……次に読もうかなとパッと思い付いたのは、シェイクスピアのリチャード2世。他にはドストエフスキーの永遠の夫。
これらはKindleに入れておいて所謂すきま時間に読もうかなと思っているものであって、自宅にて時間をたっぷり取れる時の為の本は沢山ある……(所謂積ん読?)。
リチャード2世に取り掛かろうかと思っているのは、続くヘンリー4世及びヘンリー5世においてのフォルスタッフとの出会いへとスムーズに入る為に役立つかもと思ったからなのだが、リチャード2世の内容が面白い可能性もあるのかも等とも思っている。
知人から奥本大三郎のある本を読め読めと何度も執拗に勧められているのだが、それはまたの機会にしておこうと思っている。
ドストエフスキーの永遠の夫は……心理描写が優れているのだとか?
隠れた良作(?)だとかいう話を聞いて、少し気になっていた。 [参照]
読了。
因果関係と相関の違いから始まり、因果関係があるかどうかを調べるのに必要な考え方が説かれる。
薄くてサクッと読める割には内容は濃いように思う。内容は日常生活に活かせそう(な気がする)。
数式等は出てこず、平易な語り口によって身近な例を取り上げる。
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大変面白い記事でした。
"Men have full control of whether or not they cause a pregnancy in that only a man can decide whether he's going to release sperm and where he's going to release the sperm. That's always his choice. And so if men didn't want to cause a lot of pregnancies, they could easily stop causing unwanted pregnancies."
確かに……。
後で、vasectomyについて調べてみようと思います……。 [参照]
王であるキリストについて仄めかしていたのと同様に、ここでも、他の部分との関連を示す事によって福音のメッセージにおける一貫性を聴き手に気付かせるという効果が生まれているのではないだろうか。
以上、本文に関する自分の感想は終わりです。
イレネオは中心主題の周りに関連する副主題的な何かを配置して中心主題をより立体的(?)に浮かび上がらせているように思います。
ヨエルやイザヤなど、旧約からの引用もあるようで、聖書全体の流れを良く理解している聴き手にとっては満足度が高い話だったのではないでしょうか。
感情にも論理にも偏らず、譬えにも事実(?)にも偏らずといったバランスの良い話だと思いました。
それでいて更に、恐らくイレネオ自身の理解の深さから来ると思われる「頭の中の見晴らしの良さ」のようなものを聴き手は追体験できると思われますので、何というか大変ありがたい話だな……と思いました。
本文は以下より採られているようです。
Adversus haereses,Lib.3,17,1-3
:Sources Chretiennes 211,328-336
また、聖霊降臨の祭日の読書課においては、これを第二読書とし、第一読書をローマ8.5-27としているようです。
「主は人間が強盗の手に落ちてしまったのをあわれに思い、その傷口を縛ってくださったが、また、ご自分の所有物である人間を、王の銘が刻まれたデナリオン銀貨二枚を与えて、その聖霊にゆだねたのである。それは、わたしたちが霊によってデナリオンに刻みつけられた父と子の肖像と銘を自分の身に受け、こうして自分にゆだねられたデナリオンを実らせ、それを殖やして主に決算報告できるためである」
↑ルカ10.35を参照と注記がある。デナリオンは恐らく皇帝の姿が刻まれていたのだろうと思うのだが、ここでは「王であるキリスト」というテーマからの影響があるのではないだろうか。すなわちこの世の王と、天の王との対比といったような。
何を与えられたかという点については恐らく聖霊降臨に関して語られがちな所謂「賜物」を意味するのではないか。その賜物が各人にどのようなものとして与えられるのかは恐らくパウロがコリントへの手紙において饒舌に語ってくれていたと思われるので、ここでは省く。
ここではそれが主人から預けられた財産を地中に埋めて保管するか、それともそれを殖やすかといった別の部分における譬え(マタイ25.14-30,所謂タラントンの譬え)と結び付けられているように思われる。
※次が本当に最後です。
「……そして訴えるもの、すなわち投げ落とされたサタンのいるところに、弁護者もともにいてもらうためである。」
↑「神の露」が必要である訳を説明するために聖霊の弁護者としての役割を強調するイレネオはここで、サタンの恐らく呼び名の一つと思われる「訴えるもの」という言葉を出す。多分これは訴えるものvs弁護者という図式を聴き手の心に鮮やかに呼び起こす効果があったのではないだろうか。
以下に引用する最後の部分は特に印象深い。
そして自分には少し奇妙に感じられる。何故だか分からないがこの箇所にはイレネオの独創性というか個性のようなものが滲み出ているように自分には感じられた。
印象深いが故に長い文章にも関わらず全て引用します。
※次が最後です。
「また、乾いた大地が水気を吸い込まなければ実を結ばないように、わたしたちも最初は干からびた枯れ木であったので、上からの豊かな雨がなかったら、生命という実を結ぶことは決してなかっただろう」
↑この、神との結び付きが実りを生むという発想は、自分にブラームスの発言を思い起こさせる。
それはイエスが真の葡萄の木でありイエスと結び付いていないならば実を結ぶ事がない、というようなもの。
ブラームスのこの発言は多分ヨハネによる福音からの引用ではないか。
本当にブラームスがこんな発言をしていたのか、自分は確認していないのだが何かの参考になるかもしれないので、記しておく。
「わたしたちの身体は洗礼の水洗いによって、魂は霊によって、不滅性にまでいたらせる一致を受けたのである」
↑ここでは洗礼が聖霊降臨に関連して言及される。
洗礼に続く堅信の秘跡が確か聖霊降臨と関連していたような気がしなくもないので、並べるような形で述べられているのかなと自分は思った。
※更に続けます。
読書課では、聖イレネオ(エイレナイオス?)が聖霊降臨の祭日の担当をしているようだ。
第二読書の内容を掲載してくれていると思っていたブログを改めて見てみたら、あくまで抜粋である事が分かり少し残念に思ったりした。
記載は全文ではなかったものの、引用部分についてはその部分の文章まで記載されている。
以下、大事そうなところを書籍版より引用。
聖イレネオ「異端反駁」(聖霊の派遣)
「聖霊は人間のうちに住んで、その中で父の意志を行い、彼らを古さからキリストの新しさへと新たにするもである」
↑エフェソ4.22-23からの引用らしい。
「こうして、弟子たちは一致して、あらゆる言語で神を賛美し、そして霊は互いに遠く離れていた諸部族を一致へと連れ戻し、全民族の初穂を父にささげたのである」
↑初穂をささげるという発想と結び付けて考えるのは割と新鮮だと感じる。
※長くなりそうなのでツリーとします。 [参照]
大変興味深いと思いました。
前半のAIについての話では、技術の発達のスピードの速さにどのようにしたら対応していけるのか……という点について興味が湧きました。
専門的な機関が議会を通さずに迅速に対応する事が可能であるようにしておくというのが良いのかもしれませんが、そこにおける判断の過程や下される決定は議会と結局どのような関係を持つ事になるのでしょうか?
