているのか…
《「失礼ですが」びっこが椅子の上でびくりと体を痙攣させた。「なるほどわれわれは田舎者ですし、むろん、それだけでも同情に値する存在でしょう、しかしですね、われわれだって承知しておるわけです、いまのところ世界を見わたしても、見そこなったからって悔し涙にくれねばならんような新しい出来事は何も起っちゃいないことをですね。」》第二部 第七章 2(江川卓訳)
ドストエフスキー『悪霊』の感想(江川卓訳、新潮文庫の旧版):
・カラマーゾフの次に面白いのは『悪霊』、という印象だけ残っていたけど、カラマーゾフほど読み返しておらず、通して読むのは今回が2回め? 大学以来? だとしたら印象が残っているだけでもすごいな。
・文庫の裏表紙や紹介記事なんかにある「スタヴローギンは」「ピョートルが」「秘密結社の」「殺人」的なあらすじはあまりにミスリードなのでなんとかしたほうがいいと思う。あれを“本筋”ととらえてしまうと、ステパン先生とワルラーラ夫人の話が“背景”とか“枝道”になってしまう。
★ あんなに太くて長大な枝道があるものか。
・とはいえ、ステパン先生(ピョートルの父)とワルラーラ夫人(スタヴローギンの母)の役割を、ふたりの枯れてるようで生々しいロマンスにとどめずに全体のなかで考えるとなると相変わらずよくわからない。
・とにかく群像劇すぎる。上巻の混乱を見るにつけ、あんなてんやわんやを人は「構想」しようとしてできるものなんだろうか。ドストエフスキーにはできたんだけど。あきれる。
・下巻の真ん中あたり(第三部 第二章 3)で火事が起きてからの雪崩れっぷりもいっそうすごい。そこまで周到に張りめぐらせた何本もの伏線が…というのでもなく、堤が決壊するような。伏線も呑まれちゃう。
(続き)
・どうしてああもたくさん雨が降ってるんだろう。夜の土砂降り。
・語り手が「記録者」を自称しながらけっこう行動して絡む。そのくせ、ぜったいその場にいなかったシーンも平気でとくとくと語るあのやり方は、やっぱり19世紀のロストテクノロジーだろうか。取り戻してもいいと思う。
★ 決定的な出来事(公園)が起きるスピード。
・↓のような、ここだけ取り出したらなにも成り立っていないこんな会話が作中では成り立っているの、おかしくない? まあ、作中でも成り立ってないのかもしれないが…
《「ニコライ・フセヴォロドヴィチ、この人の話はほんとうですの?」リーザはやっとこれだけ言うことができた。
「いや、嘘だ」
「何が嘘なんだ!」ピョートルはぎくりとした。「それはまたどういうことだ!」
「ああ、わたし、気が狂いそう!」リーザが叫んだ。
「まあ、すくなくともわかってくださいな、この人はいま気も狂わんばかりなんですよ!」ピョートルは懸命に叫んだ。》第三部 第三章 2
・せっかく読んだし、次に読み返すのが何年後になるかわからないから、この機に関連本も読もうかしら。
小林秀雄「『悪霊』について」を読もうとした:
装丁がかっこよくて思わず買った古本(『小林秀雄全作品9』)に入っていたのを読もうとしたが、ほんと、なにが書いてあるのかぜんぜんわからなかった。
ルールの不明な競技を観戦してる感じで、意地になってページをめくっても意味の取れる文章が一文も出てこず、そのうち具合まで悪くなった。
やっと作品からの引用が始まり、ここなら読める、と思ったら急に終わる。未完だった。
(因果が逆で、もとから具合が悪かったせいかもしれない。体調のいいときに再挑戦すべきか)
明日せっかくこんなイベントがあったのに、この体調では行けないので無念すぎる。
https://twitter.com/okayamabungaku/status/1759000997740024210
でも1日の半分くらい寝て『悪霊』は読み終えた。
《「これはちがう、ちがう! だめだ、これはまるでちがう!」》第三部 第六章 1