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自分がカトリックだからバードを凄いと感じてしまうのかな等とも思いますが、実際のところはどうなのでしょうか……?

歌詞の意味が分からず、かつ無宗教(?)でもあるような人達(?)がバードを聴いた場合、バードは評価されるのでしょうか?

そして、この「歌詞の意味が分からず」というのも語弊(?)があるのかもしれません……。

というのも歌詞の意味は分からずとも、歌詞にはコレコレの意味が含まれているのかもしれない等と察せられる事もあるのかもしれませんから……。 [参照]

バードの影響(?)についての記事より引用↓
But I love his harmony. Byrd, Tallis and Bach — I think their harmonic changes are more emotional, and sometimes more radical than a lot of 19th-century composers.

この記事よりもう1文引用↓
Of course, with Byrd, most of it is designed for people to look upward and inward, because it’s sacred music.

自分のコメント↓
harmonic changeがemotionalだったりradicalだったりするのは、upwardやinwardへ目を向けさせる傾向から生じているのかなとは思いました。
ただ尤も自分はそれがsacred musicであった事と関係があるかどうかについては分かりませんが。 [参照]

バードの評伝風の記事より引用↓
Byrd’s music from that time is “wonderfully intimate,” Dawes said. “Four singers can sing it one-to-a-part, and it can feel so much more powerful than a Mahler symphony.”

また同様に↓
As a composer Byrd was, in essence, a miniaturist, said Peter Phillips, the founder of the early music ensemble the Tallis Scholars — “a kind of jigsaw composer” who wrote “little snippets of music that fitted together mind-bogglingly well.”

↑に対する自分のコメント。
3声でも充分力強いと思います。
音楽は濃縮(?)というか圧縮(?)されているような感じがあったと記憶しています。 [参照]

以下は特定の誰かの記事についてではなく、一般論的な何かについての話です。

両論併記的な流れを取る記事というのは読者に対する悪影響が大きいのではないか……と自分は思っています。

……賛否両論あるという形にしてしまうと知識のない読者は不安に駆られてしまうのではないでしょうか。 [参照]

岩永氏の最近の記事を読みましたが、及第点には達しているような気がしました(何様のつもりと顰蹙を買う可能性がある事は意識しています)。

(1)誤読予防策の必要

専門家からその専門以外の事柄について述べられた場合には、読者をミスリードする可能性を減らす為にその部分の扱いを少なく•軽くするなり何か対策を取った方が良いと思います。

読者を変な読み方へと誘導しない為のチェック機能が必要なのだろうと思います。

またそれを働かせる為には記者自身のその分野に関する情報収集が必要なのだろうとも思います(高い情報リテラシーの必要)。

(2)客観的•科学的な内容を指向

お気持ちに寄り添わない方が良い記事を生み出しやすいと思います(自分がそれを一般論だと思っているだけかもしれませんが)。

(3)選り抜きの取材対象

取材対象の選別において片寄りが生まれてきてはいないでしょうか。

優しい•親切•飾らない•腰の低い•情報提供に熱心etc.といった特徴を持つ相手を取材対象として選びがちな気がしています。
例えば高山氏、坂本氏、西浦氏ら。

別にこれ自体が悪いとは思わないのですが、価値のある情報を持ちながらもこれらの特徴を満たしていない取材対象も存在するのではと思いました。 [参照]

岩永さん……。

「記事の内容をもうちょっと硬派(?)にしても良いのでは。でも読者の事も考えるとそれもなかなか難しいのかな……」等と思っていた事があります。

フリーというのは結構大変な展開なのではと思います。
生活の心配をせずに専門家と緊密な連携を取りながら書ける日が訪れると良いと思います。

坂本史衣さんと協力して発信していた時は特に心強いと思いました。

退職してフリーになります。そこで皆様にお願いがあります。 | 医療記者、岩永直子のニュースレター naokoiwanaga.theletter.jp/post

何か怪しいな……と思っていたところに煙が上がると一気に確信が深まる例という事なのでしょうか?

……見出しの与える影響の強さにはしばしば驚かされます。

赤身肉や加工肉、それに例えばアルコールの発がん性についても同様に声を上げる人が続いたりするのかな……等と思いました。

twitter.com/tak53381102/status [参照]

