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自分が死にたくて大荒れだった夜が明けて、娘の15年来の希死念慮が一過性のものだと思い込みたくて仕方ない親に「そんなに面倒ならもう無理に心配しなくていいよ」って説得する朝、わたし寛大すぎんか。
結局こうなるんだよな……。もう他人のメンタルケアはつかれたよ…………

まぁメンクリだから最悪泣きながら行っても来るなとは言われないよね……

世界に誰も味方がいない(ねこ以外)っていうのはしんどいものだ

今日メンクリ行けるのか? でも行かないと眠剤がもらえない……

他人と関われるような性格として生きたかったな。
自分の咎じゃないのに人一倍努力しなければそこにたどり着けない(しかもその努力が他人からは全く分からない)なんて理不尽だわ

ドン引きメンヘラパラダイス(精神疾患への差別意識を内面化した表現)すぎる

希死念慮、消えた。どこ行った?? 気分の乱高下激しすぎる

泣きながらねこに擦り寄るとびしょ濡れの顔を舐めてくれて、やさしいなって思う。誰にも生存を望まれてないとか、ねこたちに失礼だったな。
「(人間の中では)誰にも望まれてない」に訂正する

親から電話されたくないけど着信拒否にしたら家に凸してきそうで嫌すぎる。誰か代わりに応対してくれ………

ねこたちのことが好きなのは、自分本位な期待よりもわたしへの愛を強く感じるから

「こんな病んでるアカウントだと思わなかった」とかもあるだろうけど(アカウント名から取っちゃったからね)、そういうのも全部疲れた

でも死んだら来年の本が出せなくなると思うとちょっと残念だ。自分にしか言えない解釈がこの世に存在しないままになると思うと惜しい

自分が死ぬ想像にわくわくするのは、「なんだかんだ言ってどうせ生きてるだろ」っていう期待を裏切る行為だからだと思う。他人にとってこの上なく不都合な存在になるのは気分がいい

死にたいな。期待に応えつづけることに疲れた

今できる方法を考えると一酸化炭素中毒とかが現実的だけど、ねこを巻き込みたくない……

とっくの昔に殺しておいて、今さら生きてほしいとか都合がいいんだよな。これは世界への恨み

社交不安の本を読んでて驚いたのは、社交不安そのものじゃなくて「情緒的ぬくもりに欠ける養育」が「虐待」って書かれてたこと。
虐待だとまでは思ってなかったけど、虐待だったのかもしれない。
世界に死を望まれているわけでないなら、むしろなぜ家の中でも外でも心を殺すことを強いられなければいけなかったのか聞きたい

首吊はイメージ的に苦しそうなのでなんかなって思っちゃうのであった。死んでからが汚そうだし……死んでからも他人からどう思われるかを考えている……

「自分は死ぬべきだ」という信念に自分ひとりで立ち向かうのは難しい

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