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自分の表現はもしかして分かりにくいのだろうか?

順を追って示さずに要点だけ幾つか示すとそれだけで大体話は分かると思うのだが、もしかしたらそうでもない人もいるのかもしれない。

また非定型的な表現を交ぜると理解が追い付かなくなる人も多いようだ。

多分これらは口頭表現にした時に特に問題になりやすそうな気はする。

分からないと怒り出す人もいるように見受けられる事から、何を相手に提示するのかについてよく検討が必要なのかもしれない。

非定型的な表現を使わないのはもしかしたら何とかなるのかもしれない。

しかし順を追って話すのは非効率的なコミュニケーションであるように自分には思われて、なかなかそれをやる心理的な負担が大きいように思われる。

相手が話から脱落した際に相手を嗤うのもそれはそれで楽しいのかもしれない。

しかし流石に脱落する人が多くなってくると、(理解可能な形にして喋らないという)過ちが自分にあるような気はしてくる。

tokyo.catholic.jp/library/mess

身体と精神に対してそれぞれ7つの善い行いというものがあるらしい。

精神に対するものの中には、非宗教的な環境においても良く適用できそうな考えがあるような気がする。

※なお引用元は黙想会の資料らしく、慈善のわざに関する記述以外の話も多そうである。

※また自分によるそれぞれの慈善のわざについてのここでの引用はコンテキストに言及しておらず、それらへの解釈については注意を要するように思います。

【身体的な慈善のわざ】
「飢えている人に食べさせること」
「渇いている人に飲み物を与えること」
「着るものを持たない人に衣服を与えること」
「宿のない人に宿を提供すること」
「病者を訪問すること」
「受刑者を訪問すること」
「死者を埋葬すること」

【精神的な慈善のわざ】
「疑いを抱いている人に助言すること」
「無知な人を教えること」
「罪人を戒める」
「悲嘆に打ちひしがれている人を慰めること」
「諸々の侮辱を許すこと」
「煩わしい人を辛抱強く耐え忍ぶこと」
「生者と死者のために神に祈ること」 [参照]

処理水関連について啓発活動をしてくれる人が居るのは大変有難いのだが、コロナ禍における尾身さんのような語り口を持つ人が居てくれたら良かったのに等と思わない事もない。

というのも、口調の強さに辟易とする場合もある為。

医は仁術と聞く。
wikipediaによれば「医は、人命を救う博愛の道である」という意味らしいが、科学について教えるのも広義の人助け•博愛の道にはならないだろうか。

つまりは迷いや無知の闇から人々を救い出すのも仁術の一種ではないかと思った次第です。

twitter.com/mo0210/status/1696

際限のない不安や恐怖に駆られるよりも、確かである可能性の高そうな情報に目を通す方が精神衛生に良いと自分には思われる。

不安や恐慌には、中毒性(?)や思考を麻痺させる何かがあるのではないかと感じる時もある。

youtu.be/ZUVevdZ-hHI?si=9CEDfQ

ワクチンを話のきっかけ(?)として、より(?)一般的なリテラシー的な内容を説く回。

どうやったら間違いを避けられるのかについても語られている。

twitter.com/minesoh/status/127

twitter.com/minesoh/status/127

情報を精査していく過程によって、その情報が属人的な性質ではなく属集団(?)的な性質を帯びるようになっていく……という事も言えるのかもしれないとも思いました。

これが公式や専門家の集団としての学会からの発信を信頼性の高いものと見做しうる理由の一つと言えるのかもしれない……とも思いました。

note.com/kikumaco/n/n1e7b21ff0

この記事は良いと思います。

情報リテラシー的な側面からの真偽の判定方法のようなものも、恐らく役に立つ場合が多そうと思います。

それについては、多分峰宗太郎さんの過去のツイートの中から探してくる事になると思います。

enecho.meti.go.jp/about/specia

資源エネルギー庁からの発信。

水蒸気放出と海洋放出を比較した形跡がある。

しかし公的情報を信用しない人にとっては、これでも不十分なのかもしれない。 [参照]

牧田氏ほどではないとは思うものの、川上浩一氏のアカウントに対しても似た感想を自分は持っています。

真っ当そうであると自分の判断した医師らからのフォローはごく少数に限られているように思われます。

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xにおける牧田寛氏を名乗るアカウントからの発信の内容について、信憑性の確認が必要な場合もあるのではないかと自分は少し感じています。

