新しいものを表示

ウォルター•ピストン氏の和声法の翻訳を所持していますが、和声の表記方法に関しては少し分かりにくいのではないかなと感じた事もありました。

瞬間的な現象として、いわば和声を一瞬だけフリーズさせるというようなやり方によって和声を理解した方が理解自体は精確になりやすいのかなとは思います。

このやり方によって基礎を固めた後に、和声の多義性の理解や和音構成音の揺らぎの理解へと進んでいくのが楽(?)なのではないかとも思います。

そして多義性を理解するという過程において、例えばⅡの2転が場合によっては肯定されうるというならば和声法が権威•ドグマ的存在として受け止められる事は減るのかも等と思う次第です。

空虚4度というのか、実質(?)並達4度というのも割と興味深い音響だった気がします。

並行•直行•平行という表記の揺れ(?)的な何かや、池内友次郎系(?)の数字付低音の表記の名残(?)のある表記体系など色々な表現方法があるのは興味深かったです。

転回指数を使った表記よりも数字付低音系の表記の方が、他領域の理解への接続が容易であるような気もします。

……下方変「位」だった気がします。

それはさておきこれらの絵文字は大変味わい深いと思います。
どの絵文字も、見ると色々思い出す事柄があります。

「斜行だからo.k.」とかも良さそうな気が……。
「可」とかも、いわゆる上から目線風のに評価されるのが癖(?)になる人もいるのではないかと。

禁則って日常的に使う単語だと思っていたら、案外そうでもなかったりするようで少し驚いた事があります。

島岡譲氏の独自の和音記号の表記には絵文字が役立つのかもと思いました。
あれらの記号は和声の把握において意外と強力•有効だった気がします。 [参照]

最近の自分は五線ノートに書いていますが、以前はA3のコピー用紙に書いていました。

A3の用紙を横向き(?)に使い、16段の五線を印刷しています。

データは多分自分でも作れそうですが、ネットにも落ちていると思います。

確か「バッハ すし詰め 五線紙」というようなキーワードを使って検索したような気がします。

A3のコピーにはコンビニのコピー機を用いています。 [参照]

自分も写譜ペンに憧れて買った事があります。

しかしインク的な何かだと書き直しが困難であったり、書いた痕跡が裏側へと滲んでしまったりと扱いが少し難しいのかなと思いました。

今では代わり(?)に6Bの、軸が三角である書き方鉛筆を使っています。

芯の傾け方を工夫して書けば、細いところと太いところを書き分ける事ができると思います。 [参照]

自分はfedibird民なので(?)、フォローをせずに購読•リストなどの機能を用いて相手の投稿を確認しています。

フォロー返しなどをしない事がありますが、そこにそんな事情があります。

ご理解お願いします。

何とか終えて、色々と知人へ送信した。

今度会った時に、お礼として通好みっぽいウイスキーでもプレゼントしておこう。

最近ウイスキーは高いけれど……。

音楽に詳しい友人に、書いた曲を聴いてもらってその出来を判断してもらおうと計画している。

楽譜も見せようと思っているのだが、楽譜制作に関する単純作業はかなり多いと感じる。

バッハは弟子•学生•家族に楽譜作成などを手伝ってもらっていた、と本で読んだ事がある。

作曲という創造的な仕事に充分に打ち込む為には、やはり周囲の人達による裏方的な仕事への手厚いサポートがあった方が良いのだろう……と自作曲の楽譜への歌詞の入力などの作業をしながら思った。

書いていた曲は一応完成した。

一応というのは、書き終えた後に色々と課題が思い浮かんでしまったからである。

そして今までやってきた事に対する疑念が沸き起こってきたからでもある。

今まで見ていた世界とは何だったのだろうという感じ。

疑念と共に、新たな境地というか自分がまだ耕していない土地が眼の前にある事にも気が付いた。

書き終えたにもかかわらず、書く前と比べて自分が後退しているような気がした。

未熟だった事に気付いたとかそういうものではないのだが、世界の広さに気付いて後ずさりする感じと言ったら良いのかもしれない。

パチンコでは当たり(?)が出た時に音楽が鳴るらしいが、その時に鳴る音楽として自作曲が採用されると使用料(?)的な感じでお金が儲かるらしい。
(※本当かは知りません)

その収益を使ってオペラを書いた人もいるらしい(多分儲かっていればオペラ創作に集中できる的な意味だと思いますが)。

大層夢のある話だな等と最初は思っていたが、それってギャンブル中毒の人達をいわば養分として華やかな世界を描くオペラが書かれるという話なのかな等とふと思いました。

書き終えた曲に歌詞を割り振る段階に入っている。

複数のパートが絡む音楽なのだが、歌詞を聴き取りやすくするのが難しそうだと思う。

しかし同時にこれは、歌詞がある事によって音楽の切れ目が分かり易くなるという効果もある作業でもあると思う。

歌詞を割り振ったり、パート譜を作ったり、パソコンに打ち込んだりしながら当初の楽譜へ微調整を加えている。

本人のアカウントを見てきました。

詳しい事情は分からないのですが、コメント欄の7割くらいは「詐欺案件ではないか?弁護士に相談したらどうか」というような内容だった気がします。

残りの3割がクラウドファンディングへの協力の呼び掛けといったようなものだと思いました。

普段見に行かない領域の話なので本当に門外漢的な感想になってしまうのですが、多分トラブルに巻き込まれているのではないかなと思いました。

多分8/2にあったとかいう事務局内のトラブル(?)が何か意味を持っていそうな気はしますが……。

多分ご本人には休養が必要なのではないかとも思います。

「多分」が多い、憶測ばかりの話になってしまい申し訳ないです🙏

ご本人に対する自分の個人的なお薦めは弁護士に相談+休養を取る、です。

休養を取れるだけの余裕があれば良いのですが……。 [参照]

