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社会運動におけるヴィーガン排除について——あるフェミニズムのイベントにいったヴィーガンの記録(解説:井上太一さん) - Don't overlook harassment at university
dontoverlookharassment.tokyo/2

“・「わたしは肉を食べたいから食べる」
「肉を食べるのは文化だ」

(でもそれをいったら、家父長制も文化ですよね、といったら)
「良い文化と悪い文化というのがある」

(略)

・「動物は感謝して食べればいい。動物は人間に食べられるために改良されてつくりかえられてきたんだ」”

絶句。

Twitterあまりいないのでここらへんのことちゃんと把握してなかったけど(CRACはあまりにひどいので知ってた)、ヴィーガンや種差別の扇動歴があるということで覚えとこ。

“CRACとその取り巻きが、発言に含まれる動物蔑視をビーガンに批判されたところ、報復として罵詈雑言と肉画像をビーガンに送りつけるといったハラスメントを行なった。左派出版社の影書房は取り巻きによる便乗発言をリツイートするなどして、このビーガンバッシングに加勢した。以後、ビーガンに肉画像を送りつける手法はアンチビーガンの手口として定着する。2019年には「やや日刊カルト新聞」創刊者の藤倉善郎ならびに同紙主筆の左派ジャーナリスト・鈴木エイトが、動物消費に異を唱えるアニマルライツセンター主催のデモ「動物はごはんじゃないデモ行進」を嘲笑する意図から、「カウンター」として「動物はおかずだデモ行進」なる妨害を行なった。2023年には再びCRACが動物蔑視の発言をビーガンに批判されたが、あいにく代表者・野間易通やその取り巻きの反応は2018年と全く変わらず、神学研究者の上原潔などがその加勢に回る始末だった”

×ヴィーガンや種差別の扇動歴
○ヴィーガンヘイトや種差別の扇動歴

“私からみれば、安価な選択肢がいくらでも存在する非ビーガンのほうが明らかに特権者である。頻繁に外食チェーン店を利用し、ワンコインで食事を済ませる、などという特権はビーガンにはない。スーパーに並ぶ無数の安い菓子や惣菜や加工品を消費する、などという特権もない。ビーガン対応を銘打たない外食店は通常、ビーガンからみれば「排除レストラン」でしかない。スーパーの加工品コーナーはビーガンからみれば不毛の大地に等しい。ビーガン対応の外食や加工品は高くつくため、多くのビーガンは外食や加工品の購入を控えることで出費を抑えようとする。”

いや、ほんとね……。

その場で「文化的争い」(culture war)に引きずり込まれると相手の思う壺なので、例えば、一歩二歩引いて自らの目的を再確認することが大事かも↓

『関連用語:「社会正義(Social Justice)」

広い意味では「人間が社会生活を営む上で正しいとされる道理」を指すが、文脈によってさまざまな意味で用いられる。全米ソーシャルワーカー協会は、社会正義を「全ての人が平等な経済的、政治的、社会的権利および機会を与えられるべきだという考え方」と定義している。

社会正義という概念は、イギリス産業革命やフランス革命が起きた18世紀の欧州ではすでに誕生していた。現代においては、人権尊重など、公正な社会を目指す運動の基礎となる概念として扱われることが多い。

「環境正義」や「気候正義」は、環境保全や気候変動対策に「社会正義」の考え方を取り入れたものと捉えることができる。社会的な不公平を解消するために、当事者の声を取り入れながら環境保全やGHG排出削減を行い、不当に大きな影響を受けている人々を支援するべきだという考え方だ。』
sustainablebrands.jp/news/os/d

そもそも、どの分野であっても個人の消費行動に口を挟むのは(身内でもない限りは)逆効果で軋轢を生むのは避けられませんが、社会前代の「変化」「変革」にかかる時間幅を考えながら話し合いを通じて行動していけば、共通認識も生まれるかも↓

『国連開発計画(UNDP)の記事では、気候正義を次のように定義している。

Climate justice means putting equity and human rights at the core of decision-making and action on climate change.

(和訳)
気候正義とは、公平性と人権を、気候変動に関する意思決定と対策行動の中心に据えることを意味する。

日本語で「正義」というと「悪者と戦う正義の味方」といったイメージを持ちがちだが、ここで闘う相手は「不公平な現状」であって、特定の悪者ではない。「気候公正」と言ったほうが実際の意味合いに近いとも言える。』
sustainablebrands.jp/news/os/d


ヴィーガニズムの思想自体は最終的には人による動物への搾取をなくすことであっても、このツリーの記事においては「ヴィーガンであっても平等に社会運動参加したい」という話なので、他人の消費行動に口を挟んですらいません。
それは「ヴィーガンは押し付けである」というマジョリティ目線の偏見だと思います。

BDSは比較的広く支持されて一定の成果も上げている(ほんとうにパレスチナの解放という目的に近づいているかという問題はあるにせよ)ので、不買に関しても人権尊重の文脈とアニマルライツの訴えとでは起きる反発の度合いが違います。
その差異を語らずに「不買は逆効果」だと語るのも欺瞞に思えます