というのも真っ当そうだと自分の感じている医療系のアカウントというものは、一般的に互いにフォローし合っている場合が多いからであり、牧田氏の場合にはそれが全然確認されなかったからです。

自分がフォローしているアカウントのうちの誰が、そのアカウントをフォローしているかを示す機能は、twitterの優秀な点の一つだと思います。

LGBTに関する啓発活動をする人達は左派的な人達と充分な距離を保った方が良いように自分は思います。

啓発活動の後ろに政治的勢力が控えていると思われてしまうならば、それが啓発活動の支障になりかねないのでは……と思います。

右派的な政治的勢力に関わる人達の中からLGBT系の話題に理解のある発信がなされるならば、LGBTの人達は安心して暮らせるようになるのではないでしょうか。

「科学的には安全であるにもかかわらず、そうではないかのように言い募る人達こそ風評加害者である」

という言説を今までに時々見ていますが、確かにその通りなのかも……最近の自分は思っています。

水蒸気放出の話は聞いた事がありません。

それはさておき、このQ&Aの内容は少し怪しいと感じました。

活動家的な人達のやっている事に巻き込まれたり、情報撹乱的な何かに惑わされないようにするのが肝要だと思います。

つまらないという感想が自分の中に多分ありそう。

つまらないというのは自分があまり表明する事のない感想だという気はするのだが、これが意識の表層(?)にまで出てきてしまっている事に戸惑いを覚えているのではないだろうか。

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これは、ひとと一緒にいても全然楽しくない•面白くないという感覚を伴っている。

他人に対してゲンナリしてしまうというような感覚も少しはある。

一人でいると特に問題はない……というかそれなり楽しくは過ごせているように思われるのだが、ひとといるのは案外そうでもないというような感じ。

冷え切った心が、ワー•キャー等と騒いでいる人達を眺めているような感じ。

ひとといる時は抑うつ的というのか、やる気をなくしており冷淡•無反応になっているのかもしれない。

他人に合わせるのもかなり億劫に思われ、合わせる事自体について大変白々しいと感じてもいる。

他人に対して落胆しているのかもしれない。

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ひとと一緒にいると気が滅入ってしまう。

もしかして精神科に行った方が良いのだろうか。

このトゥートの核は「紙の新聞がなくなるとニュースを得られない人が増えるような状況ならば」という点なのでしょうか?

それならば、新聞へのアクセスを可能にさせる為の補助には一理あると言えるのかもしれません。

ただ新聞の提供する情報の質について一般的にはそもそもどのように評価されているのかを自分はよく知らず、その点についてもっと情報があれば良いなという気がしました。 [参照]

確かにmusescoreはよく落ちるし、少し(?)重いような気もします。

自分は長年musescore2を使っていて、最近4へ移りました。

4に関しては、2ほど落ちない事に少し満足していたところでした。

ただフリーなので仕方ないのかなと思うという気持ちと、音部記号を含めた記譜(?)方法が沢山あるという事実が自分をmusescoreへと繋ぎ止めています。 [参照]

ウォルター•ピストン氏の和声法の翻訳を所持していますが、和声の表記方法に関しては少し分かりにくいのではないかなと感じた事もありました。

瞬間的な現象として、いわば和声を一瞬だけフリーズさせるというようなやり方によって和声を理解した方が理解自体は精確になりやすいのかなとは思います。

このやり方によって基礎を固めた後に、和声の多義性の理解や和音構成音の揺らぎの理解へと進んでいくのが楽(?)なのではないかとも思います。

そして多義性を理解するという過程において、例えばⅡの2転が場合によっては肯定されうるというならば和声法が権威•ドグマ的存在として受け止められる事は減るのかも等と思う次第です。

空虚4度というのか、実質(?)並達4度というのも割と興味深い音響だった気がします。

並行•直行•平行という表記の揺れ(?)的な何かや、池内友次郎系(?)の数字付低音の表記の名残(?)のある表記体系など色々な表現方法があるのは興味深かったです。

転回指数を使った表記よりも数字付低音系の表記の方が、他領域の理解への接続が容易であるような気もします。

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