『精霊の守り人』かつてNHKでやっていたアニメだけ見ていた。
川井憲次さんが劇伴ですばらしかったんだよなぁ。「至巧の槍」とか今聞いても大好き。
『スカイ・クロラ』とかもアニメ自体はピンとこなかったけど劇伴だけは好きでよく聞いてた
https://www.billboard-japan.com/goods/detail/340261
母が映画好きなので、家ではジャンル問わず色んな映画を目にする機会があったけど、不思議と記憶に残っているのは決まって「戦う女」(特に物理)の映画だった。
見たのはフェミニズムに触れるずっと前だったのに、ほんとに不思議。
たとえば『エイリアン』シリーズとか『ニキータ』『ロング・キス・グッドナイト』『フライト・プラン』。
大人になってから自分が選んで見た映画でも「戦う女」の映画はよく記憶に残ってる。
『ワンダーウーマン』(主演がシオニストである点に注意)『アトミック・ブロンド』『バドル・オブ・セクシーズ』『オールド・ガード』『野球少女』……。
かつての「戦う女」映画と今との違いは、女が戦うための理由、すなわち夫や恋人や子どもなどの存在が必要だったか否かだと思う。
『ターミネーター:ニューフェイト』はその点「あなたの子宮が大事なんじゃない、あなたが大事なんだ」と言い切った映画で、エポックメイキングだったと思ってる。
なので、『守り人』シリーズが好きになるのはもう宿命だったのだと思う。『十二国記』は中学のときから好きだしね。
今から10年とか20年とか前からこうした作品群は、自分と同じような多くの少女たちを勇気づけてきたんだろう
上橋先生の親子観はたぶん自分と合わない。
「ジグロは自分の心の痛みなぞに構わず私を拳で殴りながら育ててくれた」ってバルサ述懐するあたり、子どもを殴って育てることを作品として正当化する雰囲気があって、受け付けない。世界観とかを差し引いても。
ジグロはインテリでいい人なんだろうし、サリとの恋路もすごくいいけど、バルサがジグロに懐きすぎてるのはどうも無理だ。
権力勾配のありすぎる「愛」を手放しで称賛する雰囲気が合わない
『風と行く者』のAmazonのクソレビュー眺めてたら(Amazonのレビューは基本クソなのでこう呼ぶ)、「守り人シリーズに色恋の話とか気持ち悪い!」って言ってる人いてびっくりした。
バルサとタンダをはじめとして、色恋の話もうたくさん出てたよね? キスもしてたじゃん。
「俺たちのジグロには女に現を抜かしてほしくない」みたいな感じなのかな?
でもさ、「硬派」でダンディなキャラでも、守る対象として娘が登場するとか、演出のために結局女キャラが使われることってままあるんだよね。守り人に限らず。
そういう、くだらないホモソーシャルのなかで女キャラが都合よく必要とされたり不要とされたりするの腹たつ