先にコメントしたとおり、ここですでに「文化的争い」(culture war)が生じているのです↓

『Bさんは在日3世とのことだったので、ご自身のルーツの文化を否定されたように思われたのかもしれません(実際そのような発言もされていたように記憶しています)。ですが、韓国でももちろんヴィーガニズムの運動はありますし、在日外国人・マイノリティの中にもヴィーガンはいるので、「ヴィーガンは在日差別だ」という主張は極論ですし、さらなるマイノリティの姿を見えなくしてしまう恐れがあるように思います。

   

そもそも、わたしは「肉を一切食べるな」と言ったわけでも「なんで肉を食べるんだ」と糾弾したわけでもなく、「今後動物の問題も考えていってほしい」と提案しただけなのに、ここまで逆上されるというのは過剰反応のように感じます。』
dontoverlookharassment.tokyo/2

もう一言付け加えると、誰が火に油を注いでいるのかは明白↓

『ビーガンは特権者だという主張も、ビーガンはうんざりするほど聞かされている。なるほどビーガン食品やビーガン料理は総じて高価格のものが多いため、相応の特権がなければビーガンとして暮らすことは困難に思えるかもしれない。しかしそれは現実の一端しか見ていない。私からみれば、安価な選択肢がいくらでも存在する非ビーガンのほうが明らかに特権者である。頻繁に外食チェーン店を利用し、ワンコインで食事を済ませる、などという特権はビーガンにはない。スーパーに並ぶ無数の安い菓子や惣菜や加工品を消費する、などという特権もない。ビーガン対応を銘打たない外食店は通常、ビーガンからみれば「排除レストラン」でしかない。』
dontoverlookharassment.tokyo/2

日本ではヴィーガン食と同じようにハラル食も極めて少数派で置かれた状況はよく似ていると個人的には思いますが、ムスリムがハラル以外のレストランが「排除レストラン」だなんて、思ってはいません。そもそも、そういう問題ではないのです。

そういうところに気づくかどうかです。

そうですか。
あなたの信仰は問いませんが、あたかもムスリムやムスリマがみんなそう思っているかのように言っていいんでしょうか。
「排除されている」と感じている当事者もいるかもしれないのに。

わたしは、ハラール対応やコーシャ対応、アレルギー対応が必要な人・嚥下に困難を抱える人などの存在をなかったことにしている点において、日本の飲食店は排除的だし、変わるべきだと思います。

もし「火に油を注」がなければ変わらないなら、それは必要な訴えだったと考えます
(この表現も、マイノリティの権利の訴えを過度に過激視する偏見含みなものだと思います)

先の例はムスリム相手のボランティアをしていた経験上の話ですが、ハラル食をめぐっては国内で「不便」「疎外感」を本人たちが感じることはあって食事の度に話してくれましたが、「排除」といった声は誰からも聞いたことありません。

それよりも、「日本の飲食店は排除的」といっても客側の突然の要望に応えようとしてくれるところもありますし、それこそ店や時間帯など状況にもよるのでは?

あと、一連のコメントは最初の記事の引用に当てたもので、CRACその他の「反差別」連中の問題は個人的には噂以上は知りません。誤解のないように。

別の記事が核心を突いていますね↓

『あるとき若くて熱心な活動家たちの集会にいったときに、「全人類ヴィーガンになるべき」と話してるのを聞いて、ちょっとまずい方向に行っちゃってるな…と感じて。仮にどれだけその思想が正しくても、世界を一色にしようとするのは危険。そこの団体は、道ゆく人に「どうしてあなたはヴィーガンにならないんですか?」と論理的に問い詰めていくタイプのところで、そのやり方もちょっとモラハラっぽいなって…。  

栗田 時には「なぜ(この運動が)進まないのか」を考えるのは大事だよね。ヴィーガニズムが悪いとは思わないけど、じゃあなんで運動は進まないんだろう?と。

——大多数の団体はアニマルウェルフェア(=動物福祉)派なので、他人にヴィーガニズム押し付けたりはせず、地道に平和的にコツコツやってるんですけどね。でも、今、動物運動内でも一部の厳格すぎるヴィーガンのことが問題になってるんです。現在の日本でヴィーガンになることはものすごくハードルが高いという現実がある中で、システムの問題を個人の責任に落とし込んじゃいけない』
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やはり、この部分が非常に繊細で、相手の反応を即座に「過剰」だの何だのと決めつける方がおこがましい↓

『栗田 しかも個人の話にしちゃうと、工場畜産の形態とかそういう話にも向かっていかないし。日本だとと殺業の話に部落差別が深く関わっている歴史があるから、本当に日本の社会構造に向かい合って話さないとおかしなことになる。

——そうなんですよね。ヴィーガンの人が増えても、それだけで既存の工場畜産のシステムがなくなるわけではないから、常に個人と社会との両方の視点が必要。』

すみませんがミュートしますね。
そういった意見を持たれるのは構いませんが、わたし宛てに何通もリプライされてもわたしの意見は変わりませんので。
それでは。

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