鳥インフルエンザの猫への感染?
本当なのだろうか。

猫への感染のニュースは最近出始めたばかりのように思うし、まだ調査もあまり進んでいないのかなとは思うが注視していくのが良いのかもしれない。

感染するのが愛玩動物になると途端に大騒ぎにするのかな等と思ったりもしますが……。

twitter.com/SukunaBikona7/stat

twitterでは時々少し呟いたりしているものの、どうもせせこましさのような雰囲気を感じてしまう。
少し苦手になりつつあるのかもしれない。

狭小住宅に肩を寄せ合って暮らしているような……。
一つ一つの住宅が狭く、更にそういう住宅が密集しており隣近所に気を遣い合って暮らしている……というような。

fedibirdはその点、青空の下にいる感じがして良いと思っている。
書かなくても良いし、好きなだけ書いても良いというような空間だと感じる。

スペース自体の持つ雰囲気が発信の内容などにも影響してしまっているのかな……と感じない訳でもないので、場を選ぶのは大事だろうなという話でした。

クシャミをしただけで隣近所からジロッと見られる(……ような気のする)場所には住むのは本当は(?)望ましくないのではないか、というような話です。

他国とのこのような軍事的連携について、自分は賛成しています。

多分独力では自国を守れないと思います。
また中国やロシアに与するのも危険だと思います。

装備品の共通化などもあればグループとしての行動を取りやすくなるだろうと思います。

防衛装備移転三原則に関しても更に柔軟な運用ができると良いのでは……等と思っています。

英語版の百科事典の項は(その最後にwikipediaが紹介されていた事もあってか)、とても印象的でした。

確かにアルファベット順という制約から逃れられたのはデジタル版の画期的なところだったのかもと思いました。

また、自分が子供の頃に(百科事典とは少し違うとは思いますが)イミダスや知恵蔵(?)のような分厚い本を一日中眺めていたのを思い出しました。

今となっては何が書いてあったかを思い出すのは困難なのですが、それは楽しい時間でした。 [参照]

LGBT法案にせよ入管法にせよ、どうやったらそういう風に読めるのと言いたくなるような解釈を施す人が散見される……。

別に実際には何も言ったりしないが、独特の読み方に付いていくだけでも既に恐らく一苦労だと思われる。
そしてそこから噛み合うように話を進めていくのは更に難しそうに思われる。

また、そのような解釈を流布するインフルエンサー的な人もいるように思われる(というか、そういった人が主体か?)。

自分1人ではそのような解釈を生み出しそうにない(と思われる)人が、そのような考えに染まっていってしまうのを自分は少し残念だと感じている。

思想のコピーをインストール(?)しているかのように思われるのだが、本人達の中ではそういった自分達の存在をどのように捉えているのだろうか?

……思わずハーメルンの笛というフレーズに反応してしまった。

発信者は、千葉の病院にて勤務している医師らしい。
色々と思うところがあるのかもしれない。

果たして千葉県知事は集団免疫を目指す路線を選択してしまったのだろうか?

>>
社会が、中世のハーメルンの笛を吹いて、大切なお子さんたちを感染による集団免疫という危険な幻想に導くのであれば、科学はワクチンでお子さんを守ると提言するしかありません。

twitter.com/shiraishia_md/stat

リチャード2世(小田島訳)の感想 

小田島雄志の訳による「リチャード2世」読了。

凋落というか零落を描いている……という風に自分は理解しました。
全体的に悲嘆の色が濃いと感じました。

ヘンリー4世との対比はあまり感じなかった。
王権神授説を背景とするリチャード2世とマキャベリストとしてのヘンリー4世の対比といった(事前に読んでいた)評は現時点においてはまだピンと来ていません。

これは、続くヘンリー4世第1部及び第2部を読む事によってリチャード2世の性質がよりハッキリと理解されるようになるという話であるのかもしれませんが。

小田島訳は……平易ではあるが平易すぎるのではといった感じが少ししました。
こういう感想が出てきたのは、福田訳の格調高さ(?)のようなものに慣れていたせいもあったのかもしれません。

福田訳の方が自分の好みに近そうな気はします。
もし翻訳が旧仮名遣いではなかったならば、福田氏の方を読んでいた(そして今後は読む)かもしれません。

実社会ではミュートやブロック等を(少なくとも気軽には)作動させにくいと感じるけれど、SNSではそれらを気軽に適用できて大変良いと思います。

心理的安全性を確保するのに大変役立っていると感じます。

これは……ここだけに限らず広くSNS一般に対して言える事なのかもしれないし更に言えば社会一般にも広げる事のできる見解なのかもしれないが、実際のところはどうなのか自分にはよく分からずにいる。

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「ミュートやブロックをした相手の様子を後になって見に行くのはやめておいた方が良いよ」と某鯖缶氏が以前に述べていたと記憶しているのだが、改めて確かにその通りだと思った。

相変わらずこんな事を言っているのか等と思い、自分がミュートやブロックしたのは判断として正しかったのだろうな等と感じてしまう事がある。

……それは、一方もしくは双方が成長していないという事を意味しているのかもしれないが。

正直、朝日新聞は如何なものかと思う時があります。

また、東京新聞はボーダーラインから少しはみ出してNGである……という感覚があります。

毎日はボーダーラインに近付きはするものの巧妙に踏み越えずにいるといった印象です。

トゥートorツイートするにあたって、どこから記事を引用してくるかというのは割とその人の立ち位置を表していたりするのかな等とふと思いました。

過激化というか先鋭化というか、そういう方針へ切り替える事によって生き残りを図る団体(政治団体)もいるのだろう等と思いました。

支持を得るのに失敗→分裂•内紛→先鋭化……というような。

先鋭化するにつれ参加人数自体は減っていくのではないかな等とも思います。

そのうち事件とか起こさないと良いが……等とも思います。

学生運動(?)か何かの後に色んな組織がどういう末路を辿ったか等、(その時代をよく知りはしないものの)少し想像したりします。

twitter.com/nagaya2013/status/

衆議院選挙が近いのかもしれない。
挨拶っぽい事をしながら、自民党の候補らしき人が車を走らせている。

サミットや株価の事もあるし、多分衆議院選挙では自民党がかなり優勢なのではないだろうか。

立民•共産は多分退潮傾向なのではないかとは思うが、固定的な支持層がいるような気はするのである程度は生き残るのではないかと思う。

所謂リベラルや所謂左翼といった人達の受け皿に立民•共産以外の党がなれるのか少し怪しいような気もする。

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