後半のtwitterのコンテンツモデレーションの話では……、やはりモデレーションが必要なのではとの思いを抱きました。
広告主にとって有益な場を再構築する為にモデレーションが役立つという事であるならばハッピーエンド(?)なのかもしれませんが、そうはならないような気もします。
もしtwitter blueやそれに類するサブスクリプション等が上手く行くなどして充分な収益を得られるようになるならば、その場はより醜悪になる可能性があるような気がします。
※なお書き起こしを翻訳したものを読んだ上での感想です。 [参照]
東京都は実はかなりお金を持っているのではないか。もし沢山あるなら、支援するお金くらい出せるのでは?
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↑は高橋洋一チャンネルの「第188回 京都が財政破綻の可能性?それは会計の基礎知識で分かる」です。
動画が公開されたのは2021年6月です。
この動画の大体6分00秒頃から東京都の財政についての話が始まりますが、(自分はここから)東京都はかなりお金を持っているような印象を受けました。
支援する対象が沢山集まっている場があるならば、支援活動の効率性が高いと捉える事もできるのではないでしょうか。
(もし支援していないならば)「何故支援しないのか」を都議会にて質問してみても良いような気がしました。 [参照]
自分は割と国民民主に最近は肩入れしがちなのですが、国民民主は割と限界(?)が見えやすい党だとも思っています。
中道右派から中道までは取り込めそうなものの、中道左派になるとそこから支持を得るのは結構難しくなってしまいそうな印象です。
傍から見ていると、最近は女性の支持を得ようと試行錯誤しているような気がします。
教育•子育て等を、(国民民主の恐らく得意としていると思われる)経済系の話と結び付ける事によって女性からの支持率を伸ばそうとしているのではないだろうか。
人権に関する話も得意な人が以前はいた気がしますが、ダイバーシティ的な話ではなくダメな事をしている企業との取引等をやめよう的な話だったような気がします。
もうちょっと所謂左派(?)っぽいフレーバーがあればもっと広範な支持を集められそうな気はするのですが……。
立憲民主や共産、社民党的な何かというか……そういうのがあると維新(や自民)との差別化も進められるような気はします。
中道左派的な人達へのアプローチが現在の国民民主党の支持層を失望させる事のないように気を配る……という「埋没しないように気をつけながら主張もしていく」という舵取りの難しさのようなものが中道系の政党にはあるような気はします。
……壮絶な世界だなと思いました。
多分篤志家が助力を申し出るだとかではカバーしていくのは難しそうな位の金額が必要なのではないでしょうか。
人道的支援というような観点からの支援が必要であるような気がしました。
資金面も含めて公的なサポートがあると良いような気がします。
北関東医療相談会・長澤正隆事務局長インタビュー 〝在留外国人の健康守りたい〟 2016年11月12日 - キリスト新聞社ホームページ http://www.kirishin.com/2016/11/12/18583/
衣装の色が殉教者と関連するというところまでは分かるのですが、ウィシュマさんが殉教者であるのかどうかまでは自分にはよく分かりませんでした。
勢い余って発言してしまった部分なのかなと思います。
せっかく赤い衣装を持ってきた訳ですし、意味を重ねたかったという事なのかもしれません……。
(以下余談)
例えば迫害に耐えながら信仰を守っただとかなら、その生死の如何に関わらず(!)殉教者として教会から扱われる可能性があると思います。
血を流したり、火炙りにされたりしなくても殉教者として扱われる可能性があるという意味です。
手記などに迫害を耐え忍んでいる記録が残っていれば殉教者扱いされやすいと思います。
例えば異教徒である主人から棄教を求められ、また酷い扱いを受けながらも主人の回心を神に祈りつつ主人に忠実に仕えて尽くしていた召使いが病死した……ならば殉教者扱いされる可能性があるような気がします。
召使いの死後に主人が回心すれば、殉教者から流された尊い血(比喩として)によって信仰が芽生えた等という美談が成立しうると思います……。
それが良いのか悪いのかは分かりませんが。 [参照]
フーガ(音楽)を好む。
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