五線紙に書いた音楽の一部を、muse score 4を用いてパソコンへと入力した。

途中まで書いてあるものが一体どんな雰囲気になっているのか確認しようとした。

大体の雰囲気は掴めていても、実際に鳴らしてみると印象が変わる事はある。

聴いてみたところ、枯れ過ぎているといった印象を受けた。

技巧的にも感情への影響力についても別に不足はないような気がしたが、自分を含め誰かがこれを聴いたところでそれが一体何になるのかといったような思いが心に浮かんだ。

しかし結局のところ出来たものがたとえ何であれ、
(1)制作の過程から得る満足感
(2)アウトプットするという行為への関心
(3)自分の予想していなかった姿を創作物が持ちうる事
……などは依然として自分を惹きつける。

とりわけ(1)、結果が満足を与えるというよりは過程自体がそもそも自分に対する報酬であるような気のする事などから自分はまだまだ今後も書いていきそうな気がしている。

余暇があると普段はテニスの練習などをしているが、たまに作曲へと戻ると作曲をしている時の方がより快適であったりより多くの充実感を得られている事に気が付く。

運動に関しても動きのメカニズムを考えていく事に興味があるのかもしれない。

作曲をしている時にも感じる頭の働きのようなものが自分にとって心地良いという事を示唆しているのかもしれない。

ただテニス<作曲という図式は、作曲に取り組んでいる頻度の低さから来る新鮮さの感覚がバイアス的(?)に影響を与えているのかもしれない。

自転車のライトを買おうかと思って色々と見ているうちに、そもそも今まで自分の使っていたライトは明るさが不十分だったのではないかと思い始めた。

50ルーメンが現在のだが、これは灯りの多い市街地における自己の存在アピールにとって必要な程度の明るさという事らしい(自分の拙い理解力によれば、だが)。

今検討しているのは260ルーメンが最高であり、かつもう少し明るさを落としつつ点滅させたりできるものである。
更にそれは対向車や他の人達がその光を眩しく感じないように、つまりいわゆる目潰しをしないように光の出る方向を調整してあるらしい。

自転車には毎日乗る癖に全然自分はこういった事に詳しくない。
オンラインでも買う事はできるのだが、近々店舗へ赴いて店員に質問した上で店舗において買おうと思う。

充電にはリチウムイオン電池が使われているらしい……。
ふと先程twitterで見た、双極性障害の治療に使われる炭酸リチウムが販売中止になるというニュースを思い出した。
リチウム自体の値上がりが影響しているというような話も見掛けたのだが、リチウムの値上がりとは多分こういったライトに使われるバッテリーの需要の高まりと連動しているのだろうな等と思った。

別に購入を取り止める予定はないが困っている患者もいるだろうと思った。

メタ社に関するこのニュースは以前にも見た事があります。

アムネスティ側の言い分もある程度は分かるのですが、メタ社に対して補償(?)を求めたり訴訟などを起こしたりした場合に勝てる(?)のでしょうか?

これをアルゴリズムの問題としてしまうよりは、ミャンマーにおいて自社製品が引き起こしたかもしれない問題を国を超えてどのように裁く(?)かという側面(?)の方が強い話なのではないでしょうか?

アムネスティ側の主張はこのままではあまり強くはないような気がします。 [参照]

ブロックやミュートをしておいた人のところを後になって覗きに行っても、(ブロックやミュートをしたという)自分の判断がやはり正しかったのだろう位の感想しか持たない。

そして安堵する。

視野の狭さと短気さ、コミュニケーションの直接性が際立つ人に出会ってしまった(勿論あくまで自分から見た際の感想に過ぎないのですが)。
こういった人は自分と相性が悪そうだと思う。

コミュニケーションの行き違い自体は非常にありふれたものだと自分には思われる。
お互いの理解が噛み合っていない時にどうするかという話になるのかもしれない。

こういった人はコミュニケーションのおける奥行きのようなものに鈍感なのではないかと自分は思っている。

(その人のうちにおいては)
質問と理解の繰り返しによるコミュニケーションの深化•前進の代わりに、感情のヒートアップと相手への怒りの高まりがあるのではないか。

"Einstein’s remark that doing the same thing over and over again and expecting a different result is the definition of insanity."

😅
以前も最近も、我が国ではシャトルランやら何やらによって生徒達が熱中症の危険に曝されているようでした。

ただ39℃になるらしい名古屋市では極度な暑さの中での運動等について中止するようにお達しが出たらしいです。

twitter.com/covid19maskjp/stat

空調服などという扇風機の付いた服があるらしく、効果は絶大らしいです。炎天下での楽器演奏をする際などには有効なのかもしれません。
困難を克服する事自体を目的にするのならば話は別なのかもしれませんが……。 [参照]

先日の7/4に没後400年を迎えたウィリアムバードの書いた4声ミサ曲よりグロリアが、チャールズ3世のcoronation serviceにて演奏されていたらしい。

多分各パート1人か2人かにした方がバードは映えそうな気はするが、それも演奏会場の音響などによるのかもしれない。

演奏速度もやや遅いくらいの方が多分綺麗に響き、歌詞も聞き取りやすく和声の変化も楽しみやすいような気もするが、ゆっくりしたテンポはもしかしたら慌ただしい現代人の感覚には合わないのかもしれない………。

twitter.com/counterpoint82/sta

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。